9/25/2024, 10:25:41 AM
電車に乗るのが好きだ。
窓際の席に座って流れゆく景色を
ただ、ぼうっと眺める時間を
何とはなしに、心待ちにしているのだ。
暁の光に照らされる畑、
真っ青な空を覗かせる雲の切れ間、
宵闇に昏れる街並み。
車窓から眺める景色は、
何故だか心をほんわりと
豊かな気持ちにさせてくれる。
だから、いつも、何となく。
窓際を選ぶのだ。
スマホに向ける視線を上げて、
一時のそれを楽しむために。
どうやら私は、存外、
この時間を好んでいるらしい。
9/25/2024, 2:42:24 AM
「形の無いもの」といわれたとき。
頭をよぎったのは古くからある存在の事だった。
付喪神は人から大切にされ
永い時を過ごした物にのみ宿るといわれている。
ただ、永い時を過ごすだけでは。
ただ、使われるだけでは。
九十九が宿ることは無いのだ。
それは何故か。
人の想いが、愛が、彼等彼女等を育み。
募ったそれらが、やがて人と物の間に
奇跡を起こさせるからだと私は思う。
想いは形の無いもの。
故に、強くそこに在るもの。
古来、人の想いは時として奇跡を呼び起こす。
大切にされた古い物は度々、
悪いものから持主を護ってくれるという。
それは正しく、人の想いから
引き起こされた奇跡と呼べるものだろう。
なにせ、大切に思う気持ちが無ければ、
九十九が何をしようとも我ら人が、
気付く筈もないのだから。
大切にし、愛し、想うからこそ。
彼らの行いに気付き、
その奇跡に心を躍らせられるのだ。
「付喪神」は人から大切にされ、
永い時を過ごした物にのみ宿るといわれている。
それはつまるところ、
人と物の想いが
通じ合う瞬間を
その形の無い関係を
人が言葉という形にしているだけなのだろう。
そういうものなのだと、ふと、おもった。