マナセ

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「どうしたんだい?やたらと機嫌が良さそうじゃないか」
「…そう見えるかい?」

「あぁ。朝、わたしのエンジンをかけた時とは別人のようじゃないか」
「…これだよ」

「おいおい、まさかわたしに読めと言うのか?これはよほど良い事があったと言うか、重症だな。」
「…そこまで言わなくても良いんじゃないか?」

「ならばキミは皮肉屋か?これは失礼した、わたしも人を見る目が無いというものだ。もとより、最初からわたしには”目”というものは無いがね。」
「…町のあの子からの手紙だ。返事が来たんだ。」

「ほう?是非聞かせておくれよ。」
「…読めというのか?」

「他になにがある?」
「…お前が読めばいいだろ。」

「何を言うかと思えば。いままさに我々の天と地は物理的にも逆さまになっているが、もう一度逆さまになった気分だ。」
「…なら、元通りじゃないか。」

「ここからインメルマンでもしようと言うのかね?その提案は悪くは無いが、叶いそうもないな。たった今、わたしの両翼のエルロンも落ちたんだ。」
「…無理をさせたね。」

「これは寝耳に水だ。急にしおらしくなるもんじゃないか。さっきまでの嬉しそうな顔をもう一度見せておくれよ。」
「…”目”は無かったんじゃないのか?」

「もちろん”目”は無いとも。わたしは一翼の鋼鉄に過ぎない。だが忘れてしまったかい?そんなわたしに、キミは”目”を与えてくれたことを。」
「…そんな高尚な事はしてないよ。」

「ふふ、そうかね?さあ、それより聞かせておくれ。キミの声で聞きたいんだ。もう残された時間も少ない。海面まで残り一千フィートだ。」
「…『あなたの帰りを待ちます。幼なじみとしてじゃなく、こんどは、恋人として。』」

「ほうほう!これはこれは!いやぁ、ミとも決して短い付き合いではなくなったが、あの万年仏頂面のキミに、とうとう春が来たとは。わたしもニヤニヤしてしまうよ。ほっぺたが落ちそうだとも。」
「…顔なんてないだろ。」

「はは、そうだな。たった今落ちたのは、わたしの主翼だ。」
「…”胸が高鳴る”って、本の中にしか無い表現だと思ってた。」

「そうだとも。キミはヒトのくせに、そんな事も知らなかったのかい?」
「…お前は知っていたって言うのか?」

「もちろんさ。わたしにとって”胸の高鳴り”はエンジンの回転数、つまりはトルクだ。トルクを上げて空を掴み、機首を上げて、抱き寄せるようにバレルロールをするんだ。」
「…ロマンチストだな。」

「いつもキミがさせてくれる事じゃないか。恋は盲目とは言うが、キミはついでに記憶まで何処かに落としてきたのかい?」
「……。」

「なんだ、今度は急に黙るじゃないか。胸中忙しい男だよキミは。あの子に会いたくなったのかい?」
「…うん。」

「会いに行けば良いじゃないか。」
「…もう、海は目の前なのに?」

「さも”存在”というものを檻のように捉える者はよく居るが、五感に囚われてはいけない。その人の元にゆく、その人のそばに居る。これは肉体が無くては出来ない、などと勘違いしてはいけない。」
「…なら、どうするのさ。」

「言っただろう?わたしは一翼の鋼鉄に過ぎない。翼が無くては空を飛べない窮屈な存在だ。しかし、キミには翼がなくとも、”心”がある。」
「…”心”でどうやってあの子のもとへ行くのさ。」

「やれやれ、パイロットともあろうキミがそれを忘れてしまうとはね。」

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3/19/2024, 11:28:26 PM