ぽんまんじゅう

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〈キンモクセイ〉


 窓を開け、振り返ると見知らぬ少女が立っていた。可愛らしいオレンジ色の服を秋風になびかせながら彼女はにっこりと笑った。いきなり見知らぬ人が入ってきたりしたら普通なら悲鳴を上げるところだが、どう言うわけか彼女に対して恐怖心は感じなかった。むしろ、なんだか優しく包まれている様な気がした。
「貴方は誰?」
私は勇気を出して尋ねてみた。
「私は妖精」
彼女の声を聞くと不思議と心が落ち着いた。
「貴方がいつも頑張っていること、知っているよ。ずっと見守っているからね」
「え?」
窓から強い風が吹き込み、机上のプリントが今にも飛ばされる。急いで窓を閉め振り返ると、いつの間に少女は消え、甘い香りだけが残っていた。
 私は彼女が言った言葉を頭の中で反芻した。まるで私が落ち込んでいたことを知っているかのような言い方だった。彼女は妖精だと名乗ったが、よく考えたらそんなのはあり得ない。きっと幻だったのだろう。そう結論付けて私は勉強に戻った。さっきまでの落ち込んだ気持ちが消えたからか、いつもの様な苦には感じなかった。
 しかし、どうやら少女は幻では無かった様だ。それからというもの、彼女は私の気分が沈んでいる時には部屋に現れるようになった。残念な事に、初めて会った時の様にすぐに消えてしまうが、彼女と話すといつも嫌なことを忘れ、前向きになれた。
 ある日家に着くと、風が甘い香りを運んできた。彼女が去った後に残る、あの香りだ。自然と足は庭の奥へと進んでいった。そこは雑草だらけで、地味な木が一本生えているだけなので滅多に来ない。しかし驚いた事に、突然目の前に美しい木が現れた。小さなオレンジ色の花が咲き乱れている。あの、今まで気にしたこともなかった普通の木はキンモクセイだったのだ。
 その木の下にあの少女が座っていた。私に気がつくと彼女はあの可愛らしい顔で笑った。
「キンモクセイの妖精だったんだね」
彼女はそっと頷いた。
「貴方が生まれる少し前に、貴方のひいおじいさんが私を植えてくれた。私を大切にしてくれていた彼が貴方を大切にしてたから、ずっと見守っていたのよ。」
「これからはここにくればいつでも会える?」
彼女は少し寂しそうに笑った。
「私はキンモクセイの花の妖精。だから花の盛りにしかここには来れない。明日には散るだろうから会えるのは今日が最後。だからまた来年会いに来て。」
 その日から彼女は本当に現れなくなってしまった。
 それでも私は毎日のようにあの木のところへ行き、そっと話しかけた。
「いつも見守ってくれてありがとう」
そう言うと何だかあの少女が笑い返してくれている様な気がした。

11/5/2025, 9:38:40 AM