‪スべてはキみのセい。

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9/5/2024, 10:49:36 AM

【思い出の亡き貝】

黄昏時――波が静かに打ち寄せる浜辺に、彼女は足を踏み入れた。

理由もなく、ただ足が向くままに歩く。
心の中には、何か引っかかるものがあるような気がしていたが、それが何なのかはわからなかった。

砂浜に目を向けると、一つの巻貝が転がっていた。淡い色合いの貝殻は、陽の光に反射してわずかに輝いている。それは、どこか懐かしさを感じさせるようなものだった。

ふと手を伸ばし、貝殻を拾い上げ自然と耳に当てた。そういえば、昔もこんなことがあった――そう思った瞬間、忘れていた記憶が音と共に蘇った。


「海の音が聞こえるよ、耳を澄ませてごらん」

連れられて、初めて海に来たあの日。
彼が微笑みながら同じように貝殻を耳に押し当ててくれたことを思い出す。
まだ若かった自分は、それを不思議そうに聞きながらも、どこか魔法のようだと感じていた。何度も浜辺で遊び、波に揺られた時間があった。二人で同じ貝殻を拾い、笑い合ったあの日々が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。

しかし、その笑顔はもうない。彼は、もうこの世にはいないのだ。

押し寄せる感情は、まるで荒れ狂う波のように彼女を飲み込んでいった。過去の楽しかった思い出が、重く心にのしかかる。これ以上、彼との時間は戻ってこない。
もう一度、最後に、一度だけでもいいからと、あの笑顔を見たいと願っても、その望みは叶わない。

気づけば涙が頬を伝っていた。感情の波は次第に大きくなり、彼女を岸から遠ざけようとする。必死にもがいて、涙の海から逃れようとした。しかし、その波は強く、まるで彼女を引き寄せて離さない。

やがて、ひとしきり泣いた後、彼女は次第に静けさを取り戻した。心の中で荒れ狂っていた感情も、波が引くように少しずつ消えていった。

貝殻を耳からそっと離し、彼女はもう一度それを見つめた。
何も言わずに、貝殻を静かに砂の上に戻す。まるでその場所に置くことで、彼との記憶を静かに送り出すかのように。

立ち上がり、深呼吸を一つする。海風が頬を撫で、涙の痕をさらっていった。足元をしっかりと固め、もう一度浜辺を見渡す。すべてが元通り、ただ静かな浜辺だけがそこにあった。

彼女は、足を進め、浜辺を後にした。


9/4/2024, 10:53:11 AM

【きらめき】


カメラのフラッシュが瞬く度、
その光は一瞬にして世界を照らし出す。
あなたの笑顔、瞳の輝き、
その全てが永遠の瞬間として切り取られる。

一つ一つのフラッシュが、
まるで星が夜空に瞬くように、
あなたの存在を輝かせる。
その光は決して消えることなく、
記憶の中でいつまでもきらめき続ける。

自分の中に秘めた輝きが、
この世界に新たな色を与える。
その一瞬のきらめきが、
未来を変える力を持っている。

そして、そのきらめきは、
あなたが歩む道を常に明るく照らし出す。
次々と切られるフラッシュのように、
一瞬一瞬を大切に、輝き続ける。

9/3/2024, 10:49:22 AM

【些細なことから】


街を歩いていると、スマホのバッテリーが切れてしまったことに気づいた。地図アプリも使えず、方向感覚が鈍い自分はすぐに道に迷った。辺りを見回すと、見慣れない通りに差し掛かり、ひときわ目立つ古びた看板のカフェが目に入った。

「休憩しようか……」

自分に言い聞かせるようにカフェのドアを押すと、中は外観とは対照的に落ち着いた雰囲気だった。ほのかなコーヒーの香りと、静かな音楽が心をほぐしてくれる。カウンターにいた店主が、にこやかに「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。

