もんぷ

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雨上がり

 ただあの人だけを待っている。先々週の水曜日に傘を貸してから会っていないあの人。花屋に珍しい常連のお客さんで、年は多分自分と同じぐらい。接客した時の反応とかが良い人そうで、なんとなく仲良くなりたいとは思っていたけど、何かを間違えて来なくなってしまうのが怖かった。自分は結構見た目と違ってがっかりされてしまうことが多いから。花屋で働いているから穏やかそうだとか爽やかだとかそんなのは幻想だ。おれだって叔父が店長じゃなかったら花屋でバイトなんてしていない。はぁ、傘を貸すなんていう踏み込んだ行動、結構勇気出したんだけどな…あー、何か間違えてしまっただろうか。借りパクしていくような人じゃないんだよな...床に落ちている葉を拾いながらそんなことを思っていた時だった。
「あ...いた...良かった......」
いつもより余裕なさげに走って現れたその人は安堵の表情を浮かべていた。良かった、嫌われて来なくなったとかいうわけではなさそう。
「川崎さんこんにちは。大丈夫ですか。走られてきたんですか。」
「あ、えと...あの、傘返したくて。先週の水曜も土曜も日曜も来たんですけどいらっしゃらなくて...店長さんには内緒って言われてたし渡しておけなくて...」
まだ息も整わない中、早口でそう話す川崎さん。別に叔父さんに返しといてくれても良かったが、自分に話しかけてもらえるのを期待して内緒なんていう口実をつけてしまった。結果それが川崎さんを苦しめてしまっていたらしい。申し訳ない。
「先週は学校の関係でいつもと違う勤務で月曜と木曜と金曜の午後に入ってたんです。」
「あ、そうだったんですね…月曜とかに行けばよかった。」
「ご足労かけて申し訳ないです。」
「あぁ、いえ!全然いいんです。傘貸していただいただけでありがたいので。というか、むしろ土曜日結構強めの雨降ったじゃないですか。あさん雨大丈夫かなと思ってて…」
「あぁ…大丈夫ですよ。」

土曜日、サークルの練習終わりに外を見ると結構な雨が降っていた。こんな雨だしさすがにベースは持って帰れないなと部室に置かせてもらって帰ろうとしていた時のこと。
「先輩傘無いんですか?…よかったら、入っていきます?」
「ん?んー……」
川崎さん、傘返しに来てくれるのかな。特にこだわりもないし傘なんて返ってこなくても別にいいけど…あれから結構会ってないけどもしかしてなんか嫌われた?はぁ…もうわかんない。
「とりあえずいいわ。走って帰るし。」
後輩に入れてもらっても良かったし、生協で傘を買って帰っても良かったのに走ったのは、返してもらって会話が弾んだ後に充実感を持ってまたあの傘をさしたいと思ったから。川崎さんに傘を貸した日に話せたことの高揚感でにやけながら走って帰ったのを思い出してその気分を味わいながら帰った。まだ嫌われてない、また会えると思って雨の日も傘を使わなかった。

「あの、それでこの…お礼といってはなんですけど…これ。」
「え、なんですかこれ。」
「…ハンドクリームです。あの、お花触ってばっかりだと手が荒れちゃうかなって…もっとなんか食べ物とか軽いのにしようかなと思ったんですけどアレルギーとかあったらどうしようと思って…」
自分は割と偏食だから食べ物じゃないのはありがたかった。川崎さんが差し出した紙袋はハンドクリームの有名なブランドのやつ。香りもきついのは苦手だけど無香料でああ良いなと思った。
「ありがとうございます。傘貸しただけなのにこんな大層なものを…」
「いや!すごくお世話になったので!」
「ありがとうございます。すごく嬉しいです。大事に使います。」
「ふふ、こちらこそありがとうございます。」
紙袋を大事に受け取って川崎さんと会話を交わす。ふといつものようにありがとうございますで会話が途切れそうになった時、頭の端にあった疑問が湧いてきた。
「そういや、なんで水曜と土曜と日曜にこようと思ってたんですか。」
そう問いかけたら川崎さんは途端に目を見開かせて「えっと」とか「いや」を連発して焦り出した。先週はイレギュラーだったけど普通はいつも自分が勤務している曜日であるこの三つ。確かに川崎さんはよく会うけど叔父さんも認知してたから他の曜日も訪れているのだろう。さっきは月曜に来れば良かったって呟いてたし月曜は予定が空いていたっていうことだろう。ならなぜ来なかった?行っても意味が無いと分かっていたからだ。一つの結論に辿り着いた時に無意識に口角が上がった。
「川崎さん、自分のいつものシフト知ってたんですね。」
「…すみません!あのそんなつもりじゃなかったんですけどどうしてもお会計の時シフト表が目に入っちゃって……あ、あのでも本当にそんなつもりじゃなくて!ストーカーとかじゃないです。」
もう泣き出しそうな勢いで顔を曇らせているからもうなんか面白く思えてきた。
「自分がいると思っていつも来てくれてたんですね。」
「はい…あの、でも本当にあの、あずまさんの接客が良いなと思って、そんな変な意味じゃなくて…」
それと同時に良かったと思った。嫌われてなくて。
「ふふ、大丈夫ですよ。そんなに焦らなくて。嬉しいです。」
「…あ、え、そ、そうですか。」
仕事の時にしか使わない優しい微笑み方をして向き合うとびっくりするぐらい赤くなっている顔がそこにあった。前まであんなに悩んでいた自分がばからしくなって声を上げた。
「実は自分も川崎さんが来るの待ってたんです。傘貸す前からずっと、仲良くなりたいなって…連絡先、交換しませんか。」

6/1/2025, 12:07:52 PM