これで最後ね、と
尽きない欲望に言えるのは、
自身が死んだ時ぐらいだろう。
結局、己の欲望と無理心中しなければならない。
そんな死に方は嫌だと欲が騒ぐ。
お前は生まれるべきではなかったと黙らせた。
(250527 これで最後)
私は人の名前を覚えられない。姿形で認識するので、似たような部位を認めてしまうと、つい名前を間違えてしまう。
植物だったら、形さえよく覚えれば間違わない、と言いたいが、未だにアヤメ、ショウブ、カキツバタの違いが分からない。青いウメとアンズの実も、二つ並べられたら迷う自信がある。
しかし、生命体の名に興味のない私でも、シャガは嫌でも頭に残る。白い蝶と斑点模様の蛾の羽を組み合わせた花びらは、異様に見えて、美醜を携えた姿に畏敬の念さえ覚えてしまう。
あれは住宅の花壇に植えるような気軽さと普遍さを持っていない。シャガの姿が神々しく輝くのは、やはり林や森のような鬱蒼とした木々の中だ。人里と森の境界にある林縁こそ、シャガが咲く場所としてふさわしい。人と自然のあわいに立って、木陰の下で六弁の花びらを親しくも不気味に咲かせるのだ。
初めてシャガの花を認識した時は、変わった形の植物としか思わなかった。だが旅先で、見知らぬ林の中でシャガを見つけると安心できた。何より、塵芥の線引きさえも無い自然の中で、人間の知識を活かせる存在と出会えた喜びは心地良い。
ここにもシャガがある、と私は微かな声で言った。青白い花々は、花びらを動かずに風に当たっている。
どこで咲こうが、わたしはわたしなのだから当たり前だろう、と真顔で言っているようだった。
(250526 君の名前を呼んだ日)
燃えきれない塵の腐敗臭、
配達に追われる自動車の排煙、
年中無休排出するパソコンの二酸化炭素と
愚痴やクソしか言わない人間の二酸化炭素も、
すべて空気と化して、天まで昇っていき、
やがては灰色の雲となって雨を降らす。
どんな空気で作られた雨雲だろうが、
雨音は1/fゆらぎを奏でて人々を癒す。
雨粒は鋼鉄までも溶かす液体を降らす。
地獄のような地上に暮らす生き物を
やさしき音であまねく生かして殺す。
(250525 やさしい雨音)
確か、音楽番組の特集だったか。歌手の名も忘れたが、いわゆる大御所と呼ばれるような人物が、若手の歌手に、「はっきりとした日本語で歌え」と叱っていた。
英語のように、隣り合った単語をくっ付けて発音するやり方は、英語にしか表現できない。だが、その表現を日本人は日本語でもやりたがり、癖のある歌い方をする。お経の名残かもしれないが、同じ発音なのか分からない。
私は音楽を聞いて楽しむだけだ。才能も無ければ知識もない。ただJ-popの中には、英語で歌いたいが無理なので、日本語で代用しているようにしか聞こえない曲が多々ある。はっきりと言って、日本語でも何でも無い。ただの雑音だ。
結局のところ、その国の母語の発音を大事にした音楽が、その国民はもちろん、他国の人々からも愛されるのだろう。
母語を気持ち良く歌った曲は、最近だと『シンデレラグレイ』のエンディングテーマの「♾️」だ。最初から最後まで日本語を響かせる良い曲である。英語を真似したような癖もあまり無い。
案外、日本語として聞ける現代のJ-popは少ないのかもしれない。だから、日本語がよく聞こえる音楽が今の世に生まれたら、大事にしていきたい。
「♾️」が、後世の人々にも歌われ、やがては美しい日本の言葉を歌った曲として、歴史に刻まれたら良いなと壮大な夢を見ている。
(250524 歌)
少女は肩にかけた重いトートバッグに触れる。両手でそっと紐を包み込んで、そのまま握り締めた。
「あの、自習できる机ってありますか」
「児童室では自習できませんよ。他の階に、空いている机はありましたか」
少女が首を横に振ると、カウンターの向こうにいる図書館のスタッフは、残念そうな顔をした。彼女は相手の表情を察して、自分が勉強できる場所はないと理解し、俯きながら去って行った。
勉強熱心に見せかけてスマートフォンに夢中な学生と自分の居場所を失った高齢者、新刊の情報しか漁らないくたびれたビジネスマンなどなど、そのような利用者は受け入れるのに、勉強がしたい小学生一人さえも受け入れられないとは、何と恐ろしい現実であろう。
私は自分だけの図書館が欲しいと夢見ているが、やはり図書館は人類すべてのものだ。
あの少女に、勉強できる場所を提供したいと私は願ったが、その願いを叶えるには人情だけでは現実にならない。時間やたましいさえも消費させる社会に生きるには、どうしても金で問題を解消させるしかない。私の弱さも、臆病も、諦めも。
結局は、自分にはできないと虚な目で何事も無かったように振る舞ってしまう。
(250523 そっと包み込んで)