〈冬支度〉
だんだん寒くなってきた。母さんが言ってた「冬」とか言う物がどうやらもうすぐやってくるらしい。
僕がまだ母さんと兄弟達といた頃、母さんは生きる為に必要なことを色々教えてくれた。その一つが、「寒くなってきたら食べ物を沢山溜めて、冬支度をしなさい。冬になったら食べ物が無くなるからね」だった。だから、僕はその教えに従う事にした。
僕のナワバリの透明な箱の外にいる「人間」とか言う巨大な生き物が、ガサガサと音を立てた。とうとう僕が一番大好きな時間が来た!
「ハムちゃん、ごはんだよー」
いつも通り、鳴き声みたいな変な音を出しながら人間は美味しいものを沢山お皿に入れてくれた。今日のご飯はペレット、穀物数種類、小さめのひまわりの種だ。本当は全部食べてしまいたかったけれど、生きる為には母さんの教えに従わなきゃ。僕はほんの少しだけ食べずに残して、巣箱の食べ物スペースに置いておいておいた。食後のブロッコリーもお気に入りの茎だけ食べて、もしゃもしゃの部分は残しておいた。
数日後、僕の食べ物スペースはいっぱいになった。お腹が空いたら時々食べてるけれど、これだけあればきっと冬もお腹いっぱいで過ごせるだろう。それにしても、なかなか寒くならないな、と思いながら僕は眠った。
「ハムちゃん、部屋んぽの時間だよ」
人間の声が聞こえてきた。確かこの鳴き声の後は外に出して貰えるはずだ。久しぶりに「秘密のナワバリ」の探索に行ける!僕は大喜びで外に飛び出した。
「あ、ハムちゃんこんなに溜めてる!腐ったらいけないから捨てとくね」とか言ってる声が聞こえた。どういう意味かは分からないけど、僕は全く気にしなかった。
まだ外に居たかったのにひどい人間は僕を無理矢理箱の中に戻した。さて、溜めてたご飯でもつまもうかな、と巣箱に戻ると、そこは僕の巣箱ではなかった。食料スペースが空になってる!僕はパニックになって外の人間に訴えた。
「僕のお家を返して!」
でも人間は
「可愛いね〜」
というだけで動こうとしない。仕方が無いので僕のものではない巣箱に戻った。そこでふと気がついた。僕の匂いがする。ということはここはやっぱり僕の家だ。なら、溜めてたご飯は人間が横取りしたのかもしれない。今度手をガジガジしてやる!と僕は憤慨しながらもう一度冬支度をやり直す事にした。
ほぼ実話です。暖房が効いてるのでハムスターは冬支度をする必要は無いのですが、冬が近づくと溜める量が増えてました。可哀想ですがいつも捨ててました。
ハムちゃん、ごめんなさい。
〈時を止めて〉
「残念ながら、娘さんの病気を治す手段はありません」
不安そうな顔の両親に医者が静かに告げた。その後ろのベッドではすっかり痩せ細った妹が青い顔をして横たわっている。
「そんな…」
母が消え入りそうな声で呟いた。
「本当に、治療方法は何も無いのですか?昔、同じ病気だったと言う貴族が何かの薬を飲んで治ったと言う話を聞いたことがあるのですが。」
「その伝説の薬は現在作ることはできません。材料となる薬草はここから遠く離れた『閉ざされた森』の奥深くにあると言います。山賊や肉食獣から逃げてそこまでたどり着ける者はいないでしょうから。」
「その植物について詳しく教えて下さい。」
私は前のめりになって質問した。
「薬草の名前は忘れてしまいましたが、確か夜になると白く光る、炎の様な形の花の植物だったと思います。その花の蜜を煎じて飲めば治るとか。しかし、そんなこと聞いてどうするのですか?ただの商人の娘が取りに行けるものではないのですよ」
医者の最後の言葉を聞く前に私は部屋に駆け込み、支度を始めた。愛用のカバンに着替えや食料、水、財布、ナイフなどを詰め込む。
「じゃあ、瞬間移動するね。いつもみたいにすぐに帰ってくるから。」
両親が慌てて止めた。
「でも、そんな遠くまでは移動出来ないって言ってたじゃない!」
「妹の為に何でもするのは当たり前でしょ」
父が口を開きかけたところで私はパチンと指を鳴らした。その途端、世界の全てが止まった。
