寝不足と現実逃避に居眠りをして
とじる瞳は綺麗なのだろうか。
スマートフォンのブルーライトしか浴びずに
とじる瞳は綺麗なのだろうか。
古今東西の物語や言葉を読まずに
とじる瞳は綺麗なのだろうか。
道端に咲く小花にも目もくれず
とじる瞳は綺麗なのだろうか。
そうして濁ってしまった瞳を逸らして
とじる瞳は果たして綺麗になれるだろうか。
とじた瞳の先で見つめ返してくれる
綺麗な瞳はどこにいるだろうか。
(250123 瞳をとじて)
「さあ、どうぞ。お受け取りください」
そう女は、足元でうずくまる男の頭に自身の足の裏を載せた。女は大分手慣れたようで(足慣れたと言うべきか)、素足の指先で男の髪を掴み、男の丸い後頭部に沿って足の裏を丸め、踵でこの男の頭をしっかりと固定させた。
男は、頭上に重くのしかかる色白の足の神々しい存在に、床に額を付けたまま手を合わせて微笑んでいる。彼にとって特別な瞬間であるが、女からすればいつものことなので、大して笑顔にもならない。
しかし、風呂上がりから間を置いて乾ききった清潔な素足で触れる、男の柔らかな髪は大層気持ちが良い。ベロア調の絨毯を撫でているような心地良さに、女はくすぐったく身をよじり、彼の毛並みに皮膚が同化されそうな不快を覚える。だが触るのを止めれない。
男の頭を床に押し潰すようにしていた足を軽やかにし、女は自由気ままに男の髪を撫で回した。足先にも足の裏にも踵にも、挙句は足の甲で男の頬に垂れた毛先をすくい上げるように触れ遊んだ。
「仏足石をいだたかせてください」と希った老人の日記がこの世に存在すると知ってから、男は女からのこの贈り物に心底救われている。女と手を繋ぐよりも足で踏まれる方が、この男にはちょうど良いのだ。
女からすれば、やはり日本の男は仏であろうが、女の姿であれば誰であれ抱きたくなるものかと今日も嘆いてしまう。
鬼のような心持ちになれない悲しみを足先に込めて、女はもう一度男の頭を踏み締めた。
(250122 あなたへの贈り物)
どんなに真っ直ぐに道を進みたくても、それが目標を指し示す羅針盤を旅路の供にしたとて、人である限り道を踏み外すのが性であろう。人道踏み外せばそれこそ外道だ。
だからと言って、いくら道にそれても、その道中に親切にしてもらった人への礼儀の姿勢を崩してはならない。
長谷川伸の『一本刀土俵入』の茂兵衛は、見知らぬ姐さんから、横綱の夢のためにお金を工面してくれたが、結局叶わぬ夢に彷徨う風来坊になった。
それでも茂兵衛は、その姐さんの親切心に礼を言いたいと10年後、彼女と再会した。
貧困の末に、彼女の家族は夜逃げをするも借金取りに襲われてしまう。そこに、自慢の力強さで返り討ちにした茂兵衛の姿は、正に横綱の土俵入りだ。
己が道を指し示す羅針盤は、尊敬さえあれば生まれるが、この人間までも消費する現代社会に、果たしてどれほどの尊敬の念が残っているのか。
横綱茂兵衛の幕引きを飾った桜と共に散ってしまっただろうか。
(250121 羅針盤)
アニムス、あなたはやはり「でも」と言ってしまうんだね。
明日のことを考えれば鬼に笑われるし、明日に向かって歩きたくても、今日のあなたの亡霊が、今日の繰り返しをしたいと駄々を捏ねてくる。あれこれと気になって仕方ないよね。
さあ、アニムス。目をつぶって。私が本を読んであげるから横におなり。明日を詠った新美南吉の詩を読んであげましょう。
花園のように、祭りのように、そしてランプが灯るように、明日があなたを待っているよ。
明日になれば、また起き上がれるし、お腹の調子も良くなるし、誕生日ケーキも食べられる。何より、南吉に贈るアンソロジーを編む日が近づくよ。楽しみだね、アニムス。
あなたが眠りに就くまで、本を読むからそのままおやすみよ。もし夢を見たら、明日私に聞かせてね。
(250120 明日に向かって歩く、でも)
拝啓
寒中見舞いとわたくしの独り言を申し上げましょう。
自分は自分ひとりしかいないから、大事にしろだの生きろだの綺麗事を言われるよりかは、そのただひとりの自分だからこそ、自ら断ち切るが如く消費したくなるよねと同調してほしいものです。
孤独に、暴飲暴食をしたり、惰眠を貪ったり、SNSで時間を浪費させたり、過去をやり直す妄想を延々と繰り返したりと、無意味な時間ではあるが、自らの意味を持たせたい時間と共に過ごす、たったひとりの自分がいても良いでしょうよ。
君は今日も、湯船の中でやり直したい人生を思い描いていましたね。でも結局は、湯の煙を喫しただけの霧散霧消に過ぎないのです。
さあ、明日に備えて早く布団にお入りよ。未来の私は、寝不足で堪らず、コーヒー片手にお菓子を噛み締め、刺激物に吹き出物が起こって仕方ありません。
敬具
令和七年一月十九日
たったひとりの私
(250119 ただひとりの君へ)