Werewolf

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4/12/2023, 4:03:49 AM

【言葉にできない】

 付き合う、っていうのが久しぶりだった。一晩遊んでそれっきり。そういう関係がずっとあった。何度か会って、可愛いなって思った。本当、それだけだったのに、気が付いたら食事に誘ってた。
 食べながら喋らないし、美味しいものは美味しいって言うし、苦手なものを残したくないんだけど、ってこっちの皿に移してくるし、愛着が湧いた。
 ヤッて、食べて、その繰り返しのあとに、休みの日がいつか聞かれた。その日休むから、って一緒に出かけた。美術館に行くのが好きなのを知った、家電量販店のカメラコーナーを見るのが好きなのを知った、靴は拘ってるブランドがあるのを知った。
 誕生日を知った、血液型を知った、最後に本名を知った。
 待ち合わせして、手を繋ぐなんて目立つなぁなんて笑いながらテーマパークにも水族館にも旅行にも行った。
 今は俺の腕の中で眠ってる。安心しきった顔で静かな寝息だけが聞こえる。
 愛しいなんて言葉では足りない。日々好きだとは言っている。くすぐったそうな顔を思い出すだけで胸が熱くなる。どうしたらもっと笑わせてやれるだろうと考える。好きなもので満たしてやりたい、それを隣で見つめていたい。こんな気持ちをなんと言えばいいんだろう、そんな関係を持ち続けたいことをなんと表せばいいんだろう。
 頬をくすぐると、子供のように指を掴んできた。

4/10/2023, 4:34:41 PM

【春爛漫】

 穏やかに細切れの雲が浮かぶ青い空。柔らかく流れる風が花弁を攫っていく。ひらひらと舞い散るそれが並木を埋めて、休日の朝を行く人々の足取りもどこか軽い。しばらく姿を見なかったブチの猫が塀の上で欠伸をし、軽い上着だけ着込んだ主人に連れられた犬はしきりに空中で鼻を蠢かせている。小さな雀が土の上を啄み、そこらじゅうでアリが更新している。
「季節が巡んのは早いねぇ」
「教授、それジジくさいです」
 校舎一階の印刷室で、手摺りした今季のレジュメをまとめていた助手が肩を竦める。
「サボってないで、ちゃんと終わらせましょうよ」
「サボってなんかないよ、いいかい、僕らのやるような学問はね」
「「観察することが何よりも大事」」
 声が重なって、教授はほうれい線を深くした。助手は片眉を上げてふうっと吐息する。言外に続けろ、という圧。手にした携帯電子タバコ──水蒸気式のものを口にして、ふぅっとミントの香りのする煙を吐き出す。
「それは血眼になって詳細をとにかく見極めようとするようなものでなくてもいい、ちょっと遠目に眺めて、ぼんやりとしていて見えてくるものもある」
「その通りだ」
「何年やってると思ってるんですか」
 教授はやれやれと肩を回して、手近なプリントを手繰り寄せた。A3サイズのプリントを三種類、いずれも四つ折りにするだけだが、講堂が広い場所を割り当てられているので、最大人数分の七十組必要なのだ。
「そうだ、四年目か。君、そろそろ論文でも出したらどうだい」
「……どうでしょう」
 助手は再び肩を竦めて、小さく吐息する。
「論文を出しても、テーマがテーマなんで……助教、なれますかね」
「推薦はしておくとも」
 教授は微笑んで手元の紙をぱたん、と折った。そこにするりと窓から入り込んだ花弁が乗る。
「君は君が思うよりよく見てるよ。テーマも絞れてる。新規性も必要だが、再現性を確定的にしていくのもありだ。適度にやれば適度に成果になるさ」
 だと、いいんですけど、という小さな呟きは、外から聞こえてきた子供達の声にかき消された。

4/9/2023, 9:48:14 AM

【これからも、ずっと】

「別れてほしいの」
 切り出された一言に、ああ、まぁそうなるだろうなぁ、と、青年はぼんやり考える。付き合って一年。長い方だ。
「渚くんの……あのことは、絶対誰にも言わない、から、だから」
「分かった」
 俺が声を出すと彼女はホッとしたように緊張が緩んだ。
「色々助けてもらったしね、ごめんね」
「う、うん」
 最後に、彼女の手を握って、するり、と小指にはめていた指輪を抜き取る。あっ、と声を出したが止めなかった。白い石が輝く指輪を手の中に握り込む。
「これは俺に返してね。じゃあ、さよなら」
「うん、じゃあ……」
 そう言って、ミニスカートを翻して彼女は走り去ってしまった。
「はぁ……」
 と、青年、渚は溜息を吐いて頭を抑えた。

