マナセ

Open App
7/15/2024, 1:36:12 AM

【タバコ】



「それで最後か」

整備長のおやっさんが笑いながら歩いて来る。

夕立が上がって、滑走路のアスファルトから雨と芝生の匂いが風に乗って吹き上がる夏の日だった。



「はい、これで最後です。全部バラして洗ったりしてたから、
だいぶ手こずりました。」

「おぉ、ご苦労さん。コイツも年寄りになったからなぁ。」

整備長が翼のエルロンにそっと手を置く。

「オレとおんなじ。年寄りだ。」

汗が光るまん丸の顔をにかっとしわ寄せながら笑う。



「腕ぇ、上げたな。お前の親父さんそっくりだ。」

「どこで分かるんですか?」

エルロンの動きを確かめるように上下に揺らすおやっさんに麦茶のグラスを差し出しながら問いかける。

「どこでもわかるさ。ほら見ろ、左右ピッタリ止まるじゃねぇか。」

おやっさんがぐびっと麦茶を煽って飲み干しながら、主翼のエルロンを揺らす。

ガタリガタリとエルロンの噛み合う音と、あっという間に空になったグラスの氷が転がる音が格納庫に響く。



「なんか手をとりあってるみたいですね。」

「考えてみりゃあそうだな!どの女よりも長く乗りこなしてるかもしれん!」

ガッハッハッと大きな笑い声を上げて、おやっさんは陽の沈む西の空を見上げる。

「もう、飛べない身体になっちまったがなぁ」

「また、戻りたいですか?」

「そりゃあそうだ。オレ達はあそこでしか生きれん」

「大袈裟ですよ」

「そういうもんだ。お前にも分かる時が来るさ。いつまでも格納庫で油にまみれることもねぇだろう?」

「高いところが嫌いだから、もうしばらくここで良いかも知れません」

「本当に変わり者だな!だが心配するな、空はとっくにお前の魂を捕らえているんだからな!いずれ上がる、トレーニングもしておけよ!」



またガッハッハッ!と笑いながら、おやっさんが背中を向ける。

西日が滑走路を赤く染めていく。

格納庫に一人取り残された僕は道具を片付けて、フラフラと滑走路に歩いて出る。

空からエンジンの音が聞こえた。

むわっと湿気が上がり、風だけは冷たく吹き付ける。

大きな入道雲が陽の光を全身に受けて、今の時間だけは月の役目を担っているかのように輝いていた。

胸元からタバコを取り出して、キンと音を立てて火を付ける。

「…なんでお前が先に空に還るんだ。」

空に登るタバコの煙を睨みながら、地上に居るしかない僕は、深くタバコを吸って煙を空に吹き出したのだった。

Fin

7/12/2024, 9:51:20 PM

夕立が立ち去った滑走路を、西日が強く照らしている。

アスファルトからむわっと雨が干上がる匂いと、芝生の青臭ささが帰っ風に乗って吹き付ける。

3/19/2024, 11:28:26 PM

「どうしたんだい?やたらと機嫌が良さそうじゃないか」
「…そう見えるかい?」

「あぁ。朝、わたしのエンジンをかけた時とは別人のようじゃないか」
「…これだよ」

「おいおい、まさかわたしに読めと言うのか?これはよほど良い事があったと言うか、重症だな。」
「…そこまで言わなくても良いんじゃないか?」

「ならばキミは皮肉屋か?これは失礼した、わたしも人を見る目が無いというものだ。もとより、最初からわたしには”目”というものは無いがね。」
「…町のあの子からの手紙だ。返事が来たんだ。」

「ほう?是非聞かせておくれよ。」
「…読めというのか?」

「他になにがある?」
「…お前が読めばいいだろ。」

「何を言うかと思えば。いままさに我々の天と地は物理的にも逆さまになっているが、もう一度逆さまになった気分だ。」
「…なら、元通りじゃないか。」

「ここからインメルマンでもしようと言うのかね?その提案は悪くは無いが、叶いそうもないな。たった今、わたしの両翼のエルロンも落ちたんだ。」
「…無理をさせたね。」

「これは寝耳に水だ。急にしおらしくなるもんじゃないか。さっきまでの嬉しそうな顔をもう一度見せておくれよ。」
「…”目”は無かったんじゃないのか?」

「もちろん”目”は無いとも。わたしは一翼の鋼鉄に過ぎない。だが忘れてしまったかい?そんなわたしに、キミは”目”を与えてくれたことを。」
「…そんな高尚な事はしてないよ。」

「ふふ、そうかね?さあ、それより聞かせておくれ。キミの声で聞きたいんだ。もう残された時間も少ない。海面まで残り一千フィートだ。」
「…『あなたの帰りを待ちます。幼なじみとしてじゃなく、こんどは、恋人として。』」

「ほうほう!これはこれは!いやぁ、ミとも決して短い付き合いではなくなったが、あの万年仏頂面のキミに、とうとう春が来たとは。わたしもニヤニヤしてしまうよ。ほっぺたが落ちそうだとも。」
「…顔なんてないだろ。」

「はは、そうだな。たった今落ちたのは、わたしの主翼だ。」
「…”胸が高鳴る”って、本の中にしか無い表現だと思ってた。」

「そうだとも。キミはヒトのくせに、そんな事も知らなかったのかい?」
「…お前は知っていたって言うのか?」

「もちろんさ。わたしにとって”胸の高鳴り”はエンジンの回転数、つまりはトルクだ。トルクを上げて空を掴み、機首を上げて、抱き寄せるようにバレルロールをするんだ。」
「…ロマンチストだな。」

