誰よりも、ずっと?
Ugh
誰、名前を知らないひと、名前がはっきりしないひと、もしくは自分以外の不特定多数のひとたちのこと。かな。人類に使う語でもある。たぶん。
よりも、よりも?名前をしらない人よりも?不特定多数の人よりも?比較対象のことは何も知りませんと言った後に、それに優る、勝ると言葉を繋げることがどんなに不誠実か!
対象を知らずに比較しようとするとき、大抵、その対象には”理想ではない自分“を投影してる。だけど、そこに”誰“と名詞を乗せることで、あたかも実体があるかのように錯覚する。
実体もなければ実態もない。強いて言うなら誰かは自分だが、自己像なんてつねに揺らぐ。
実体のない(ので、比べる術をもたない)対象よりも、ずっと?
ずっともぼやっとした言葉だ。いつまでも?いつまでもっていつまで?死ぬまで?気が変わるまで?所属が変わるまで?年が変わるまで?天気が変わるまで?いずれにしろ、”ずっと“と言える。しかし同時に”永遠“の意味も持っているので、そこには”永遠“を期待する空気が生まれる。しかし、空気以上のものはうまれない。
あるいは、甚だしく、のずっとかもしれない。こちらのほうがなお空虚だ。比較しようのない対象(誰)と比べて、甚だしく、大きく、と述することの虚しさよ。
批判され軽蔑される覚悟を持ってそれでも、と思うなら
堂々とそれを使えばいい。考えて選べるなら、それがいい。結局のところ使ってみなければ、どうなるかはわからない。わからない、と知って、それでもなお、言葉は使わなければ。
4/10/2024, 3:48:11 AM