ぽんまんじゅう

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〈時を止めて〉


 「残念ながら、娘さんの病気を治す手段はありません」
不安そうな顔の両親に医者が静かに告げた。その後ろのベッドではすっかり痩せ細った妹が青い顔をして横たわっている。
「そんな…」
母が消え入りそうな声で呟いた。
「本当に、治療方法は何も無いのですか?昔、同じ病気だったと言う貴族が何かの薬を飲んで治ったと言う話を聞いたことがあるのですが。」
「その伝説の薬は現在作ることはできません。材料となる薬草はここから遠く離れた『閉ざされた森』の奥深くにあると言います。山賊や肉食獣から逃げてそこまでたどり着ける者はいないでしょうから。」
「その植物について詳しく教えて下さい。」
私は前のめりになって質問した。
「薬草の名前は忘れてしまいましたが、確か夜になると白く光る、炎の様な形の花の植物だったと思います。その花の蜜を煎じて飲めば治るとか。しかし、そんなこと聞いてどうするのですか?ただの商人の娘が取りに行けるものではないのですよ」
医者の最後の言葉を聞く前に私は部屋に駆け込み、支度を始めた。愛用のカバンに着替えや食料、水、財布、ナイフなどを詰め込む。
「じゃあ、瞬間移動するね。いつもみたいにすぐに帰ってくるから。」
両親が慌てて止めた。
「でも、そんな遠くまでは移動出来ないって言ってたじゃない!」
「妹の為に何でもするのは当たり前でしょ」
父が口を開きかけたところで私はパチンと指を鳴らした。その途端、世界の全てが止まった。
 私の能力は瞬間移動ではなく、時間停止だ。能力を偽っているのは、過去に私と同じ能力を持つ男が危険人物と見なされ、処刑されたからだ。幸い、瞬間移動も時間停止も周りの人には同じように見える為、今までバレなかった。
 止まっている両親と医者の間をすり抜けてドアを開けた。最後に妹の方を振り向く。病気になる前に彼女が言っていた言葉を思い出す。
「私、大きくなったら先生になりたい!だから今いっぱい勉強頑張るんだ」
頑張り屋の妹なら病気さえ治れば良い先生になれるだろう。何としてでも薬を見つけ出そう。
 見慣れた町には人が溢れていたが、誰一人として動かなかった。私は地図を片手に『閉ざされた森』へと淡々と歩いて行った。
 しばらく歩くと全く知らない場所まで来た。お腹が空いてきたので、ふんぞり返ったまま固まっている貴族の馬車から、上質な白パンと見るからに甘そうな果物のお菓子を失敬した。あのような人ならば多少物が無くなっても気がつかないだろう。今まで食べたことの無いご馳走は当然最高だったが、誰ともその美味しさを共有出来ないのは寂しかった。
 その様にしてかなりの距離を進み、ついに例の森に辿り着いた。途中見つけた山賊達が持っていた長持ちしそうなランプを片手に不気味な森へ入って行った。
 静寂にはもう慣れたつもりだったが、この森の静けさには恐怖を感じた。そんなこと有り得ないのだが、何処かでお腹を空かせた肉食獣が待ち構えている様な気がした。
 ふと目の前に光が現れた。ランプの様な人工的な光では無い。月の様な、神秘的な輝きだった。光を放っていたのは炎の様な形の花だった。これこそがずっと探し求めていた薬草に違いない。私は喜びのあまり手が震えるのを抑えてそれを数本摘んだ。良かった。これで妹は夢を叶えられる。
 私は来た道を大急ぎで戻って行った。歩いても走っても時間は変わらないのだが、目的がやっと達成された今は早く家族に会いたくて仕方が無かった。
 家に着き、服装を家を出た時と同じにすると私はすぐ指を鳴らした。その途端、また世界が動き出した。実際は1秒も立っていないのだが、人や鳥の声を聞き、風を感じるのは数年ぶりの様な気がした。ドアを開けると私はすぐに両親に抱きついた。二人はまだ何が起こっているのか分からず、混乱している様だった。
「私、やったよ!薬草見つけたよ」
私の言葉に、悲しみに沈んでいた両親の目が輝き、聞き取れないほど次々に驚きや感謝の言葉を言った。
 目の前の出来事を口を開けたまま眺めていた医者に薬を煎じる様に早口でお願いし、妹のそばへ駆け寄った。相変わらず顔色は悪かったが、久しぶりに妹の顔を見れて本当に嬉しかった。
 医者が作った薬を彼女の小さな口に流し込むと、顔色がみるみるうちによくなり、以前の様に頬が桃色になった。
「お姉ちゃん!身体がすごく軽い!どこも痛くないし、熱くない!一体何が起こったの?」
私は興奮する妹を抱きしめ家族皆でこの喜びを分かち合った。
 それからすぐに妹は完治し、また先生になりたいと言う夢を追いかけ始めた。私はあれから時を止めていない。賑やかな日常の幸せを噛み締めている今、もう一人の静かすぎる世界は感じたく無かった。

11/6/2025, 9:14:10 AM