橋の下で拾われた鬼の子という物語を始めて一年が経った。キルケの脱糞の音は相変わらず汚く、痰吐きの豚は手入れを怠り白髪を増すばかりで、豚児どもは豚児のままだ。今も酒と煙草を口に咥えた赤子である。
彼らとの家族ごっこを、私はいつまで続ける気なのか。そう迷いつつも、本棚に住まう私の家族は増えている。
鴎の父もいれば、赤き夜明けの父もいる。兄も最近できた。老子の言葉を教えてくれる博識の兄さんだ。ほかにも、友だちになりたい歌人もいるし、物語の先生もいる。
あとは母親と呼べる本に出会えば、私はきっと人間らしく生きられるだろう。ただ母とはどんな人か、今も私には分からない。とにかく、自分の子どもを謎の中国人と矛盾した言葉で罵る人は母親ではないと分かっている。
きっと、私が拾われた橋の向こうに母親がいるのだろう。川沿いに咲く菜の花の列の中に母がいるかもしれない。
川の流れに合わせて揺れ動く菜の花。細やかな黄色い花びらが、だんだんと風に滲んでいき、黄色の霞を生み出す。鮮やかな黄色の霞の中に立つ母は、子どもの帰りを今か今かと待っている。
可愛い子やと川のせせらぎに載せて呼びかける。
おまんまだよと風の流れにも載せて呼びかけた。
私はまだ遊び足りないから、母の呼びかけに答えずに遊び始めた。
「母さん、母さん、どうしてこの花赤いの、どうしてこっちは黄色いの」
「のんきものさん、ここまでおいで。そしたら、教えてあげますよ」
黄色い霞の向こうにいた母は、トランプのマークを全てハートにする女王さまだった。
「さあ、ここにお座り。おてんとうさんの下でのんびりしましょう」
「のんびりとしたら、なんで黄色い花なのか分かるの?」
「みんな、おてんとうさんに見守ってくれて、好きに歌ったり、遊んだり、寝たりしたから、自分だけの色になりましたよ」
私は何色になれるのかなと母の隣に座った。母の髪は白い。秋の北風に吹かれて白くなった髪は、とても美しかった。けれども、その色は私には似合わない。その白い髪を輝かせる色になりたいと私は歌った。
母は、私が歌に飽きて眠りにつくまで、ずっと隣にいてくれた。
(250418 物語の始まり)
林のはしっこ、林縁と呼ばれるこの境界線は夢現のようだ。人家に近い場所は明るく、色とりどりの花が咲き、鳥は悠々とさえずっている。林の奥は木々に囲まれて暗い。林縁から見ても、林の影が幾重にもなって真っ暗だ。
そんな暗闇の前にポツンと花が咲いていたら、まるでともし火のようだ。青い炎が燃え上がっている。赤よりも静かに熱した瑠璃色の炎だ。サントオレアが茎を真っ直ぐに伸ばして、細やかな花びらを柔らかく広げている。
不意に、真っ黒なめしべが瞳のように見開いた。目が合ったと思った時には、サントオレアの向こう、暗い林の奥から何かが横切った。
ゆったりとした足取りで、獅子が林の中を歩いている。あちらは風が吹いているのだろう。たてがみが風になびて、月光のように淡く輝いている。暗闇の中、星の粉を煌めかせて振りまいているようだ。
獅子は、ただ真っ直ぐ見つめている。足元にあるだろう草花に目もくれず、ひたすらに地を踏んでいる。獅子と距離を置いているが、私が立っている林縁まで獅子の足音が聞こえてくる。そう感じた。足の裏で地面を感じ取る獅子の歩みが私の耳には聞こえる。自分らしく歩める健やかな生活に喜ぶ獅子の笑みも、林の影から浮かんで見えてくる。
私は獅子に微笑み返した。すると、サントオレアと同じ瑠璃色の瞳が私を認めた。
「何もかもよくぞみつめて生を踏む君が足あまり健やかなれば」
サントオレアの真っ黒なめしべが瞼のように下ろした。林縁のそばに立つ私を太陽の光が照らす。眠りから起き上がったように、私は息を吸い込んだ。草木の揺れる音、花の甘い匂い、林の奥から吹く冷たい風。
かすかに空気が震えた。産毛がとらえた振動は、やがて鳥肌を立たせ、神経までも震わせた。
脳の後ろに電流が走る。いや獅子が駆けていく。林の奥へ奥へと走っていった獅子が、誰の目や耳にも届かない暗闇の中で吠えた。一度きりだったが、私の耳にはその遠吠えが聞こえた。私の目には咆哮する獅子の姿が見えた。
緑陰の中、木漏れ日のもと、獅子は梢の間から覗く青い空の瞳に向かって呼んだ。当然、青空は木霊を返した。
(250417 静かなる情熱)
映画のマルセルが、親しい人たちの会話を壁越しで聞くのが心地良いと言ってくれたが、私にはそれでもやかましく聞こえて煩わしい。
私は山奥を訪れて、風に揺れる木々の音を聞いていたい。虫の音が涼やかな晩秋のくれないの山に行きたい。
遠くにいる人々の声を運んだ風が、木々の間をすり抜け、草木を揺らし、木の葉を震わせる。紅葉とした山々から鳴り響く木の葉のささやきに耳を傾けるのが、私にはちょうど良い。
(250416 遠くの声)
こ
の
春
も
血フ
しァ
ぶル
きハ
散|
らド
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チ恋
ュ実
|ら
リず
ッ
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(250415 春恋)
だんだんと子どもしかいない世界になっていき、今の世界よりも異世界に生まれ変わりたいという大人が増えては、この世に生まれる赤ん坊が減っていく。
やがては、母親の膣に向かって「お前はこの世に生まれたいか、異世界に生まれたいか」と尋ねる物語が生まれるだろう。
この世界に飽きれたのなら、不思議の国に落ちていけば良いじゃないと、墓石よろしく高層ビルから飛び降りて夢の中に入る子どもは、もうすでにいるかもしれない。
ぼんやりとした不安なんかよりも、漠然とした不穏を知りたくて、自ら首を絞める子どもたちは、てるてる坊主の生まれ変わりか。明日天気になれと願えば良いのに、求めるは親よりも不特定多数からの称賛と肯定だ。仏さえも思わず、蜘蛛の糸を断ち切りたくなる餓鬼の欲求だ。当然、この世に転生する子どもの魂は消えていくだろうよ。
大人の鏡になってくれる子どもがいない世界にいったい何の価値がある。自分の中に集めたい世界はどこだ。どこに消えてしまった。
ディストピアの未来図を描いて、そんな展開を現実で起こさないようによく見て学べというが、本当に起こりそうで恐ろしい。
だが、たとえ大人がいる世界が滅んでも、子どもの耳で崩れていく音を聞けば、雨音のような心地良さを覚え、一種の音楽となって鳴り響く。崩壊のリズムから芸術が生まれるだろうよ。
(250414 未来図)