 渚は大学内で最もモテるといっても間違いがないほどモテる。女は勿論だが、男にも好かれる。中には体の付き合いに至ったものがいるなどと噂があるほど、とにかく美しい顔をしている。
 しかし「恋人」は短ければ二週間、長くても今回くらい、一年程度で別れている。
 渚はそっと自分の首筋に触れた。少し濃い目の毛が生えていて、それが見えないようにいつでも衿付きの服を着ている。
「新しい人、見つかるかなぁ」
 半ば呻くようにそう呟いて、次の講義に向かう。顔は陰鬱そのもので、ちらり、とカレンダーを見て首を横に振る。
(俺と添い遂げられる人なんて現れないんだ。こらからも、ずっと)
 全ては長らく続く家にまつわるある体質のせいであるし、父母、祖父母のことを考えればそれほど絶望的でもないのかもしれないが、それでも渚には、先の見通しなどつきはしなかった。

4/8/2023, 9:34:53 AM

【沈む夕日】

 トラズ湾を望む入り江と言えば、古パナロス朝の頃から有名だ。サザラニア大陸の西側北寄り、トラズ国の領土内、最も美しく最も暖かな海とされている。
 トラズ国はその財源の大部分を観光で賄っているとも言われ、休暇にトラズ、という言葉は中流階級以上であればよく聞く言葉でもあった。観光地として最高級である宿を取れば話は別だが、安く済ませることは非常に容易で、簡単に言えば自分の身の丈に合った旅ができる。翻訳家のガイドを付けることもできるし、そのへんの子供に銅貨十枚握らせてもいい。そうすれば望みのものに近いトラズを見られるだろう。少なくとも何一つ収穫がないことはない。
 街はパナロス風と呼ばれる、白い土を塗り込んで焼いたレンガを積んだ壁と、粘土を使った赤茶の瓦が組み合う建物が多く、建物は区画整理されていて、真っ直ぐな道が多い。家々を含む多くの建物は背中合わせに建っていて、背中同士の間に側溝があり、街の景観を汚すゴミや汚物はいつもそこに流される。側溝の行き先は海岸側のゴミの集積所で、どういう仕組みか、そこにゴミを集めて、肥料とそうでないものに分けるらしい。そこは見た者が少ないが、少なくとも周辺農家の出入りがあるので本当らしいとは言える。つまり、街中は驚くほど綺麗で、観光に行くなら旅行者はそれを守るマナーを身に付けなければならない。大抵は街の入り口で説明されるが、たまに不届き者がいる。そうならぬよう、注意するべきだ。
 トラズ湾の深い青と、湾を囲む腕のような陸地と、そこにそびえるパナロス樺が青々としている様が、街の赤茶の瓦と白い壁の向こうに見える。それは誰でも憧れる光景と言って差し支えない。
 街の名産のフォーカンの実を発酵させたブローズも絶品だ。華やかな香りと強すぎない酩酊、味わい深い果実の甘さが楽しめる。肴にはパグスの干し肉が合う。フィギのものよりやや硬いが、同じ白肉としてはよりコクのある味わいがある。
 澄んだ青紫色のそれを瓶で購入し、上質なグラスを持って、街の高台にあるユドマス公園へ行き、ゆっくりとベンチに座って日暮れを待つ。ユドマス公園はトラズ湾を望むのに最高の場所だ。西向きの高台から、黄金にも似た輝きが見えてくる。そのまま沈む夕日が、まるで美しい濃紺のベッドに隠れる様を見送る。それこそが洗練されたトラズ観光の真髄だ。