「迷っちゃったみたいで、少し休ませてもらいます」

「どうぞ、こちらへ。疲れているようですね」

お薦めのコーヒーを注文し、窓際の席に座る。外の景色を眺めながら、温かいコーヒーを口にすると、心が安らいでいくのがわかる。店主がコーヒーカップを置きに来たとき、彼と少し会話を交わした。

「落ち着く店ですね。ここに来るまで迷ったのも悪くなかったかも」

「そう言ってもらえると嬉しいです。迷いは時に、思いがけない出会いをもたらしますからね」

店主は穏やかな笑顔を浮かべていた。その笑顔にどこか見覚えがあるような気がしたが、思い出せない。ふと気になり、話題を変えた。

「このカフェ、いつからやってるんですか?」

「もう、かれこれ20年になります。静かな場所が好きで、ここでのんびり過ごすのが私の日課です」

その言葉を聞いて、店主の声と姿がようやく一致した。彼は、かつて自分が夢中で読んだ小説の作家だったのだ。驚きと喜びで胸がいっぱいになり、サインをもらいたくなったが、持ち物を探しても何もない。スマホも使えず、結局お願いできなかった。

しかし、店主との会話が続くうちに、彼が話してくれた一つのエピソードが自分の中で新しいアイデアに変わり始めた。迷った末にたどり着いたこのカフェでのひとときが、自分に新たなインスピレーションを与えてくれたのだ。

「迷いも悪くないですね。おかげで良いアイデアが浮かびました」

店主は微笑んでうなずいた。「そうでしょう?時には道に迷うことも、人生の一部なんです」

カフェを後にする時、店主に一言お礼を言い、再び迷いながらも新しい気持ちで歩き出した。道に迷うことは決して悪いことではなく、むしろ思いもよらない出会いや発見をもたらすのだと実感しながら。

後日、そのアイデアが職場で採用され、大きな成功を収めた。しかし、あの時の店主に感謝の気持ちを伝えに行こうと再びカフェを訪れたが、その店は跡形もなく、まるで最初から存在しなかったかのようだった。まるで夢の中の出来事のように。

それでも、あのカフェでの出来事が自分にとってどれほど大きな意味を持っていたか、心の中でいつまでも忘れることはなかった。迷いが導いた出会いが、自分の人生に新たな光をもたらしたのだ。

8/30/2024, 10:23:44 PM

【香水】

夜のネオンがひしめく街。

遠くから聞こえる不協和音のような雑踏の中に、一人の男がいた。彼は無機質な表情で、街路を歩いていた。濡れたアスファルトに映るネオンの光が、彼の足元でかすかに揺れる。
ビルの間を縫うように立ち込める湿った空気に、どこか馴染みのある香りが漂ってきた。オリエンタルな香りだ。それはスパイスの混じった甘い香りと、花のような香りが交じり合い、鼻腔をくすぐる。

香りを感じた瞬間、男の胸に微かな痛みが走った。
忘れ去ったはずの記憶が、薄闇の中から甦るようだった。だが、その記憶はぼんやりとしており、何も明確ではない。彼は足を止め、香りの源を探るように辺りを見回した。

その時、街灯の陰に女の姿を見つけた。彼女は、黒髪を長く垂らし、体を包むように和服をまとっていた。顔はぼんやりとしていて、表情は見えない。ただ、その場に立っているだけで、彼女の存在が街の喧騒から浮いているように感じられた。彼女が動くと、ふわりと香りが一層強まった。

男は、吸い寄せられるように彼女の元へと足を進めた。なぜか、彼女に近づくほど、胸の中にある喪失感が増していく。彼女は男に気づいていたのか、音もなくこちらを振り向いた。男の足が止まる。

「この香り…どこかで…」

男の問いかけに、彼女は何も答えなかった。彼女の目が彼を見つめている。まるで、男の内面を覗き込むように。その眼差しは、鋭くもなく、どこか儚い。彼女が一歩、男に近づいた。その瞬間、香りが一層濃くなり、男は思わず息を止めた。