「いつもキミがさせてくれる事じゃないか。恋は盲目とは言うが、キミはついでに記憶まで何処かに落としてきたのかい?」
「……。」

「なんだ、今度は急に黙るじゃないか。胸中忙しい男だよキミは。あの子に会いたくなったのかい?」
「…うん。」

「会いに行けば良いじゃないか。」
「…もう、海は目の前なのに?」

「さも”存在”というものを檻のように捉える者はよく居るが、五感に囚われてはいけない。その人の元にゆく、その人のそばに居る。これは肉体が無くては出来ない、などと勘違いしてはいけない。」
「…なら、どうするのさ。」

「言っただろう?わたしは一翼の鋼鉄に過ぎない。翼が無くては空を飛べない窮屈な存在だ。しかし、キミには翼がなくとも、”心”がある。」
「…”心”でどうやってあの子のもとへ行くのさ。」

「やれやれ、パイロットともあろうキミがそれを忘れてしまうとはね。」

__未完 now loading

3/18/2024, 1:59:47 PM

「わたしをつれてってよ」
「だめだよ」

「なんで?」
「できないよ」

「どうして?もういやよ。ぱぱもままもきらい!ぜんぶきらいなの!ふじょーりよ!」
「不条理でも、まだつれていっちゃ、だめなんだよ」

「どうして…もう、いきていたくないよ…つらいよ、かなしいよ」
「…うん」

「もういや!わたしをかなしませる、あなたもきらいよ!」
「…うん、でも」

「なに!?」
「でも、そばにいるよ。ひとりぼっちじゃないよ。」

_____________

「私を連れていって」
「無理だよ」

「いいから」
「無理」

「早く」
「無理。ダルい。」

「なにそれ?」
「出来ねぇって。」

「はあ?見てたんでしょ?ずっと」
「なにが」

「中学の時も、今も。ずっと私がいじめられてるところ。」
「うん」

「もう嫌なの。こんな思いも、辛いのもいやなの。だから早く連れていって。」
「無理だって。まだ。」

「なにそれ。もっと苦しめっての?私が何したの?私が悪いの?私が生きてるせいなの?」
「知らないけど。今は無理。」

「…あなたにすら見放されたんだね、わたし。本当に不条理だわ。…ううん、私が選ぶの。あなたに連れていかせるかどうか。私が選ぶのよ。」
「あっそ。でも無理だよ。」

「っ!…見てろよ!ばか!飛んでやるんだから!!」
「…だから、言ったじゃん。無理だって。」

_____________

「…最近、貴方の事をよく思い出すの。」
「…左様でございましたか。」

「いやね、季節の変わり目だからかしら。若い頃の古傷が痛むわ。」
「酷く痛みますか?」

「ううん、毎年の事よ。もう慣れたわ。」
「酷く痛まないのなら、幸いです」

「もう子育ても終わって、やっとこれから。やりたかった事とかね?出来ずに我慢してた事をたくさん出来るって時なのに。こんな、はじまりの時なのに…不思議ね。貴方を思い出すなんて。」
「それは、ご愁傷さまな事でございましたね。」

「皮肉だけは昔から変わらないわね。貴方らしいわ。」
「そんな貴女様は、昔から変わらず、泣き虫でおてんばなままでございますね。」

「本当に憎らしい、不条理なことこの上ないわ。」
「その口癖も、小さい頃から変わりませんな。本当に、どこで覚えたのやら。」

「もう忘れてしまったわ。遠い昔の事よ。」
「左様でございましたか。」

「まだ、私を連れていく気にはならないの?」
「はい、まだまだ叶いませんな。」

「焦らし過ぎはレディに失礼よ?」
「それならば良かった。恐れながら、わたくしにとっては、貴女様は、まだあの頃と変わらないおてんば娘ですから」

「いやだわ、子供扱いだなんて。いよいよ笑えなくなるわよ?」
「そういう貴女様の微笑む顔を、ずっとそばで見守っておりましたよ。」

「ほんと、口の減らない貴方だわ。」
「ふふ、ご安心くださいませ。いつか必ず、貴女様と共に往きますから。」

_____________

「あぁ…いよいよね…」
「長かったね」

「ううん…色々あったけど、あっという間だったわ…」
「子供達の背中も見れたね。みな苦労はあれど、幸せそうだった」

「はぁ…やり残したことはたくさんあるけど…わたしは満足よ…」
「そうかい…それならばよかった…」

「もう…いいわよね…?」
「あぁ、やっと満ちたから。きみをつれていけるよ」

「ながかったよ…とてもながかった…でも…」
「うん」

「あなたがいてくれたから、くるしいことも、つらいことも、がんばれたんだよ。」
「うん、しってるよ。」

「ありがとう。あなたのおかげよ。」
「ううん。ぼくはそばにいただけだよ。」

「さぁ、わたしをつれていって」
「うん。手、すこしつめたいかな」

「あぁ…あたたかいよ…やっと、にぎってくれた」
「たくさんがんばったから、あたたかいならよかった」

「あぁ…ふじょーりなこと…たくさんあったけど…」
「うん」

「あなたのことを、わすれないでいられて、ほんとうによかった」
「うん。ぼくもだよ。ずっとそばにおいてくれて、ありがとう。」

「うん。あぁ…光がみえるよ…まぶしいね…」
「あたたかいでしょ?目いたくない?」

「ううん、ぜんぜん痛くない…こんなに、まぶしくて、やさしい光なんだもの…」
「ずっとそばにいるよ。手、つないでるから。いっしょだよ。」

「うん…うん……、うん。」
「たくさんがんばったね。さぁ、いっしよにいこう。」

「また…あえる…?」
「あえるよ。また、はじまるんだもの。」

「そっか…よかった…」
「うん。」

__________

おはよう。
さぁ、おきて。