「お父さん、助けて…。私、殺しちゃったの…」 深夜の2時過ぎ。震える声の娘から電話がかかってきた今年の春から、大学生になったばかりの一人娘からだ。大学は、自宅から通える距離にあったが、 「大学生なんだから、独り立ちしたい」と懇願されて、自宅から車で10分ほどのマンションで一人暮らしすることを許した。電話の向こうで、娘が泣きながら説明を続ける。「暑かったから、ちょっとだけ窓を開けて寝ていたの…。そしたら、あいつが入ってきて…。私、逃げたのにあいつが追いかけてきて…。お父さん、助けて…私、あの虫けらを殺してしまったの…」 俺は、娘を落ち着かせ、車で娘のマンションに向かった俺は、娘のマンションにつくと、墨汁の入った水鉄砲で、監視カメラのレンズを黒くふさいだ。そして、娘の部屋のドアを小さくノックし、部屋に入る。室内は、争いの激しさを物語るように散乱していた。ーこういうリスクは、想定しておかなければいけなかった。やはり、娘の一人暮らしは、認めてはいけなかったのだ。俺は、床に転がる虫けらを、どのように始末するか考えた。心臓がバクバクするのが、自分でもわかる。しかし娘が泣いているのを放っておくことはできない。そしてゴム手袋をはめ、虫けらをティッシュでくるんだ。このままトイレに流してしまうのが一番だろう。何重かにした袋にくるんでも、ゴミ箱にこいつがいたら、娘は、安心できないだろうから。トイレがつまってしまうのは怖いが、仕方ない。俺は、あえて、にらむような表情で娘に言った。「虫けら」って、文字通りの「虫けら」なのか?ゴキブリの死骸も自分で始末できないなら、一人暮らしなんて、やめてくれよこんなことで、真夜中に、いちいちパパを呼び出さないでくれ!」
愛する夫の命の灯火が,あとわずかで消えることは,妻にも,はっきりわかった。夫は,最後の力を振り絞って妻に語りかけた。
「私の人生は,お前のおかげで幸せだったよ」 「これまで内緒にしていたが,銀行の貸金庫の中に,
売れば大金になる宝石がある。そのお金を生活費にあててくれ」 妻は,優しく微笑むと言った。しかし,その言葉は,夫の耳に届いたかはわからなかった。握った夫の手は,すでに冷たくなっていたからだ。 「貸金庫の宝石のことは知っているわ。だから,長い時間をかけて,あなたに毒を飲ませ続けてきたんだから」
妻が,オノマトペ症候群という奇妙な病気にかかった。「オノマトペ」というのは,擬音後のことで,妻は,何をしていても,自分の行動に合った擬音を声に出してしまうようになったのだ。歩く時は「テクテク」,見回す時は「キョロキョロ」,寝ている時さえ「スヤスヤ」と寝言で言う。しかも,擬音以外の言葉を話すことができない。とても珍しい病気で,治せる薬も医者も存在しない。手を尽くしても一向によくならない病状にイラ立ち,私はだんだんと妻に冷たくなり,暴力も振るうようになってしまった。妻は,「シクシク」と言いながら,毎日泣いた。それでも私の暴力は続いた。ある日,妻は「スクッ」と言って立ち上がった。 「テクテク…ガチャ。スッ…テクテク……」「おい, そんなもの持って来て,何をする気だ?」 「ダッダッダブルンブルン」 「やめろ,危ないだろ!そんなもの振り回すな! 」 「グサッ!」「痛いっ!」「グサッ!グサッ!」「うっ!」「ズバッ!グチャッ!グリグリ……」「や,やめてくれ……」「グサッ!グサッ!グサッ!…ケラケラケラケラ」
長男が作ったワラの家も,次男が作った木の家も,オオカミによって吹き飛ばされてしまった。2匹の子ブタは,自分たちが馬鹿にしていた,末の弟が作ったレンガの家は,オオカミがどんなに頑張っても,びくともしなかった。そして,夜になった。屋根の上で何者かが動き回っているようだ。末の弟の子ブタが,暖炉の火をおこし,大きな鍋をかけ,油を,ぐつぐつと煮込みはじめた。3匹は,息をひそめて待った。何者かが,勢いよくエントツを通って降りてくる。直後,悲鳴に絶望が重なったような叫び声が,レンガの家の中に響き渡った。 「熱い,熱い,助けてくれ!」赤い服を着て,白いヒゲをたくわえた,その老人は,荷物のたくさん入った大きな袋を置いたまま,家の外に飛び出して行った。その後3年間,世界の子ども達にクリスマスプレゼントが届くことはなかったという。そしてサンタクロースが,エントツを,くぐることもなくなり,全世界から,エントツつきの家は姿を,消していくことになるのだが,それはまた,別のお話である。
「胸が苦しくて,夜も眠れないんです。…原因はわかっているんです」僕は,女性医師の目を見て続けた。「恋の病なんです。先生を好きになってしまったんです」僕が冗談で言っているのではないことは,胸にあてた聴診器の鼓動から伝わっているはずだ。しかし,医師の表情からは,反応を読み取ることはできない。数秒の沈黙ののち,聴診器を外した女性医師が,突然,僕の手をつかんだ。僕は,緊張のあまり,身をこわばらせた。女性医師は,白く長い指を,僕の手首にあてると,さらに十数秒の沈黙ののち,不思議そうに首をかしげて言った。「何でだろう,脈がありませんね」