雨上がりの夜空を見上げると、星々の光がより白く煌めいている。慈雨で空気が清められたのか、いつもよりも星明かりが鮮明だ。
雨粒が夜空を穿って、その小さな穴から天空の白い世界を覗かせているようだ。そして、雨粒に開けられた夜の塊は流れ星となって、雨と共に落ちていく。
流れ星の中には、胸に羽の生えた少女が閉じ込められているだろうよ。幸いにも、少女は星屑の石の中のいる。落ちた先が、塵積る地面だろうが、波打つ海面だろうが、石は砕けない。
砕けはしないが、後のことは彼女の運命次第だ。そのまま地面の中に埋もれたら、一番の幸福かもしれない。どうせ、ただ石になるだけだ。
地面に転がって、子どもたちの暇つぶしに蹴られて、下水道の底に一生落ちていくよりかは、石になった方がいい。
海面に沈んでいっても、魚たちに避けられて、海水で溶かされ、やがては世界を漂い続ける波になるよりかは、石でいた方がいい。
せめて石になったからには、少女の美しさに胸を打たれて、物語を語れる人間に拾ってほしいものだ。少女の妖気に当てられて、承認欲求と性欲と金に狂った人間と出会ってしまったら、さてどうなるか。
今まで雨が何度も降って、夜空から流れ星がたくさん落ちていき、星屑が地上にいくつも転がってきた。未だ、その少女を語る物語を一つしか読んだことがないから、きっと優しい人間にしかまだ出会っていないのだろう。
いつも身近にある小石に、羽衣を胸に秘めた天女がいるなんて面白そうだと、私も石を拾おうとしたが、そもそも周囲はコンクリートで埋められている。砂つぶさえも見当たらない。自然もなければ、物語もない。何ともつまらない場所であったよ。
雨上がりの水たまりを黒い化け物の鱗に映す、嫌に堅苦しい地上に私は生まれ落ちたものだ。
(250601 雨上がり)
勝ち負けなんて無いとみな言いたいのだろう。
そんなルールは人間の勝手な都合にすぎない。
本当は生きるか死ぬかだ。
自分はいつも色んな人の才能と幸運と幸福に
押し潰されて死んでいる。
そして、自分の弱さと小ささと醜さと汚れに
埋もれて生き返っている。
勝利に酔う美酒と敗北に喫する汚水を呑めず、
自分は死んで生きている。
(250531 勝ち負けなんて)
目を閉じる。瞼の裏に私の生家を思い浮かべる。
引き戸の玄関を潜って、左回りに家の中の窓を全て開けていく。居間を通り、台所、祖母の寝室、廊下に出て、階段を上り、従姉妹の部屋に入って、再び一階に戻る。
右手に進んで、脱衣所と浴室、廊下の突き当たりにあるトイレの窓を開けたら、客間に通ずる襖を開けて、ようやく全ての窓を開け切った。
そして、今度は全ての窓を閉じていく。道順は窓を開けた時と同じだ。
家の中を歩いていると、不思議と祖母が私の近くにいるように感じる。むしろ、私が祖母になって部屋の窓を開け閉めしている気分だ。私が祖母になっているのか、祖母が私になっているのか。胡蝶の夢のようで、気持ちが浮つき、なかなか落ち着かない。
目を開けたくなる。閉じられた視界が徐々に白んでいく。瞼を閉じる集中力がなくなってきた。けれども、まだ家の中の窓を全部閉じていない。
ようやく客間まで辿り着き、窓を閉めて、玄関に戻ってきた。最後に玄関を潜り抜けて、外に出る。
最後の鍵をかけようと振り返ったら、祖母が入口の間に立っていた。いつもの黒と白のタータンチェックのエプロンを着て、腰の裏で両手を組んでいる。細げで柔らかな髪は、相変わらず毛先でくるくると渦巻いている。日本人形のように白く透き通った肌が、暗がりの家の中で仄かに光っていた。黒い飴のようにきらりとした目で、にっこりと微笑んでいる。その口は微笑みで閉じられていたが、「いってらっしゃい」と言っているように聞こえた。
そうして私は、自分の生家に鍵をかけて、瞼を上げた。この家巡りで誰かと出会ったら、霊感があると言われてるらしい。たましいとの繋がりの証明とも言えそうだ。
