さらさら
七夕が近い6月末から7月初週にだけ講堂の横に現れる大きな笹。大学祭が終わり夏休み前のテスト期間があるまで何もイベントがないのはいかがなものか、とパンフレットの欄を埋めるだけに作られた雑な七夕祭のメイン。最初こそ人を集めるものの一度願いを書いてつるしてしまえばもうおしまいというのだからイベントと言って良いのかどうかも不思議だ。にしても、学祭実行委員の端くれがその七夕祭の手伝いとして膨大な量の短冊を取って白い紙に包んで処分する仕事を担わされるのは本当に面倒だ。面接で言うために学祭実行委員に入ったはいいものの、兼部している軽音楽部、さらにはバイトが忙しくて中々顔を出せないから、一日だけで済むこの七夕祭の担当を志願したのは自分だけれど。はぁ、めんどくさい。色とりどりの細長い画用紙の裏には黒ペンで書かれた願いたち。大抵は単位ほしいだとか就活決まりますようにとか彼女欲しいとかそういう大学生らしい願いで埋まっている。そもそも自分はこういう系は信じていない。神様に願っても叶わないことばかりだったのに、織姫と彦星なんてただのカップルだろ。なんてこんなことを考えてしまう捻くれた考えの持ち主だから叶えてくれる神もいないのかもしれない。紙をまとめあげて指定された場所に持っていく。余裕で日は暮れていた。大きなあくびをしながら携帯に目をやる。ふと思い立ってあの人のトークページを開いてメッセージを送る。
「七夕は何か願いましたか」
送って早々に既読がついてメッセージが返ってくる。
「世界平和です」
端的なその文字を見てふわりと笑みが溢れる。自分は色々信じないタイプだしどうでもいいけど、バカみたいに真っ直ぐに世界平和を願うこの人の願いは叶ってほしいと思った。
これで最後
これで最後、何回そう思っただろうか。呼び出しがある度に学校帰りに何度も寄ったあの汚部屋。物で溢れて足の踏み場も無いようなあの部屋に行くのは足取りは重かった。適当なつまみに気持ち程度のお酒と、飲めない私が飲んでるふりをできる唯一の甘い缶。映画を観ながら飲もうなんて、そのどちらも本当の目的ではないくせに、それに乗っかってしまう自分も自分だ。エンドロールが流れる頃にはきっと夢の中にいて最後まで見れた試しはない。それでもただ映画を見たい女を気取って部屋に訪れるのだ。こんな関係いつまで続くのか、続かせているのは自分で、いつか需要が無くなれば終わってしまう。それは寂しいなと思う。人前では泣かないけど一人で眠りにつく時にそう思ってしまうだろうな。薄ら感じる自分以外の影も、汚い部屋も、ジュースみたいなお酒に混じってくる度数の濃いお酒も、目を閉じると不思議と我慢できる。目の前の何かを諦めたような目をしているこの人と、私が重ね合わせているあの綺麗な人は違うのに。私を呼ぶ声も、私に対する気持ちも、くれる言葉も全てが違うのに、どことなく形の似ているその人を代わりにしてしまっている自分は最低だ。でもこれでいい。目の前の人も私そのものではなく適当な存在が欲しいだけで、代わりがいればそこまで。そんな気持ちの二人だからこそだらだらとここまで続いてしまっているのだった。次の日も1限だと言うのに眠りこけてしまった私は急いで昨日の夜に来た道を引き返していた。昨日と同じ道なのに反対方向から見たら全く違う道に感じる。どこか終わりのない迷路のような関係も一目散に引き返してしまえばいい。そう気づいた。
君の名前を呼んだ日
まだ読めない漢字ばかりで埋め尽くされた案内の板、色の少ない白と黒の異質な空間で、静かにしていなきゃいけないのに怖い音楽が耳に鳴り響いて、頼りにしたかった大人もみんな泣いてて。あぁ、それでも一番みんなから見やすい位置に置いてある写真はすごく笑顔だった。名前がひらがなだったから呼ぶことができたよ。おばあちゃんとしか呼んだことのなかった、君の名前を初めて呼んだ日。
やさしい雨音
雨はちょっと好きだ。お気に入りの傘がさせるから。雨は結構好きだ。人と一定の距離が取れるから。雨は好きだ。雨音が耳に優しいから。雨は大好きだ。一人が目立たないから。
歌
「お腹空いてる?今日くらいは全部奢ったるから。好きなん頼みや?」
「…や、今はいい。」
いつも行ってる飲み屋…ではなく今日は1軒目からカラオケに来た。まだ夕方にもならない昼過ぎに浜谷から電話がかかってきたのが30分前のこと。電話口では泣いてこそいなかったもののひどい鼻声で「別れた」と一言だけ聞かされた。電話を切ってすぐに合流したものの、まだ居酒屋が開くには早すぎる時間帯。目についたのは同期でよく来たカラオケ。
「…じゃあちょっと早いけど乾杯しよ。藤原もあとで来るから。」
独り言のようにそう呟いてとりあえずビールを二人分頼んだ。無言の重苦しい空気が流れる中、DAMチャンネルで知らないアーティストが得意げに話す声だけが響いていた。浜谷がこんなに落ち込むってことは多分「他に好きな人ができた」とかそういう感じでフラれたんやろう。まあそこらへんは藤原が来てから色々詳しく聞くことになるやろうから今はまだ当たり障りなく励ますしかない。
「…まあ、さ。女の人なんていっぱいいるんやし…あんたなんてモテるんやから。うん。そんな引きずらんでもいいって。」
「…うん……」
渾身の慰めにも目の前の大きい男はあんまり響いてない様子で少し俯き、そこからビールが運ばれてくるまでまた無言が続いた。特に気の利いたことも言えない私は、早く藤原が来るのを願いながら、グラスをカチンと合わせてそれを口に運んだ。お酒が入っても重苦しい空気は変わらないので私はバカなふりをして「よし、なんか歌う?」と言ってみたけど、案の定浜谷は首を横に振った。やっぱりそんな気分になれないよなと機械を机に置こうとしたところ、不意に目を真っ赤にした浜谷が口を開いた。
「…なんか歌って。」
「……あぁ。ええよ、何がいい?」
「……もう恋愛なんてしない〜♪」
もう何曲連続で歌っているか分からない。部屋に入る前にドリンクバーから麦茶を取ってきていた自分を褒めたい。デンモクを浜谷が握って離さないのだ。浜谷が好きな曲ばかりを入れ、自身はマイクを一切握らず私の声に耳を傾ける。それも全て失恋ソングで、一曲目のサビに入る前に浜谷が泣き出してしまったのはさすがに驚いた。歌うのをやめてマイクを置くと泣きながら怒ってくるから歌うしかなく、歌いながら肩をさすることしかできない。ああ、藤原よ。早く来てくれ。そう思いながら最後のロングトーンを歌い切った。