私の能力は瞬間移動ではなく、時間停止だ。能力を偽っているのは、過去に私と同じ能力を持つ男が危険人物と見なされ、処刑されたからだ。幸い、瞬間移動も時間停止も周りの人には同じように見える為、今までバレなかった。
止まっている両親と医者の間をすり抜けてドアを開けた。最後に妹の方を振り向く。病気になる前に彼女が言っていた言葉を思い出す。
「私、大きくなったら先生になりたい!だから今いっぱい勉強頑張るんだ」
頑張り屋の妹なら病気さえ治れば良い先生になれるだろう。何としてでも薬を見つけ出そう。
見慣れた町には人が溢れていたが、誰一人として動かなかった。私は地図を片手に『閉ざされた森』へと淡々と歩いて行った。
しばらく歩くと全く知らない場所まで来た。お腹が空いてきたので、ふんぞり返ったまま固まっている貴族の馬車から、上質な白パンと見るからに甘そうな果物のお菓子を失敬した。あのような人ならば多少物が無くなっても気がつかないだろう。今まで食べたことの無いご馳走は当然最高だったが、誰ともその美味しさを共有出来ないのは寂しかった。
その様にしてかなりの距離を進み、ついに例の森に辿り着いた。途中見つけた山賊達が持っていた長持ちしそうなランプを片手に不気味な森へ入って行った。
静寂にはもう慣れたつもりだったが、この森の静けさには恐怖を感じた。そんなこと有り得ないのだが、何処かでお腹を空かせた肉食獣が待ち構えている様な気がした。
ふと目の前に光が現れた。ランプの様な人工的な光では無い。月の様な、神秘的な輝きだった。光を放っていたのは炎の様な形の花だった。これこそがずっと探し求めていた薬草に違いない。私は喜びのあまり手が震えるのを抑えてそれを数本摘んだ。良かった。これで妹は夢を叶えられる。
私は来た道を大急ぎで戻って行った。歩いても走っても時間は変わらないのだが、目的がやっと達成された今は早く家族に会いたくて仕方が無かった。
家に着き、服装を家を出た時と同じにすると私はすぐ指を鳴らした。その途端、また世界が動き出した。実際は1秒も立っていないのだが、人や鳥の声を聞き、風を感じるのは数年ぶりの様な気がした。ドアを開けると私はすぐに両親に抱きついた。二人はまだ何が起こっているのか分からず、混乱している様だった。
「私、やったよ!薬草見つけたよ」
私の言葉に、悲しみに沈んでいた両親の目が輝き、聞き取れないほど次々に驚きや感謝の言葉を言った。
目の前の出来事を口を開けたまま眺めていた医者に薬を煎じる様に早口でお願いし、妹のそばへ駆け寄った。相変わらず顔色は悪かったが、久しぶりに妹の顔を見れて本当に嬉しかった。
医者が作った薬を彼女の小さな口に流し込むと、顔色がみるみるうちによくなり、以前の様に頬が桃色になった。
「お姉ちゃん!身体がすごく軽い!どこも痛くないし、熱くない!一体何が起こったの?」
私は興奮する妹を抱きしめ家族皆でこの喜びを分かち合った。
それからすぐに妹は完治し、また先生になりたいと言う夢を追いかけ始めた。私はあれから時を止めていない。賑やかな日常の幸せを噛み締めている今、もう一人の静かすぎる世界は感じたく無かった。
〈キンモクセイ〉
窓を開け、振り返ると見知らぬ少女が立っていた。可愛らしいオレンジ色の服を秋風になびかせながら彼女はにっこりと笑った。いきなり見知らぬ人が入ってきたりしたら普通なら悲鳴を上げるところだが、どう言うわけか彼女に対して恐怖心は感じなかった。むしろ、なんだか優しく包まれている様な気がした。
「貴方は誰?」
私は勇気を出して尋ねてみた。
「私は妖精」
彼女の声を聞くと不思議と心が落ち着いた。
「貴方がいつも頑張っていること、知っているよ。ずっと見守っているからね」
「え?」
窓から強い風が吹き込み、机上のプリントが今にも飛ばされる。急いで窓を閉め振り返ると、いつの間に少女は消え、甘い香りだけが残っていた。
私は彼女が言った言葉を頭の中で反芻した。まるで私が落ち込んでいたことを知っているかのような言い方だった。彼女は妖精だと名乗ったが、よく考えたらそんなのはあり得ない。きっと幻だったのだろう。そう結論付けて私は勉強に戻った。さっきまでの落ち込んだ気持ちが消えたからか、いつもの様な苦には感じなかった。
