読書家も極まれば、本の声も読み取れる。耳で声を聞き取るのではない。肌で感じ取ることもあれば、頭に電流が走るような閃きもある。また本から漂う空気を嗅ぎ分けたり、目で追ったりする。
ただし、本の声を明確に視界でとらえることはできない。すべて感覚だ。何となく本のささやきに導かれて、気がついたら本棚の前に来ていたことが多い。
本に導かれる感覚は、星の粉を浴びているようで気持ちがいい。あまりにも浴びすぎると鳥肌が立って、前世からの因果関係ではないかと疑ってしまう。
恐怖心を煽られることが度々あるが、本も一種の生き物だ。未知の生命体であれば、既知の存在でもある。本に怯えながら親しみを覚えるのは当たり前だ。これは、読書家になってしまった者の宿命か、それとも性癖か。
たかが、文字が書かれた紙に心を奪われた者を呪われた人と称してもいいし、されど、言葉を載せた紙を一生の友とするめでたい人と称えても構わない。こちらとしては、本のささやきが聞こえない人生は死よりも恐ろしくて堪らない。
(250421 ささやき)
4/21/2025, 11:12:42 AM