私の生家は跡継ぎがいなくなった為、他人に譲り受けたので、自分と同じ血を持った者は、もうそこにはいない。だが、同じ血を持った者が過ごした物語は、まだ残っている。その物語を描き続けていくのが、残された者の宿命だろう。
今回の家巡りで確信した。祖母のたましいは、確実に私のたましいの中にいる。大人になれなかった父母のせいで、私の身体はすっかりと汚れてしまったが、せめてたましいだけは清らかでいたい。その為にも、繋がりを広げる物語を語り続けたい。
いつかは、私のたましいが、誰かのたましいに溶けていくことを夢見て語ろう。
(250530 まだ続く物語)
飛ぶ鳥跡を濁さずの心構えで、飲食店を利用した後は、できる限り皿もテーブルも椅子も綺麗にしていく。どうしても、口の周りだけ汚して気が付かずに立席してしまうが、生まれつきの癖だ。致し方ない。
前田エマの『動物になる日』に収録された『うどん』を読んで以来、上記の心構えをするようになった。果たして、小説に描かれた登場人物のように、店員の気持ちを爽やかにさせる潔い去り際が出来ているだろうか。
臆病になって、思わず他者の顔を窺ってしまうが、コップ一杯の水までも飲み干したのなら、もう十分だ。
そもそも、渡り鳥のように偶然入店してきた見知らぬ人間に、座る場所を譲った上、コップに水を注いで、料理をもてなしてくれるのだ。
金銭だけのやりとりに意識を向けてばかりでは、見えてこない繋がりにもっと触れたまえ。コップの水までも胃の中に入れて、ごちそうさまと言えば、私も相手も心まで満たされるだろうよ。
そう自分に言い聞かせて、お前はどこへ行っても、どんな料理を食べても、どの人物と出会っても、自分のままでいられるから、もっと遠くへ飛んでいけと夢を見る。それこそ、前田エマのように日本と韓国を行き来できる渡り鳥のような生活を過ごしてみたい。
私なら、日本と台湾を行き来する鳥になりたいものだ。日本へ帰る私に「一路順風」と文字通り、手を振って風を送ってくれるそんな光景が日常になって欲しい。
(250529 渡り鳥)
北方の海に泳ぐ黄金の髪の人魚と
南方の海に飛ぶ銀色の翼の鴎の血やたましいが、
さらさらと私の中に流れていたら良いのに、
子どもの自傷と自慰と自殺未遂を
見なかったことにした軟弱な父親と
子どもの自律と自制と自信を
奪って支配する魔女のような母親の血が、
この肉の中にドロドロとまとわりついている。
しかも、頭の乏しい死に損ないと
頭だけ賢い引きこもりの豚児らの
遺伝子までも受け継いでいる。
あらゆる毛穴からブヒブヒと醜く鳴いているぞ。
どうせ私も欠陥品だ。
父親が正常な胤があるかどうか確認したくて、
母親を利用して検便よろしく私を作ったのだ。
だが、私はとんだ鬼子だった。
金稼ぎが下手くそな癖に金のかかる我が儘ぶり。
ひとりになりたいと言いながら、
家からも離れず、親の脛をかじるお姫さまだ。
なんと酷い欠陥品だ、
私も豚児と呼ばれるにふさわしい。
こんなにも醜く粘りつく血が流れているなら、
私なんか生まれてこなければ良かったと、思った。
思ったが、ふと首を傾げた。
こんなにもどろりと汚い血を持ちながら、
何故親どもは、私のように、
自分さえ生まれて来なければ良かった、と
立ち止まって考えなかったのか。
彼らがそう思い止まっていたら、
醜い豚児はこの世に存在しなかっただろう。
鬼子に生まれ堕ちた私も生まれることはなかった。
何故と問うても、結局すべて塵芥に帰するのだ。
馬鹿だろうが、
屑だろうが、
大人になれなかった子どもだろうが、
どうせ骨になって、堕ちて割れて崩れて、
さらさらと消えていく。
白い浮雲のように、千切れ千切れに、
雲の影を映す海の中に溶けていくだけだ。
(250528 さらさら)