nada

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4/14/2024, 11:35:50 AM

God Hates US ? Alright then…
だから、それでもやっていける。やっていくしかないしやっていかざるをえないし、だから結局やっていける。
絶望の話だし希望の話だ。
生き物として乗り込んで駆け抜ける。もはやそこに許しは必要ない。況んや、どうして赦しなんているだろう、ずっとここにいるのに。すでにここにいるのに。ただいるだけだ。それだけがなんの脅威か。分別くさい神の手に委ねるのをやめろ。その分別を疑え。権力を与えられたそれが何に支えられているのか何を支えているのかよく見て考えろ。誰を利するのか何を強化するのか、誰を追いやるのか何の存在を消し去っているのか。
批判的に見ることでやっと読める文章がある、やっと見れる映画もやっと聞ける音楽も。絵画も。建物も。被服も。家具も家電も薬品も食品もありとあらゆる解釈もなにもかも。神が創造したなにもかもだ。やつらはわたしたちのことを消し去ったのだから、消し去っているのだと充分に指摘してくれ。ここにいるものを無視したことを、もっと強く、激しく指摘してくれ。そうしてやっとそれを手に取れるものが、そうしてやっと、ここにいるのだとおもえるものが、そうしてやっと、生き延びるものが、あらゆるところにあるのだから。

4/14/2024, 6:19:40 AM

ただ生活をさせろと訴えてるのに、頭の上を戦争の道具を飛ばす。よく見える!なんて、ひどく恐ろしいことだろう。見えないのもまた恐ろしいが、よく見えることを喜ぶなんて。ただ生活がしたいのだ。住居と食事に憩い、自由に考える時間を持ち、その自由さを謳歌できる安定を、せめてそこを目指す姿勢を、とそれだけだ。頭の上を飛び去るものなんて求めていない。上空に戦争の道具をなんて、それは、いつか落ちてくる。何かが。飛ぶ道具でさえ。今にも。今日にも。ただ、生活がしたい。

4/12/2024, 5:39:30 PM

まずはルワンダの追悼の行進のことを考える。それから、例えばスーダンのことを、たとえば、パレスチナのことを、たとえばミャンマーのことを、シリアのことを、香港のことを日々どこかで思い出すように考えること、ヨルダン川西岸のことを、オリーブのことを、ガザのことを、豊かな庭を、佇むロバを、胸に楔を打つように、けれどその美しさを、かつての、映画に残る、写真に残る、小説に残る、文字として残る、語りとして残る、そこを、そこの姿を、どうしてか胸に火を灯すように、思うこと。
入管のことを、撤去された慰霊碑のことを、認められなかった被害のことを、基地をつくる土砂にされる遺骨のことを、返されない遺骨のことを、認めてもらえないしかしあるべき権利のことを、バス停で亡くなられた人のことを、思うこと。
遠く、すぐそこにある、過去にも今ここにもたった今遠く空の下にもこんな地獄、それでもThisHellと歌ってくれるひとがいること。God hates us? Alright then…

4/10/2024, 2:56:12 PM

ふくふくと鼻を動かす犬がいて、嗚呼花粉症、犬は花粉症にならないかしらなるかしら、きっとならないといいけれど、と思ったりして、軽くなった肩と軽くしすぎてそわっとする背筋、歩道の割れ目がふわふわと頼りない色に染まっているのが見えて、新芽に押し出されて歩道に積もった葉はしっとりと湿り、秋から落ちずにいた団栗はもはやその姿もなくけれどしぶとく帽子だけは残り、漂う塵が目に入りそうでまじまじと見つめるのもためらわれるけど、今がチャンスと刈り込まれた街路樹、まだ静かなウロ、粘度を持ってゆれる水、影の色も湿気ていて、あのきっぱりとした境界線を懐かしく思い起こすと、曖昧な境目のほうがよほど恐ろしいのだと思いもする、つい先日残酷なほどに手入れされた土手にさわさわと草が伸びる、虫が渦を描いて飛ぶ、避けながら歩く脇を自転車が虫につっこんでいく、しかも二台も、もやもやとぶわぶわとあらゆる線を塗りつぶす勢いなのに、ここからと線をやたらと意識させられるから困ってしまう。ここもあそこもどこもここも、もわりと塵多い空気に輪郭を溶かすのに。

4/10/2024, 3:48:11 AM

誰よりも、ずっと?
Ugh
誰、名前を知らないひと、名前がはっきりしないひと、もしくは自分以外の不特定多数のひとたちのこと。かな。人類に使う語でもある。たぶん。
よりも、よりも?名前をしらない人よりも?不特定多数の人よりも?比較対象のことは何も知りませんと言った後に、それに優る、勝ると言葉を繋げることがどんなに不誠実か!
対象を知らずに比較しようとするとき、大抵、その対象には”理想ではない自分“を投影してる。だけど、そこに”誰“と名詞を乗せることで、あたかも実体があるかのように錯覚する。
実体もなければ実態もない。強いて言うなら誰かは自分だが、自己像なんてつねに揺らぐ。
実体のない(ので、比べる術をもたない)対象よりも、ずっと?
ずっともぼやっとした言葉だ。いつまでも?いつまでもっていつまで?死ぬまで?気が変わるまで?所属が変わるまで?年が変わるまで?天気が変わるまで?いずれにしろ、”ずっと“と言える。しかし同時に”永遠“の意味も持っているので、そこには”永遠“を期待する空気が生まれる。しかし、空気以上のものはうまれない。
あるいは、甚だしく、のずっとかもしれない。こちらのほうがなお空虚だ。比較しようのない対象(誰)と比べて、甚だしく、大きく、と述することの虚しさよ。
批判され軽蔑される覚悟を持ってそれでも、と思うなら 
堂々とそれを使えばいい。考えて選べるなら、それがいい。結局のところ使ってみなければ、どうなるかはわからない。わからない、と知って、それでもなお、言葉は使わなければ。

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