こぼれたものを、繋いだ手のなかに閉じ込めておく。ガラクタばかりが、繋いだ手のなかに閉じ込められていく。それでもこれは私たちの宝入れで、開錠のすべはさよならの言葉にある。
こんなところまで来てしまった、と思う。
繋いだ手は重く、あなたの大切な片腕を独り占めしてしまったという罪悪感も重く、その腕は時折私を引き寄せて戯れにキスなどをしてくる。
「さよなら以外の方法を考えてる」とあなたは言う。
ガラクタの宝たちをどうやら見たいらしい。私と分かたれずに見る方法を考えてくれてるらしい。私はとうの昔に諦めたというのに。重くなった腕で、さらに私の身体を引き寄せて、頭に口付けて、そこから深く息を吹き込んで、その吹き込まれた息に押し出されるかのように私の目から涙がこぼれる。こぼれた涙さえこの繋いだ手のなかに閉じ込めて、私は満たされて仕方がないのに、あなたはまだ飽くことなくいてくれるらしい。
ありがとうもごめんねも君はあまり言わないから新鮮だった。不遜にも嫌味にも感じない、そういう言葉の運用方法があって、君がここまでの人生で身につけたものなのか、それとも天来のものなのかは分からない。私はありがとうもごめんねもよく使う。なんなら代替になりえる言葉もいつでも探してる。なんとなく、そうしていないとどこにもいてはいけない気がするからだ。君に贈るにふさわしいありがとうとごめんねを探してる。夜明けは近い。別れも近い。この鼓動ひとつがすべての代わりになればいいのに。
呪詛を吐くにはうってつけの場所だ。一見して愛だと、一見どころか生涯愛の名を疑われずに墓に埋まる呪いだって、ここで吐くのがいちばんだ。のろい、という言葉が気安く使われるようになって久しい。解呪の話がセットでついてきてほしいものだけど、そう上手くはいかない。救われないままの人間が多数だ。同じように呪われたらどうすればいい。不安の共有だけで気の済むものではないのに。部屋の片隅に置いたベッドに潜り込む。君の体温でとうに温かい。その穏やかな顔を見つめる。穴が空くほど。空いてしまえばいい、君と同じように呪われなくてどうすればいい、と吐き出す。
逆さまにしておく。永遠という言葉が嫌いだから。刹那という言葉も嫌いだから。砂が落ちていく。積もっていく。時が計られていく。また逆さまにしておく。これは私しか知らない時計である。私がいなくなればそこで終わりの代物である。永遠を壊さないか?刹那を埋めてしまわないか?二度と再生しないように修繕できないように君との思い出をこの砂のようにしてしまう。どうだろう?全体で見ると結局思い出としか呼べないものだけど、私と共にきちんと終わらせるには、この方法しか思いつかないんだ。
目が冴えていけない。そのまま夜明けがきてしまった。冬の星など見えやしない。わたしたちの天使は好きに飛び回っていて、とうとう見えなくなった。悲しくなければいい。痛みをすべて置いていってくれたらもっといい。どう思っていたかなんて、どうしていたかなんて、なにひとつ分かりはしない。そんなことは分かってたのに。そこから私の名前は呼ばなくていいよ。勝手に空を見上げるよ。見上げるには充分の音が、こんなにもゆたかに天から鳴り響いている。