柚大

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「寝ている間に、動いているんだよ」

 僕がそう言うと、よくある話だね、と友人は紅茶を一口飲んだ。

「毎晩なのかい?」
「毎晩だ。しかも少しずつ近づいている」
「ふうん。努力家なんだな」

 パンケーキにメープルシロップをたっぷりとかけつつ、明後日の方向に相槌を打つ。僕が珈琲を啜りながら詳細を話すと、友人はうんうんと頷きながら、更に頓珍漢な返答をした。

「君のことが好きなのかもしれないね」
「好き? 普通は逆だろう」
「ベッドサイドまで来たんだろう? 君に危害を加えたいのだとしたら、もう十分に可能な距離じゃないか」
「ベッドサイドに辿り着いて、力尽きたのかもしれない。君の言う通り努力家だとしたら、今夜か明日にはもうひと頑張りして僕を殺すかも」

 そういう考えもあるなあ、と間延びした声で言いながら、友人はパンケーキを頬張った。

「一つの恋が終わるのか、それとも命が終わるのか。気になって眠れやしないな」
「じゃあ、今晩泊まって一緒に見届けてくれよ」
「とばっちりはごめんだ」
「やはり危ないと思っているんじゃないか」

 まあまあ、と口の端にシロップを付けた間抜け面で僕を宥める友人だったが、ふと真顔になり、何かを考えるように視線を宙に向ける。

「どうしたんだい」
「いや──ちょっと試したいことがあって。一度解散しよう」
 
 そう言って残りのパンケーキを一気に食べ、友人は席を立つ。
 その顔が悪戯っぽい笑みを浮かべていたので、僕は少し不安になった。


 三十分後、友人は古い木箱を持って僕の部屋を訪れた。

「何だい、それは」
「ああ、この子かい」

 僕の問いを無視して、友人は棚の上に置いたビスクドールの顔を覗き込む。色素の薄い友人の横顔も人形のようで、少しどきりとした。

「なかなか美人じゃないか。やるねえ、君も」
「その箱は何なんだい」

 再度尋ねると、友人は振り返って、にやりと笑う。

「ライバルだよ」

 そう言いながら、友人は箱を開けて中身を──妙に煤けた日本人形を、取り出した。
 ビスクドールの隣に置いた時計を下ろし、代わりに日本人形を置いて、二体を向かい合わせる。黒を基調としてシンプルに揃えた部屋の中で、そこだけが異様な空気を放っている。

「これでよし」
「よくないよ。何なんだい、その人形は」
「同じようなやつだよ。このお嬢さんが君に恋をしているにせよ、殺そうとしているにせよ、互いに牽制しあってくれるかもしれない」
「同じって、動くのかい?」
「らしいよ」

 事も無げに言う友人に、僕は顔をしかめる。放り出された箱に目をやると、内側に煤けたお札がびっしりと貼られていた。
 どこでそんなものを手に入れたのか。聞こうと思ったが、関わりたくなかったのでやめた。

「結託して僕を殺すかもしれないだろう」
「まあ、その時はその時さ」

 快活に笑いながら、友人は日本人形の頭をぽんぽんと叩く。

「それじゃあ、明日また来るよ。この時期は、発見が遅れるとすぐ腐る」
「やっぱり泊まっていかないか」
「何だい。君、こういうのを怖がる質じゃないだろう」
「死ぬかもしれないとなったら別だよ」
「大丈夫。死んでも私達は友達だ」

 やはり頓珍漢な返答をして、友人は本当に去っていった。
 不気味な日本人形と木箱をそのままにして。



 翌日。
 連打されるインターフォンの音で目を覚まし、寝起きの僕の顔を見て些か残念そうな様子の友人を迎え入れる。

「これは凄い!」

 部屋に入るなり、友人は叫んだ。
 首のちぎれたビスクドールと四肢を喪った日本人形は、二体仲良く棚の下に転がっていた。パーツは点々と部屋を横断し、ビスクドールの頭と日本人形の右手が、ベッドの下まで辿り着いている。

「執念だな。君、物音や気配で起きなかったのかい」
「快眠だったね」

 図太いな、と友人は笑うと、ばらばらになった人形二体を寄せ集め、木箱にぎゅうぎゅうと詰め込んだ。

「今日はちょうど、燃えるゴミの日だ。このまま捨てよう」
「それでいいのかい? お祓いとか、そういうものは」
「いいよ。多分、もう空っぽだ。仮に残っているとしても、燃やせばお仕舞いさ」

 ねえ、と友人は人形の残骸に声をかける。
 僕には一瞬、箱の中の二体が友人を睨んでいるように見えた。だが友人が直ぐに箱の蓋を閉めたので、気のせいだと思うことにした。 
 
「毒をもって毒を制す、だね。私は君の命の恩人になるわけだ」
「恋がどうこうと言っていたくせに」
「君を怖がらせないための優しさじゃないか」

 適当なことを言うなあ、と僕は肩を竦める。
 友人は勝手にキッチンからゴミ袋を持ってくると、木箱を入れてサンタクロースのように担いだ。
 そのまま玄関に向かう背中に声をかける。
  
「まあ、終わったならいいよ。ありがとう、助かった」

 一息つこうと、ベッドに座る。  
 すると友人がくるりと振り向き、それはどうかな、と呟いた。

「ビスクドールの左目がなかった」
「え?」
「まだこの部屋のどこかで、君のことを見ているってことさ」

 そう言って微笑むと、友人はばたんと大きな音を立ててドアを閉めた。
 残された僕は、部屋を見回し、ベッドの下を覗く。
 友人が木箱を閉める前。人形の顔を見たが、両目は揃っていただろうか。いや、そもそも、あの人形はどんな顔をして、どんな服を着ていた?
 いやいや、と首を振る。いくら何でも、片目がなければ気付くだろう。きっと、友人の質の悪い冗談だ。
 そう思ってはいるが。

『執念だな』

 ベッドの傍に落ちたビスクドールの頭を見て友人が言った言葉。それを思い出し、再び部屋をぐるりと見回す。
 一瞬、何かと目が合ったような気がして、僕はそっと視線を落とした。



 
『向かいあわせ』
 

 



8/25/2023, 10:54:49 PM