「なるほどねぇ」
 と、キマンはその細い八本の指にグラスを持って、海と呼ばれる大きな水の塊に、太陽と呼ばれる恒星が「沈んでいく」ように見える光景を見ていた。実際はテラフォーミングされたリリカトル星が公転し、恒星の見え方が変わっているだけなのだが、なかなかどうして、群青の空とオレンジ色の光の対比が美しい。
「地球人やテラズ向けの旅行誌だったけど、馬鹿にできんね」
 眩い光に採光器官の開きを窄めた。キマン達コテモタリオは、菜食器官が似ている地球人やそれに由来するルーツを持つテラズと深い交友関係がある。
 コテモタリオは元々住んでいたコテモタル星が貧しい星だったために、エネルギーの効率接種に特化してきた歴史を持っていた。代わりに金属算出が多く、比較的早い段階で金属の製品化技術を得て、また最も早く宇宙進出を果たした側面もあった。コテモタリオはその先で、「味わい」というものを初めて知ったのだ。そしてそれが、何も味覚によるものだけではないと分かり、コテモタリオの宇宙旅行熱が凄まじい勢いで加速した。
 特に人気が出たのは、地球人およびテラズ達の振る舞う「料理」と呼ばれるものだった。彼らは菜食器官が似ていたが、消化器官はコテモタリオに比べて貧弱で、コテモタルの食品は殆ど食べることができなかった。具体的に言えば、硬すぎて食べられず、また嚥下出来ても消化不能であったりした。お陰でコテモタルで初めて人間を手術することになったので、解剖学的にも大きな躍進があった。未だコテモタリオの間では語り草だ。
 そのテラズの観光ガイド、テラフォーミング惑星編の中に、昔キマンがまだ若い個体だった頃に訪れたリリカトルがあった。キマンは今年で三回節、テラズで言えば百八十と言われるくらいの齢になる。そもそもコテモタルは光源となる恒星がずっと空にあるので、休眠境と覚醒境を行き来していた。自身らの発生について調べる学者もいたが、未だ解明されていない。しかしとにかくキマンにはテラズの生活する、自動的に光ある時間になり、自動的に光なき時間になる、公転惑星が肌にあっていた。しかし、今度の旅行誌を見るまで夕日については知らなかったのだ。
「夕日ってのは、いいもんだなぁ……」
 青紫色のグラスを、ガイドの写真を真似て掲げる。そのグラスの水平線の中にも、ゆっくりと眩い恒星が沈んでいくのだった。



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4/5/2023, 3:04:24 PM

【星空の下で】

 防波堤の近くの海風に晒された木造家屋の外で、ずっと向こうに見える水平線から、山の方まで散りばめられた小さな輝きの海を見た。東北の空気は澄んでいて、東京のように日頃から薄暗い空ではないのだと、波の音と一緒に囁く星の声が気さえする。
 その日は特別よく見えたわけでもなく、その日に何かあったわけでもない。その近辺の土着信仰や土地神にまつわる話を調べて、たまたま民泊の場所が村の端だった。
 民泊の目の前は真っすぐで信号もないような道路があり、その向こうにテトラポットの敷き詰められた防波堤と、少し離れた場所に灯台の光が見える。反対側を見れば、民泊の裏手はそこの女将さんが手入れをしているという広大な畑で、トウモロコシの青々した葉で膨らみかけの種子や、トマトのまだ未熟で硬そうな青い実があちらこちらに見えた。その奥へ目をやれば、山の麓の林があり、そのまま林の奥は山へと続いて、遠くに見えるものほどではないにせよ、軽い気持ちでは登れない高さの山が、どんと大きく構えていた。
「凄いな……」
 思わず呟く。ざざん、ざざんと潮騒がして、風が止まると磯の香りが届く。しかし山側から涼しい風が吹いてくると、草いきれが鼻をかすめる。土の匂いも砂の匂いもして、ここが本当に日頃己が生きている街とは違うのだと納得があった。
「あーれぇ、東京がら来だ学者さんですたが。何すちゅんだが?」
 からりと引き戸が開くなり、釣りの格好をした宿の主が空を見上げる私に話しかけてきた。
「星を見てました、東京じゃこんなに見えませんから」
「んだんずな? まぁー星くれぇこごじゃ毎日こったもんだよ」
 一緒になって見上げるが、普段から見ている人には感動が薄いようだった。
「旦那さんはどちらへ?」
「わっきゃ釣りだ。夜釣りでソイやアイナメ釣れるごどがあるす、何より楽すいはんで。釣れだっきゃ、明日の朝ご飯さ出すますじゃ」
 それだけ言って一礼すると、主は道路を越えて海へ足を運ぶ。星の中を歩くように堤防の向こうへ姿が消えたのを見送ってから、私はこの光景をスマホのカメラに収めるべきか、少しの間思案するのだった。

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