『大好きな君に』
ピンと姿勢の良い後ろ姿が印象的だ。もう直ぐ終わる。
「卒業式、最近は凝ってるね。ブラスバンド部の生演奏があるんだもん」
今日は次男の卒業式で、夫婦ともに高校まで来たのだが、感染症拡大予防のため、生徒一人に対して参列できる保護者も一人までと人数制限が設けられていた。カメラ撮影が苦手な妻は式の参列を遠慮してくれ、図書室に準備されたライブ配信を視聴した。
式後、最後のホームルーム参観のため合流した廊下で、
「ああ、私も生で見たかった。映像は飛ぶし、音声も聞き取りづらかった。在校生の子、送辞なんて言ってたの?」と笑いながらも不満をぶつけてくる。
「頑張ったよな」
「うん。本当にね」
次男は自身が目指す専門性のために、これまでの友人は一人もいない市外の高校を選んだ。始発に乗るため早朝に家を出て、遅く疲れて帰ってくる生活を三年間やり切った。親から見ても時間に追われ、高校生活を満喫しているように見えなかった。稀に愚痴っぽくなることもあったが、その苦労の割に弱音を吐くことが本当に少なかった。後に妻から聞いた話では、次男を苦しめていたのは人間関係だった。それもかなり複雑に入り組んでいて、逃げ場のない……だから、次男は最後まで逃げず、その場所で終わりが来るのをただひたすら待った。そして、今日、晴れて解放されるのだ。
「あいつ、すげーよな」
「うん」
「俺、あいつのこと尊敬する」
「うん」
「俺、あいつめっちゃ大好き」
「ふふ、当たり前でしょ、私たちの子なんだから」
時間をかけて作り上げられた箱庭からの脱出。
さあ、卒業祝いに何を贈ろうか。
『ひなまつり』
ふっくらやわらかなウナギが乗ったちらし寿司が、たまらない。
女子が、かあちゃんしかいないうちでは、ひなまつりとは縁がなかったが、近年、三月三日は特別な日になっている。かあちゃんの子供の頃は、家に雛人形を飾り、ご馳走を食べたそうだ。あのちょっと怖い人形に病気や災いを移すためだとネットで読んだが、昔の人の考えや風習はなんだか極端だなと思う。だけど、なにかと理由をつけ、ご馳走様を食べるっていう習慣には大賛成だ。
ある時期から、三月三日になると、ウナギが乗ったちらし寿司が夕食に登場するようになった。近所のスーパーで、ひなまつりフェアと銘打ちスイーツや食材が彩り並ぶのを見て、かあちゃんなりに思うところがあったのだろう。
かあちゃんは、買ってきたウナギに直接、水道水をかけ、身に付いているタレを洗い落とす。それから、フライパンに皮を下に乗せ、お酒をかけて蒸し焼きにする。一度、タレが美味いのになぜそんなことするのかと聞いてみると、「輸入ものは匂いが独特で硬いから、こうやってやわらかくするのよ」なるほどーーとまでは思わなかったが、美味しさには変わりない。
絶妙な加減の酢飯にはたくさんの具材が混ぜ込まれ、甘い錦糸卵がたっぷり、その上には大きめにカットされた主役のウナギが鎮座する。あゝ美味い、これ好き。
かあちゃんは口いっぱいに頬張る俺を見て、ニコニコしていた。
忘れていた翌年の三月三日の食卓にちらし寿司が出てきたときは、定番化したのだなと嬉しくなった。
俺の気持ちが華やかな気持ちになる春の日。
『たった1つの希望』
9回裏ツーアウト、ランナー二・三塁。スコアは1-2。
異様な緊張感が漂うグラウンドに、キュッと引き締めた顔のアイツがバッターボックスに入る。今日は、自慢の打撃が鳴りを潜めている。
眩い夏、最後の大会。汗水流しユニフォームをどろどろにしながら必死に白球を追いかけた三年間、俺たちは勝ちを知らない。ただ弱かった。それでも、名門校に負けないくらい、毎日休まずに練習を続けた。同じ運動場を使うサッカー部のヤツらは大笑いしながら、どうすれば大技を決めることができるかで盛り上がっていた。陸上部は、顧問の先生にバレないように手を抜く方法を話し合っていた。
俺たちは大技も練習のサボりかたも覚えなかった。地味でつまらない練習の積み重ねが、平凡な自分たちを高みに連れていってくれると信じていた。その中でも、アイツはひたむきにバットを振り続けた。努力の天才だった。公式戦で勝ちがないチームで、アイツだけは通算打率が3割を超え、夏の大会直前にはホームランも記録している。他のメンバーではできないことでも、アイツなら何かを起こしてくれそうな気がする。
カキーン
打球はきれいな弧を描いて左中間にーー
頼む、抜けてくれ!
お前と俺たちの夏がここで終わっていいはずがない。
『欲望』
パチパチ、子気味良い音とともに、切れ目を入れたウィンナーに焼き目がついていく。
プシュッ、缶ビールを喉に乱暴に流し込む。
ウィンナーはフライパンからおろさず、箸を伸ばす。
「たまらんーー」
バサッ、背中からベッドに倒れ込む。
目を閉じるが、興奮気味な頭が、まだ何かを欲している。スマートフォンでネットショッピングを開く。
このマンガとこのスニーカーはどうしても欲しい。悩む、悩む、悩む・・・・・・「買っちゃえ!!」
何か、途中から買うか買わないかじゃなく、どうせなら全巻揃えたほうがいいとか、バリエーションでもう一足、色違いを買ってしまおうかとか考えていた。
掛け時計を見てから、両足を天井に振り上げて、「よっと」勢いよくベッドから起き上がる。キッチンの棚からカップ焼きそばを取り出し、ポットの湯が沸くまでに、プシュッ、二本目の缶ビールを開ける。ゴクッ、ゴクゴクーーもう、待ってられないとスナック菓子の袋を開け、バリッボリッバリッ
3分タイマーをフライング気味に止め、手つきよくカップ焼きそばのお湯を切り、冷蔵庫から取り出したマヨネーズを迷わず八往復半。天かすも投げ入れる!
プシュッ!プシュッ!!
「あっ、ドーナツあったな」
ベッドに飛び込み、スマートフォンで動画サイトでお気に入りを開く、、、
「んあっ、また寝てたのか、頭痛すごっ。明日、仕事とか嘘だろ・・・・・・てか、日付変わってんじゃん、晩飯食ってねーし」
ングッ、ングッ、卵かけご飯二杯を無我夢中にかけ込む。
明日、頭を抱えて後悔するかもしれないけど、今は知らん。
『遠くの街へ』
菜の花のあなたへ
引っ越しされたと知ったときは、とても寂しい気持ちでした。
しかし、お優しいあなたのことですから、私に心配をかけまいとしてくれたことは理解しております。
そちらは、ここより少し温かいから、二月には菜の花が咲くことでしょう。あなたのような菜の花がたくさん。
その街は、あなたをちゃんと受け入れてくれていますか?つらいときは、いつでも連絡してきてくださいね。
少し遠いので、直ぐに駆けつけることができないのが、申し訳ないのですが、そのうち必ず会いに行きますから、待っていてください。
とりあえず、あなたが居なくなった日から今日まで分の爪を送っておきます。どうか私を扱うように触れてください。
あっ、サプライズをお楽しみに。