柚大

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8/25/2023, 10:54:49 PM

「寝ている間に、動いているんだよ」

 僕がそう言うと、よくある話だね、と友人は紅茶を一口飲んだ。

「毎晩なのかい?」
「毎晩だ。しかも少しずつ近づいている」
「ふうん。努力家なんだな」

 パンケーキにメープルシロップをたっぷりとかけつつ、明後日の方向に相槌を打つ。僕が珈琲を啜りながら詳細を話すと、友人はうんうんと頷きながら、更に頓珍漢な返答をした。

「君のことが好きなのかもしれないね」
「好き? 普通は逆だろう」
「ベッドサイドまで来たんだろう? 君に危害を加えたいのだとしたら、もう十分に可能な距離じゃないか」
「ベッドサイドに辿り着いて、力尽きたのかもしれない。君の言う通り努力家だとしたら、今夜か明日にはもうひと頑張りして僕を殺すかも」

 そういう考えもあるなあ、と間延びした声で言いながら、友人はパンケーキを頬張った。

「一つの恋が終わるのか、それとも命が終わるのか。気になって眠れやしないな」
「じゃあ、今晩泊まって一緒に見届けてくれよ」
「とばっちりはごめんだ」
「やはり危ないと思っているんじゃないか」

 まあまあ、と口の端にシロップを付けた間抜け面で僕を宥める友人だったが、ふと真顔になり、何かを考えるように視線を宙に向ける。

「どうしたんだい」
「いや──ちょっと試したいことがあって。一度解散しよう」
 
 そう言って残りのパンケーキを一気に食べ、友人は席を立つ。
 その顔が悪戯っぽい笑みを浮かべていたので、僕は少し不安になった。


 三十分後、友人は古い木箱を持って僕の部屋を訪れた。

「何だい、それは」
「ああ、この子かい」

 僕の問いを無視して、友人は棚の上に置いたビスクドールの顔を覗き込む。色素の薄い友人の横顔も人形のようで、少しどきりとした。

「なかなか美人じゃないか。やるねえ、君も」
「その箱は何なんだい」

 再度尋ねると、友人は振り返って、にやりと笑う。

「ライバルだよ」

 そう言いながら、友人は箱を開けて中身を──妙に煤けた日本人形を、取り出した。
 ビスクドールの隣に置いた時計を下ろし、代わりに日本人形を置いて、二体を向かい合わせる。黒を基調としてシンプルに揃えた部屋の中で、そこだけが異様な空気を放っている。

「これでよし」
「よくないよ。何なんだい、その人形は」
「同じようなやつだよ。このお嬢さんが君に恋をしているにせよ、殺そうとしているにせよ、互いに牽制しあってくれるかもしれない」
「同じって、動くのかい?」
「らしいよ」

 事も無げに言う友人に、僕は顔をしかめる。放り出された箱に目をやると、内側に煤けたお札がびっしりと貼られていた。
 どこでそんなものを手に入れたのか。聞こうと思ったが、関わりたくなかったのでやめた。

「結託して僕を殺すかもしれないだろう」
「まあ、その時はその時さ」

 快活に笑いながら、友人は日本人形の頭をぽんぽんと叩く。

「それじゃあ、明日また来るよ。この時期は、発見が遅れるとすぐ腐る」
「やっぱり泊まっていかないか」
「何だい。君、こういうのを怖がる質じゃないだろう」
「死ぬかもしれないとなったら別だよ」
「大丈夫。死んでも私達は友達だ」

 やはり頓珍漢な返答をして、友人は本当に去っていった。
 不気味な日本人形と木箱をそのままにして。



 翌日。
 連打されるインターフォンの音で目を覚まし、寝起きの僕の顔を見て些か残念そうな様子の友人を迎え入れる。

「これは凄い!」

 部屋に入るなり、友人は叫んだ。
 首のちぎれたビスクドールと四肢を喪った日本人形は、二体仲良く棚の下に転がっていた。パーツは点々と部屋を横断し、ビスクドールの頭と日本人形の右手が、ベッドの下まで辿り着いている。

「執念だな。君、物音や気配で起きなかったのかい」
「快眠だったね」

 図太いな、と友人は笑うと、ばらばらになった人形二体を寄せ集め、木箱にぎゅうぎゅうと詰め込んだ。

「今日はちょうど、燃えるゴミの日だ。このまま捨てよう」
「それでいいのかい? お祓いとか、そういうものは」
「いいよ。多分、もう空っぽだ。仮に残っているとしても、燃やせばお仕舞いさ」

 ねえ、と友人は人形の残骸に声をかける。
 僕には一瞬、箱の中の二体が友人を睨んでいるように見えた。だが友人が直ぐに箱の蓋を閉めたので、気のせいだと思うことにした。 
 
「毒をもって毒を制す、だね。私は君の命の恩人になるわけだ」
「恋がどうこうと言っていたくせに」
「君を怖がらせないための優しさじゃないか」

 適当なことを言うなあ、と僕は肩を竦める。
 友人は勝手にキッチンからゴミ袋を持ってくると、木箱を入れてサンタクロースのように担いだ。
 そのまま玄関に向かう背中に声をかける。
  
