お金より大切なもの
「金より大切なものは存在しません」
そう言う彼は、本当にそう思っているようだった。
愛や情なんてものは存在せず、信じられるのは金のみ。
そんな彼が恋愛なんてするはずもなく、ただカジノのオーナーとして働いていた。
彼の見た目に、笑い声。話し方に惹かれた人間は数多く見てきたが、その恋が実った者は存在しなかった。
そして、彼は告白してきた人間、好意を示した人間との関わりを断ち、その者達を絶望させた。
彼の隣でそれを見てきたオレは、そんな愚かなことはしまいと気をつけていた、はずだった。
そう、はずだったのだ。一目見たときから彼に一目惚れをしたけれど、それを彼に悟らすまいと、お得意のポーカーフェイスで乗り切ってきた。
だから、彼の言っていることが理解できなかった。
「貴方、僕のことが好きでしょう」
そうオレに吐き捨てるように言った彼の瞳には、軽蔑の色が酷く滲んでいた。
あぁ、今までの信頼が、関係が、今、崩れたのだ。
「もう二度と、その面を僕に見せないでください」
そう言って去っていこうとする彼の腕を、考えるよりも先に掴んでいた。
彼は驚いたような顔をして、オレを振り払おうとした。
だけど、今離したら、もう二度と話せない。
そんなのは、いやだ。
「チャンスをください!お金よりも大切だと思わせるから!」
彼が、お金より大切なものは存在しないと考えるようになったのは、家庭環境によるものだった。
彼は愛されたことがない。家族からの優しさを享受するためには、お金を稼がなければならなかった。
学校にも通わせてもらえなかったから、友情も知ることがなかった。だから、金が全てだと、信じて疑わなかった。金以外、知らなかった。
「証明してみせるから。だから、一度だけ、チャンスをください」
そんな可哀想な子供を、好きになってしまった。
ならば、オレが教えてあげようでは無いか。
「……わかりました。但し、チャンスは一回きり。
半年以内に思わせてください。それ以上は待ちません」
「ほんとっすか!ありがとうございますっす!絶対思わせるからな!」
そう嬉々として伝えるオレを呆れるように見つめる彼を、思い切り抱きしめた。
『10年後の私から届いた手紙』
拝啓 10年前の僕へ
僕は未来のことについて何も言うつもりはない。
それはきっと、あなたもそう望んでいるでしょう?
僕が言いたいのは、ただ今ある縁を大切にしろ。ただそれだけ。
あなたは友人や家族を大切に思っているだろう?
僕もそうですよ。──今も昔も変わりませんね。
例え大切な人に忘れ去られても、どんなに置いていかれても、泣くな。笑え。それが僕の運命だから。
大丈夫、あなたはひとりじゃない。ずっと僕を見守ってくれる奴が嫌でも現れますから。
それだけは言っておきます。僕は運命を受け入れた。
だからあなたも、運命を受け入れてくれることを願いますよ。
それでは、また10年後に答え合わせをしましょう。
敬具
『1000年先も』
『──さんはさ、人間として生きて死にたかったんじゃないか?』
「今更ですね。でもまぁ、昔はそう願ってましたよ」
『昔は?』
「今は君と永遠を生きるのも悪くないと思いまして」
1000年先も、彼は16歳を繰り返す。
それは、オレが彼に掛けた呪いだから。
初めて彼と出会った時、彼は人間としての終わりを望んだ。だけどオレはどうしても諦めきれなくて、『転生』の呪いを彼に黙ってかけた。それから、彼は毎回彼のまま転生して、オレと恋人になった。
呪いのことは、一切教えなかった。
だけど、今世の彼はオレの呪いを見破った。
「どうして黙ってたんですか」
そう言って、彼はオレを叱った。呪い自体は責められなかった。
彼には、彼の信じる死後があったというのに。
オレを責めない代わりに、彼はオレに約束を取り付けた。
「1000年先も、いや、永遠に僕を隣に置いてくださいね」
───君のとなりには、僕以外ありえないのだから。
『I love』
彼の声が聞こえる。
もう二度と聞くことの無いと思っていた声。
僕だけに聞かせる、優しくて甘い甘い心地よい声。
最後に聞いた彼の声は、決してそんなものではなかった。
「──さん、あいしてる、」
「ほら、なんて言うんだっけ、I love ……」
『ここに居たぞ!』
彼がこの世から去る間際、必死こいて覚えたのであろう英語を呟いた。
然しそれは彼が去る原因となった者に掻き消され、肝心なところが聞こえなかった。
そこが聞こえないんじゃ、意味が無いよ。
どうして、ちゃんと聞きたかったよ。
この指輪も、直接渡してくれないと嫌だよ。
この呟きも、もう二度と彼には届かない。
だけど僕は、今日も彼の面影を探すのだ。
「ほら、覚えたんだぜ。I love ……」
聞き覚えのある声。ずっと探していた声。
聞き間違えるはずのない声が、僕の耳に届いた。
急いで後ろを振り返る。
そこに居たのは、彼の容姿と全く同じの、だけど住む世界が変わった彼だった。
「あのっ!!!」
気づけば僕は、彼の腕を掴んでいた。
どうしよう、何も考えていなかった。だけど、今話しかけなければ、もう会えない。
「僕、僕!あなたのことが好きです!!」
「……オレも。オレもだぜ、──さん。
I love you」
『街へ』
「街へ行こう」
そう言った彼の顔は、酷く悲しそうだった。
理由を聞いても、彼は何も言わずに微笑むばかり。
しょうがないから彼の手を取って、一緒に街へ下りた。
久しぶりに見る、沢山の人。誰も僕を行方不明の人間だとは認識していないようだった。
それも当然か。
僕がいなくなったのは、もう四十年も昔のこと。
僕の同級生だって、僕のことは覚えていないだろう。
覚えていたとしても、きっと僕を見ても分からない。
居なくなったあの日から、僕の見た目は変わっていないのだから。
「──さん、こっち」
ぼんやりと街ゆく人々を眺めていると、彼が僕に呼びかけた。
彼も当分街へは来ていないはずなのに、何処か宛があるような立ち振る舞い。もしかしたら、僕の知らないところで何度も街へおりていたのかもしれない。
そんなことを考えても答えは神のみぞ知ると言うように、答えは彼しか知り得ない。
「わかりました」
そう返事をして、僕はゆっくりと彼について行った。