しかし、どうやら少女は幻では無かった様だ。それからというもの、彼女は私の気分が沈んでいる時には部屋に現れるようになった。残念な事に、初めて会った時の様にすぐに消えてしまうが、彼女と話すといつも嫌なことを忘れ、前向きになれた。
ある日家に着くと、風が甘い香りを運んできた。彼女が去った後に残る、あの香りだ。自然と足は庭の奥へと進んでいった。そこは雑草だらけで、地味な木が一本生えているだけなので滅多に来ない。しかし驚いた事に、突然目の前に美しい木が現れた。小さなオレンジ色の花が咲き乱れている。あの、今まで気にしたこともなかった普通の木はキンモクセイだったのだ。
その木の下にあの少女が座っていた。私に気がつくと彼女はあの可愛らしい顔で笑った。
「キンモクセイの妖精だったんだね」
彼女はそっと頷いた。
「貴方が生まれる少し前に、貴方のひいおじいさんが私を植えてくれた。私を大切にしてくれていた彼が貴方を大切にしてたから、ずっと見守っていたのよ。」
「これからはここにくればいつでも会える?」
彼女は少し寂しそうに笑った。
「私はキンモクセイの花の妖精。だから花の盛りにしかここには来れない。明日には散るだろうから会えるのは今日が最後。だからまた来年会いに来て。」
その日から彼女は本当に現れなくなってしまった。
それでも私は毎日のようにあの木のところへ行き、そっと話しかけた。
「いつも見守ってくれてありがとう」
そう言うと何だかあの少女が笑い返してくれている様な気がした。
〈終わらない問い〉
「人は役目があって生まれてくる」というのはよく聞く言葉だが、これが私にも当てはまっているのか時々分からなくなる。
私の周りには凄い人たちがたくさんいる。自分の才能を見つけている人ならば、彼らから刺激を受けて自分を高めることができるのかもしれない。だが、平凡な私はこんな人間がこんな人たちと一緒にいても良いのだろうか、と逆に不安になってしまう。
本当に私には役目があるのだろうか。中学生の時の努力家の私のままならば、何か小さなことなら成し遂げられたかもしれない。でも、スマホという名の小さな板に依存し、努力を忘れてしまった現在の自分は社会の役に立つどころか邪魔になってしまうような気がする。
でもそんな気持ちとは反対に、こんな私でも何か出来るはずだ、という謎の自信も存在している。顔も頭の良さも運動神経も平均以下だが、それでも私にしか無い良さも持ち合わせているはずだ。それを見つけ、うまく活かすことができれば何らかの形で社会の役に立てるかもしれない。
私は何のために生まれてきたのだろうか。どんな役目を果たすために生きているのだろうか。答えはこの世から旅立つ時まで分からないかもしれない。それでも、自分の存在意義をぼんやりとでも見つけ、有限の人生を無駄にしないように、私はこの終わりがなさそうな問いを自分自身に投げ続けようと思う。
〈秋風🍂〉
秋風が吹き、落ち葉が舞い上がる。透き通った冷たい空気を感じて、私はなんだかワクワクした。
どうしてだか分からないが、秋風が吹くと非日常的なことが起こるような気がして胸が膨らむ。最近読んだファンタジー小説が寒いところが舞台だったからかもしれないし、幼い頃に落ち葉拾いやどんぐり集めが大好きだった名残りかもしれない。
秋風に巻き上げられた落ち葉が空高く舞う。このまま私も異世界にでも連れていってくれないものかと思ったが、当然何も起こらない。結局いつも通り駅に着き、いつも通り電車に乗る。私は少しだけガッカリした。
入学当初は毎日輝いていた学校生活も、段々飽きてきてしまった。この謎の冒険心を満たすために小説を読み始めたら、勉強時間が減り、友達との会話に参加する回数も減ってしまった。読書は良いことも沢山あるが、ハマりすぎると時々日常生活に悪影響を及ぼす。やはり、この何かをしたいと言う衝動は実際に行動しないと満たせないのだろう。
折角だからこの機会に何か新しいことでも始めてみようか。