I want full of love more than your big love.
Pour me all the full of love.
(250422 big love!)
読書家も極まれば、本の声も読み取れる。耳で声を聞き取るのではない。肌で感じ取ることもあれば、頭に電流が走るような閃きもある。また本から漂う空気を嗅ぎ分けたり、目で追ったりする。
ただし、本の声を明確に視界でとらえることはできない。すべて感覚だ。何となく本のささやきに導かれて、気がついたら本棚の前に来ていたことが多い。
本に導かれる感覚は、星の粉を浴びているようで気持ちがいい。あまりにも浴びすぎると鳥肌が立って、前世からの因果関係ではないかと疑ってしまう。
恐怖心を煽られることが度々あるが、本も一種の生き物だ。未知の生命体であれば、既知の存在でもある。本に怯えながら親しみを覚えるのは当たり前だ。これは、読書家になってしまった者の宿命か、それとも性癖か。
たかが、文字が書かれた紙に心を奪われた者を呪われた人と称してもいいし、されど、言葉を載せた紙を一生の友とするめでたい人と称えても構わない。こちらとしては、本のささやきが聞こえない人生は死よりも恐ろしくて堪らない。
(250421 ささやき)
星なんて汚い石ころではないかと、人はスマートフォンの青い光で照らすだろう。そんな人を星明かりで照らせば、醜く見えるのは当然だ。汚いと言ったやつが何より汚い。
しかしそういう人間に限って、自身の欠点を見られたくない臆病者である。LEDライトを24時間年中無休に点け続けて、星の光を掻き消していく。頭の中まで汚い生き物に星を駆除され、いつかはレッドリスト入りになる日もそう遠くはない。
私としては実に困った問題だ。私は、星明かりに身も心も照らされたい。凍てつく冬に磨かれた星の鋭い光に貫かれたい。天の川の泡沫のように浮かぶ星の滴に溺れたい。
人間なんて醜くて当たり前だ。幾星霜の輝きに清めて貰えばいい。いっそ、流れ星に当たって砕けて熱されて溶けていきたいものよ。そうして、骨と燃えかすとなった塵から、星の如く煌めく私の鮓答が生まれることを星々に願う。
(250420 星明かり)
私が小学生の時のお話です。小学校と家の間には川があり、橋を渡って登下校をしていました。橋の近くには、コンクリートで固めた土手があり、川沿いには丈の長い草が生い茂っていました。
お八つ時に下校をすると、西に傾く日の光がランドセルを背負った子どもたちを見送ってくれます。あの頃の太陽は、夏でもまだ優しい日差しを照らしていました。
いつかの帰り道です。温かな陽光のもと、橋を越えた先の土手を歩くと、私の右側に影が伸びていきます。そちらは、家々が並び、土手との境には短い草木と車道があります。私の影は草木を覆いました。車道に沿って、もう1人の黒い私が歩いています。
影の靴底は厚くなって、背が伸びたような感覚に誇らしさを覚えました。一番長く伸びた足は歩くたびに、しなやかな動きを魅せて美しいです。何より私の大根のような足が、線を描いたように細くて真っ黒な足になりました。温かな日の光から生まれた影が、無駄な贅肉を削ってくれたのです。
私は、こんな細い足になりたいなと影を見つめながら家に帰ります。まるでパリのファッションモデルのような麗しい足取りです。この影を、人は足長の妖怪と見て怯えましょうが、私には理想な大人の姿と夢見ました。こんなにも長くて細い足なら親から馬鹿にされないだろうと、堂々と歩いたものです。
今では、太陽の光は強さを増し、肌を影よりも黒くさせます。そんな灼熱の陽光に対抗して、空に届きそうな高い建物がたくさん並んでいます。日陰があって涼やかですが、暗く湿った空気で不快な気分になります。
大人になってから、子どもの頃に夢見た足の長い影の私とは全く会わなくなりました。そもそも、自分の影を見る機会も減りました。
今日さえも、自分の影を見た覚えがありません。朝の柔らかな日差しでは影を作るのに弱すぎます。理想な陽光が照るお八つ時は、仕事をしていて日に当たりません。帰路に着く頃には、もうすっかりと夜です。
またいつかどこかで、足の長い影の私と会いたいです。もう一度、あの長い足で道を堂々と歩きたいです。
太陽が、空のいただきを目指す建物を溶かしてくれたら、どんなに良いでしょうか。低い建物から太陽がやっと顔を出してくれたら、きっと足の長い影の私に会えるでしょう。
その影も、光線のような強い日差しに黒く焼かれて燃えかすとなるかもしれませんが、夢を見たいものです。たとえ、一瞬の幻でも足長の黒い私に会いたいです。
(250419 影絵)
橋の下で拾われた鬼の子という物語を始めて一年が経った。キルケの脱糞の音は相変わらず汚く、痰吐きの豚は手入れを怠り白髪を増すばかりで、豚児どもは豚児のままだ。今も酒と煙草を口に咥えた赤子である。
彼らとの家族ごっこを、私はいつまで続ける気なのか。そう迷いつつも、本棚に住まう私の家族は増えている。
鴎の父もいれば、赤き夜明けの父もいる。兄も最近できた。老子の言葉を教えてくれる博識の兄さんだ。ほかにも、友だちになりたい歌人もいるし、物語の先生もいる。
あとは母親と呼べる本に出会えば、私はきっと人間らしく生きられるだろう。ただ母とはどんな人か、今も私には分からない。とにかく、自分の子どもを謎の中国人と矛盾した言葉で罵る人は母親ではないと分かっている。
きっと、私が拾われた橋の向こうに母親がいるのだろう。川沿いに咲く菜の花の列の中に母がいるかもしれない。
川の流れに合わせて揺れ動く菜の花。細やかな黄色い花びらが、だんだんと風に滲んでいき、黄色の霞を生み出す。鮮やかな黄色の霞の中に立つ母は、子どもの帰りを今か今かと待っている。
可愛い子やと川のせせらぎに載せて呼びかける。
おまんまだよと風の流れにも載せて呼びかけた。
私はまだ遊び足りないから、母の呼びかけに答えずに遊び始めた。
「母さん、母さん、どうしてこの花赤いの、どうしてこっちは黄色いの」
「のんきものさん、ここまでおいで。そしたら、教えてあげますよ」
黄色い霞の向こうにいた母は、トランプのマークを全てハートにする女王さまだった。
「さあ、ここにお座り。おてんとうさんの下でのんびりしましょう」
「のんびりとしたら、なんで黄色い花なのか分かるの?」
「みんな、おてんとうさんに見守ってくれて、好きに歌ったり、遊んだり、寝たりしたから、自分だけの色になりましたよ」
私は何色になれるのかなと母の隣に座った。母の髪は白い。秋の北風に吹かれて白くなった髪は、とても美しかった。けれども、その色は私には似合わない。その白い髪を輝かせる色になりたいと私は歌った。
母は、私が歌に飽きて眠りにつくまで、ずっと隣にいてくれた。
(250418 物語の始まり)