幾ら願望成就と言ったって。
叶えられるものには限りがある。
愛しいあの子との逢瀬を咎められ、
大河より隔たれた在りし日から幾星霜。
反省の至りと再会の日を楽しみに
御義父様より賜りし務めを果たす生が、
暇無きものとなったのは何時からか。
五穀豊穣を願われ、気紛れに手を差し伸べた。
手芸の上達を乞われ、手を貸した。
最初はそんな、些細なものだったというのに。
あの子との幸せを願ってくれた彼らに、
ほんの少しのお礼を贈っただけのことなのに。
年々増えゆく「短冊」を。
肥大する欲望の有様を。
憎らしく思ったのは何時だったろう。
あの子との逢瀬を喜べなくなったのは。
忙殺され疲労する鵲を慮り逢えなくなったのは。
星々の煌めく天の川、それに募るは願いの山。
全て叶えてやりたいのはやまやまだけれど。
少し、疲れてしまった。
だから、これは気の迷い。
叶わぬと知るものの織る言の葉。
でも、もし、赦されるのならば。
「なあ、愛しき我等が人の子よ」
「どうか吾の願いを今一度」
ーー聞き届けてはくれまいか。
空に恋してはいけないなんて、
誰が言ったろうか。
空が好きだ。
真っ青に晴れ渡る快晴も、
ちょっとどんより灰色な曇天も。
一日だって同じじゃない。
いつまでたっても飽くる日は来やしない。
草臥れるほどに捲られた写真集。
大事に大事に補修して、
映る空へと思いを馳せて。
その色褪せたセピアの先に、
きっと美しい蒼が彩るのだろうと想像する。
黎明を背景に起床して、
黄昏と共に帰宅して、
宵闇に包まれて眠りにつく。
嗚呼、嗚呼。それはなんて素晴らしき日々哉。
願わくばどうかそれまで、
この想いが続きますように。赦されますように。
「畏み畏みも申す」
未だ見ること叶わぬ空への憧憬を胸に抱いて。
摩天楼の最上階に座す巫は、
暗闇に覆われた地下世界より
今日も空へと祈りを捧げるのだった。
秋は神社に訪れたくなる季節だ。
紅葉した葉の散る様と、
朱に塗られた鳥居の堂々たる佇まい。
最っ高に眼福な光景である。
紅葉は見てよし、食べてよし。
正に秋を代表するものだとも思う。
紅葉の天ぷらを食べたことはあるだろうか?
個人的な所感として言うと、
枝豆を摘むみたいな中毒性がある。
是非とも一度食べてみて欲しい。
電車に乗るのが好きだ。
窓際の席に座って流れゆく景色を
ただ、ぼうっと眺める時間を
何とはなしに、心待ちにしているのだ。
暁の光に照らされる畑、
真っ青な空を覗かせる雲の切れ間、
宵闇に昏れる街並み。
車窓から眺める景色は、
何故だか心をほんわりと
豊かな気持ちにさせてくれる。
だから、いつも、何となく。
窓際を選ぶのだ。
スマホに向ける視線を上げて、
一時のそれを楽しむために。
どうやら私は、存外、
この時間を好んでいるらしい。
「形の無いもの」といわれたとき。
頭をよぎったのは古くからある存在の事だった。
付喪神は人から大切にされ
永い時を過ごした物にのみ宿るといわれている。
ただ、永い時を過ごすだけでは。
ただ、使われるだけでは。
九十九が宿ることは無いのだ。
それは何故か。
人の想いが、愛が、彼等彼女等を育み。
募ったそれらが、やがて人と物の間に
奇跡を起こさせるからだと私は思う。
想いは形の無いもの。
故に、強くそこに在るもの。
古来、人の想いは時として奇跡を呼び起こす。
大切にされた古い物は度々、
悪いものから持主を護ってくれるという。
それは正しく、人の想いから
引き起こされた奇跡と呼べるものだろう。
なにせ、大切に思う気持ちが無ければ、
九十九が何をしようとも我ら人が、
気付く筈もないのだから。
大切にし、愛し、想うからこそ。
彼らの行いに気付き、
その奇跡に心を躍らせられるのだ。
「付喪神」は人から大切にされ、
永い時を過ごした物にのみ宿るといわれている。
それはつまるところ、
人と物の想いが
通じ合う瞬間を
その形の無い関係を
人が言葉という形にしているだけなのだろう。
そういうものなのだと、ふと、おもった。