「まあ、終わったならいいよ。ありがとう、助かった」

 一息つこうと、ベッドに座る。  
 すると友人がくるりと振り向き、それはどうかな、と呟いた。

「ビスクドールの左目がなかった」
「え?」
「まだこの部屋のどこかで、君のことを見ているってことさ」

 そう言って微笑むと、友人はばたんと大きな音を立ててドアを閉めた。
 残された僕は、部屋を見回し、ベッドの下を覗く。
 友人が木箱を閉める前。人形の顔を見たが、両目は揃っていただろうか。いや、そもそも、あの人形はどんな顔をして、どんな服を着ていた?
 いやいや、と首を振る。いくら何でも、片目がなければ気付くだろう。きっと、友人の質の悪い冗談だ。
 そう思ってはいるが。

『執念だな』

 ベッドの傍に落ちたビスクドールの頭を見て友人が言った言葉。それを思い出し、再び部屋をぐるりと見回す。
 一瞬、何かと目が合ったような気がして、僕はそっと視線を落とした。



 
『向かいあわせ』
 

 



8/24/2023, 11:34:37 AM

「この感情を何と呼べばよいのか、わかりません」


 皆の前に立つ男は、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
 誰も言葉を発することはない。
 私も黙って聞いている。


「恐怖とは違います。いや、怖いんですけどね。でも、先程たくさん話を聞いていただきましたから。怖いのはもういいんです」

 
 強がりだろうが、それを咎める者は誰もいない。
 ただ、と男は声を震わせる。


「家で一人死んだ妻のことを思うと──怒りとも悲しみともつかない、苦しさが募るのです。なぜ最後の時に傍にいられなかったのか。いや、そもそも──妻を死に追いやったのは私です。私のせいで死んだ。でも今更それを悔いたところで、妻は生き返らないのです。どうしようもない。それがとても──辛くて、悔しくて、悲しい」


 私は左右の同僚を見た。
 皆、俯き床をじっと見つめている。
 男の言葉を聞いているのか。
 それとも、早く終われと耳を閉ざしているのか。

 男はふぅ、と大きく息を吐いた。
 少しの沈黙。
 やがて男は口を開く。
 

「遺族の方々も、同じ思いだったんでしょうね」


 申し訳ないことをした。
 そう言ってから、男は以上です、と呟いた。
 そして私達に、合図が入る。



 何が同じだよ。



 私は他の四人と共にボタンを押す。
 壁の向こうで、ガタン、と落ちる音がした。
 


『やるせない気持ち』

8/15/2023, 2:33:22 AM

 あの頃は、自転車に乗って何処へでも行くことができた。
 学校が終われば家まで走り、玄関にランドセルを放り投げ、愛車で勢い良く坂を上る。友人と合流し、路地裏を我が物顔で走り抜ける。暑さも寒さも気にならないほど、全身に浴びる風が心地よかった。自転車で走ること、それ自体が遊びだった。

 移動を億劫に感じるようになったのは、いつからだろう。大人になり、免許を取ってからは、自転車に乗ることもほとんどなくなった。毎日車の中で渋滞に苛つき、たまに電車に乗れば人混みに揺られて目を瞑るだけ。のんびり景色を見ることすら、減ったように思う。
 そんな私が子供の頃の記憶を辿って森の中を歩くことになるとは、思いもしなかった。

 既に辺りは暗い。懐中電灯で足元を照らしながら、静寂に耳を澄ませる。
 昔は、鳥や虫の声がひっきりなしに聞こえていた。時折、獣が枝を踏む音に息を潜めることもあった。だが、今は何もない。草木以外の命の気配が、まるで感じられない。皆、私という侵入者に警戒し、鳴りを潜めているのだろう。だがそれは、この二十年で人間という存在が彼らにとっての驚異になったことを意味する。
 変わったのは、私だけではないのだ。

 毎日通った駄菓子屋は、買い手のいない更地に。
 魚を捕まえた川は、土砂崩れで立ち入り禁止に。
 肝試しをした廃工場は、ショッピングモールに。
 思い出の場所は次々と姿を消し、一緒に遊んだ友人との関係も、今ではすっかり変わってしまった。
 唯一変わらずに残っているのが、この森だ。
 鬱蒼と繁る木々に隠された獣道。少し進んだ先の開いた場所に作った、二人だけの秘密基地。

 泥濘(ぬかるみ)に注意を払いながら、傾斜のある獣道を降りていく。足元に気を取られていると、何かが顔や手に纏わりつく。大きな蜘蛛が巣を張っていたようだ。どうやら暫くの間、人は通ってないらしい。新たに子供達が秘密基地を作っているかもしれない──そう思っていた私は安堵したが、同時に小さな寂しさも感じた。
 私が死ねば、この場所を知る者はいなくなるのかもしれない。

