創作 「エイプリルフール」
淡い陽光が注ぐ部屋で僕は目が覚めた。今朝の雨が嘘のように、穏やかな風がレースのカーテンを揺らしている。テーブルに、置き手紙があることに僕は気づいた。
「また来る」
4月1日。エイプリルフール。嘘が有効なのは正午まで。だからあのひとは正午を過ぎても現れない。
おそらくあのひとはもう、この街にも帰ってくることはないのだろう。
部屋の片隅にあるピアノには、あのひとが好きでよく弾いていた楽譜がそのままになっている。 あのひとが目指す街では、かつてのこの街と同じメロディーは流れているのだろうか。寡黙なあのひとは思う存分、音楽を奏でられているのだろうか。
そして、あのひとが追い求める「幻の歌」とやらを聴くことはできるのだろうか。 疑問の答えを知る術はない。ただ、あのひとの道行きを密かに応援するだけだ。
再び手紙に視線を戻すと、呼び鈴が鳴った。僕は深呼吸した後、玄関を出る。
「こんにちは。ここに、この写真の男が来ませんでしたか」
僕は手紙を見せ、あのひとがまたこの家にくると伝える。手紙を信じた彼は、ここで、あのひとを待つと言った。でも、僕は嘘をついた。あのひとが逃げられる時間を稼ぐ為に。音楽を禁じられたこの街から、あのひとがどこまでも逃げて行けるように。
(終)
「幸せに」
ハッピーエンドと意味合いが似ている。
幸せに、なる か ならないか
幸せに、したい か したくないか
幸せに、できる か できないか
幸せに、なった か ならなかったか
分岐点はいくつもある。
創作 「何気ないふり」
生クリームのように滑らかで、苺とか蜜柑とか梨とか、果物の香りのする小説が読みやすいな。
それに、微かにサイダーみたいな味のする文章も結構好き。
あとは、駄菓子っぽい匂いのとか、おつまみ系みたいにしょっぱい小説見つけたら、かなり嬉しくなるね。
って何気なく言ってたけど、あの日からあまり口にださないようにしてる。なぜって、その日、隣で何気ないふりしてた友人が「何それ、どういう意味なの」って言ってきて気まずかったから。
(終)
創作 「ハッピーエンド」
彼女は原稿用紙を机に投げ出し、露骨に不機嫌な顔をした。
「なにこれ、面白くないんだけど」
俺の自信作である小説を、彼女は一読しただけでそう吐き捨てた。
「これ、結構前から温めてたネタなんだが……」
「テーマは問題無い。でも、見せ方がまずい。ずっと幸せそうな場面が続いた後のハッピーエンドは、印象が薄くなる。面白くない」
「じゃあ、バッドエンドにしろと言うことか?」
「それもありだけど、きみはハッピーエンドが書きたいんだよねぇ?」
俺は強くうなずいた。すると彼女は、ニヤリと口角を吊り上げる。
「ハッピーエンドを書きたくば主人公に危機を与えなさい。それも、自分なら絶対に乗り越えられない程のね!」
そうして、彼女は得意気に滔々と語る。
「こうすれば、主人公も成長するし、ハッピーエンドのインパクトも残せるんだ。物語を作りたいなら、読者の情緒を引っ掻き回すぐらいの気持ちで書かなきゃね!」
彼女の熱い助言に、俺は胸をうたれた。そして、今の彼女には後光がさしているようにすら見える。
「ありがとう、確かにそうだ。よーし、俺、もう一度書いてくる」
俺は物語づくりの醍醐味を噛みしめて、新たな原稿用紙に、猛烈な勢いでペンを走らせるのだった。
(終)
創作 「見つめられると」
わたくしの存在意義とはいったい何なのでしょう。
唐突に湧いた疑問は、わたくしを不安の中に突き落としたのです。
彼は毎日わたくしの発達を記録していますが、彼はわたくしをどのような思いで見つめているのでしょうか。
「やぁ、『うで』。今日は書けそうかい?」
「マスター、わたくしは実験なんて大キライです」
「そうかい。それは困った。明日は記録を王室に提出しなきゃならないのに」
彼は切なげにわたくしを見つめます。そのちょっと困ったような表情が、わたくしのいたずら心をくすぐりました。
「ところでマスター、顔にインクがついていますよ」
わたくしは右の手袋を外し、彼の頬に触れました。彼のぬくもり、柔らかさ、匂い、味が指先から感覚中枢へと流れ込んで来ます。わたくしはえもいわれぬ喜びに酔いしれて、さっきまでの不安をすっかり忘れていました。
すべすべした彼の肌にゆっくりと手のひらを這わせ、親指で彼の唇を撫でます。もし、わたくしに体があれば、彼を全力で抱きしめていたことでしょう。
「キミはボクに、どうして欲しいのかい?」
「どうもしなくても、こうして触れていられれば、見つめられていれば、わたくしはもう充分なのです」
彼がいる。それだけが、わたくしの存在意義だと気づいたあとは、彼の研究に反抗するなんてことはしません。わたくしにとってのマスターのように、マスターにとっては研究が存在意義なのですから。
(終)