気づけば、彼女はすぐ目の前に立っていた。彼女の瞳は、どこか哀しげでありながら、深い闇を宿しているようだった。彼女が静かに口を開いた。

「この香りが、あなたの記憶を呼び覚ましたのですね」

男は、彼女の言葉に応じることができなかった。頭の中が霞んでいる。彼女が再び一歩進むと、彼の視界は次第にぼやけ、世界が遠のいていく。

「…堕ちていく…」

その言葉が最後に男の耳に届いた時、彼はもう、意識を保つことができなかった。香りが彼の全てを包み込み、記憶の底に引きずり込んでいった。




翌朝、ネオンの輝きを失った街に、一人の男が倒れていた。目を開けた彼の鼻孔には、もうあの香りはなかった。しかし、その胸には、何か大切なものを失ったような感覚が残っていた。

彼は立ち上がり、何もなかったかのように街を歩き始めた。しかし、心の奥底では、あの香りと共に現れた女の影が、消えることなく残り続けていた。

8/15/2024, 1:03:17 AM

【自転車に乗って】

僕は、その日もいつものように自転車に乗っていた。高校三年の夏休み、何の予定もなく、ただ風を感じながらどこか遠くへとペダルを漕いでいく。それが僕の日課だった。

暑さが肌にまとわりつき、セミの鳴き声が耳に残る。空は雲一つない青で、陽射しはじりじりと照りつけてくる。それでも、自転車に乗っていると、不思議と暑さは気にならない。風が汗を拭い、僕の中に何かを解き放つような感覚があった。

その日は、いつもと少し違う道を選んだ。理由はない。ただ何となく、見知らぬ道に引き寄せられたのだ。好奇心というのだろうか、少しだけ冒険してみたくなった。

田舎道を進んでいくと、やがて目の前に古びたトンネルが現れた。入り口は暗く、冷たい空気が漏れ出している。昼間なのに、トンネルの向こう側は何も見えなかった。少し怖いと思ったが、同時に引き返す気にはなれなかった。何かが僕をそこへと誘っている気がした。

トンネルの中に足を踏み入れると、周囲の音が急に消えた。自転車のタイヤが砂利を踏む音だけが、かすかに響く。まるで時間が止まったような、静寂が広がっていた。僕は無意識のうちにペダルを漕ぐスピードを緩め、慎重に進んでいった。

トンネルを抜けたとき、目の前に広がった光景に息を呑んだ。そこは見たことのない世界だった。どこか懐かしいよとうな、でも確かに現実とは異なる場所。草原が広がり、遠くには小さな村が見えた。村の上空には、ゆっくりと回る風車が見える。けれど、その風車が回る速さは、僕が知っている風の速さは違っていた。

自転車を止め、ぼう然と立ち尽くしていると、一人の少女が現れた。白いワンピースを着て、長い髪を風に揺らしている。彼女は僕に向かって微笑みながら、ゆっくりと近づいてきた。

「ここに来たのは、あなたが初めてじゃないの?」

彼女の言葉に、僕は驚いた。初めて会うはずなのに、彼女の声にはどこか懐かしさがあった。

「どうして僕がここに?」と尋ねると、彼女はただ微笑むだけだった。

「この場所は、心の中のどこかにある場所よ。あなたが忘れてしまった何かを、思い出させるために存在するの。」

彼女の言葉の意味がよくわからなかったが、不思議と納得する自分がいた。この場所も、彼女も、どこかで知っていた気がする。

「でも、時間が来たら戻らなきゃいけないのよ」と、彼女は寂しそうに言った。「また、会えるといいね。」

その瞬間、目の前の景色がぼやけ始めた。風が強く吹き、僕は自転車に乗り直してトンネルを抜けることしかできなかった。

振り返った時には、もうあの世界は消えていた。戻ってきたのは、見慣れた田舎道。ただ、心の中に残るあの少女の微笑みが、僕にあの出来事が現実だったことを教えてくれていた。

それ以来、僕は何度もあのトンネルを探したが、二度と見つけることはできなかった。あの夏の不思議な出来事は、心の奥にしまい込まれた、僕だけの秘密となった。

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