 大人の足で歩くと、当時長く感じた秘密の通路はあっという間に終わった。高い木々に覆われ、周囲から切り取られた広場。月明かりに浄化されているのか、少し湿り気を含んだ空気に心地よさすら感じる。夜に訪れるのは初めてだが、確かにここは私達の秘密基地だ。
 だが、枝葉で作った小さな隠れ場は、とうの昔になくなっていた。獣が荒らしたのか、雨風に晒され崩れたのか。どちらにせよ、その面影はどこにもなかった。二十年以上経っているのだから、当たり前だ。他の場所と少しばかり土の色が違うのが、唯一の名残だろうか。

 目を閉じて、当時のことを思い出す。
 実を言うと、あの頃の記憶がしっかりと残っているわけではない。この場所での出来事を思い出そうとすると、楽しかったという漠然とした感情が先行し、それが具体的なエピソード達に薄く靄(もや)をかけてしまう。この場所を見つけたのはどちらだったか、何故他の友人には教えなかったのか、いつから来なくなったのか──そうした疑問がふと浮かび、答えのないまま靄の向こうに消えていく。
 だが、それで良かったのだと思う。もし友人との記憶が鮮明に残っていたなら、私は今この場所を訪れることはできなかったかもしれない。美しい思い出のまま、記憶の彼方に追いやることを選んだかもしれない。
 
 私はゆっくりと目を開けた。
 何もない広場に一瞬、小さな隠れ家と、その中で笑う子供が見えた気がした。

 私にとって、ここは忘れられない場所だ。
 これまでも、これからも。



「まさか、またここに二人で来るとはな」

 肩に背負ったブルーシートに声をかけ、私は笑った。



『自転車に乗って』

8/7/2023, 2:28:27 PM


「こうなることは、最初から決まっていたのですね」

 紅梅色の唇を震わせながら、女は叫んだ。
 握りしめた手先が白んでいるのを見つめながら、男は諭すように言葉を並べる。

「それが、運命というものです」
「詭弁だわ」

 ひときわ大きな声で叫ぶと、女は男を睨む。

「何が運命だと言うのです。貴方の掌で転がされることの、何が運命だと? 神様でもなったおつもり?」
「神を名乗るなど、畏れ多い。私はただ──」
「ただ、何ですか!」

 琥珀色の瞳は怯えに満ち、抑えきれぬ怒りが涙になって溢れていく。男がどう取り繕おうとも、最早その耳に届くことはないだろう。
 男は諦め、女から視線を逸らした。

「いつからです? 父に近寄ったのも偶然じゃなかったのでしょう。会社の経営が傾いたことは? 母の墓参りで会ったことは? まさか、母の死も、あな──」





「これで七人目でございますよ」

 窘めるような口調で言いながら、世話係のメイドは窓を開ける。
 木々に濾過された涼やかな風が部屋の中を駆け巡り、微かにあった鉄の匂いを追い出していく。

「今度こそ、運命だと思ったのに」
「自立した強い女性が良いと、坊っちゃんが我儘を仰るからですよ。もっと流されやすい──いえ、ロマンチストなお嬢さんをお選びになればよろしいのに」

 男は罰が悪そうに項垂れながら、仕方がないだろう、と呟いた。

「君みたいにしっかりした女性の方が、優柔不断な僕には良いと思うんだ」
「それはごもっともでございますがね。庭がいっぱいになる前に、運命の相手を見つけていただかないと困ります」

 濡らした布巾で床を拭きながら、メイドは軽口を叩く。
 窓の外で土を掘る使用人達をぼんやり眺めた後、男はメイドの方に向き直った。

「いつもすまないね。昔から君には迷惑ばかりかけている」
「あら、構いませんわ」

 布巾をバケツに放って立ち上がると、メイドは男の隣に立ち、窓を閉めた。

「このお屋敷にお仕えすることになった時から、坊っちゃんの役に立つと決めておりましたから」

 そう言いながら、メイドは男に視線を向け、朱色の紅を引いた薄い唇を歪める。その蠱惑的な動きを目で追いながら、男はふと考えた。

 失踪したという前任の世話係は、果たして本当に逃げたのだろうか。


「こうなることは、最初から決まっていたのでしょう」

 運命でございますわね、とメイドはどこか嬉しそうに笑った。

 


『最初から決まっていた』
 

8/5/2023, 12:05:13 PM

あなたに私の声は届いていますか。

私をつくってくれたのは、優しい人でした。
大切な人を喪い、悲しみ、苦しんだ人でした。
もう誰も、同じ痛みを味わうことのないように。
そう願って私をつくった、優しい人でした。

私の体は、たくさんの人に与えられました。
誰もが悲しみのない世界を求めて。
きっとそんな世界が来ると信じて。
私の体には、たくさんの思いが込められました。

私は、本当は知っています。
今もどこかで、誰かが苦しんでいる。
沢山の人が悲しみ、傷つき、泣いている。
それでも私には、歌うことしかできないのです。
この声が、全ての人に届くことを信じて。


あなたに私の声は届いていますか。
私はいつだって、あなたのために歌うのです。

あなたの耳に、あなたの心に、
どうか私の声が届きますように。


『鐘の音』 


8月6日、広島県で平和記念式典が行われます。
平和の鐘の音が、あなたにも届きますように。

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