世界中すべてのイルミネーションを指で摘んで粉々に砕き、そっと息を吹きかけて夜空に撒いたら、星々がさぞ喜んで眩いばかりにキラキラと煌めくだろうよ。
(241214 イルミネーション)
この両手で貴方から水を注いでもらう。
やたらと長い生命線の筋を辿って、水を口の中に流し込む。勢いあまって、味が分からなかった。
もう一度手を添えるが、貴方は私にまだ飲むのかと尋ねてきた。うなずく私に、貴方は本当にかと用心深く聞いてくる。はいと返事をしたら、先ほどよりも少ない水を渡された。
その水の少なさに驚いて、私は黙って手のひらの水たまりを眺めた。じっと目をこらすと、私の手汗が真珠の粉をまいたようにキラキラと輝いている。
さっきの水よりも美味しそうだ。私は水に口付けをしてから、唇を開いて歯を濡らし、舌の上に水を転がして上顎に水の冷気を当てさせ、そして喉の奥へするりと流し込んだ。胃の中に飛び込んだ水の温かさが、内臓を潤す。鼻の奥から雪解け水のような甘い香りが、ふわりと漂ってきた。
「貴方のさかずきで飲んだこの水は美味かったか」
はい、ごちそうさまと私は白き鴎に向かって両手のさかずきを捧げた。
どうぞまたここに、あなたの愛を注いでください。
(241213 愛を注いで)
冬の白き陽光を浴びている から紅のさざんかを指で摘んでみると、湿っているような柔らかさであった。
葉肉という言葉があるなら、これは花肉と言えるだろう。響きからして甘くて美味しそうだ。蕾から花開こうとするさざんかも柔らかい。こちらの方が、花開いたものよりも人肌に馴染む。未だ蕾のものは当然固い。
これが暖かな日の光と乾いた寒風で、だんだんと糸がほぐれていくように咲くから実に面白い。
開いた花に思わず手を伸ばしたのは、このさざんかのように自身のこころを開けたい願いがあったかもしれない。もし私のこころが花開いて花肉のようにしっとりとしていたら、何度も指先で円を描くように触りたいな。
花の心を詠めるなら、私のこころはきっと詩人だ。指先を黄に染めた花粉をこころに受粉せよ。
そのこころ、薔薇ならば花開かん。
(241212 心と心)
急に子どもが私に向かって走ってきた。後を追うように、その子の父が走ってはダメだと注意を呼びかける。私のもとに辿り着いた頃には歩いてやってきた。
その子は、図書館でお菓子を食べていけないのならアメもダメなのかと尋ねてきた。私はそうだよ、いけませんよと答えた。
子どもは私の答えを聞いて満足したのか、父親の所へまた駆け出して戻っていった。おそらく父の言うことが正しいのかどうか確かめたかったのだろうか
マスク越しで私は思わず頬を緩めた。数分前まで飴を舐めていた舌先で、よくもまあ何でもないフリをして言いくるめたものだ。
(241211 何でもないフリ)
仲間は、電車に偶然乗り合わせた関係ぐらいがちょうど良い。
私の真向かいに座っている人は、熱海駅からずっとそこにいる。20の駅を通り過ぎたが、まだ一緒だ。
向こうはスマートフォンを触らず、本も新聞も読まず、膝に置いたパックバックを抱えて、私の背中にある窓を眺めている。
私は、静岡から神奈川まで見られる相模湾を肩越しで眺めた。波の輝きさえも望めなくなったら、向かい側の窓に映る秋映えの丹沢山を仰いだ。
だんだんと家々が増えてきたから、読書を始めるも、電車の揺れと暖房の暖かさに二度も舟を漕いだ。帰路を急ぐ群衆と共に東京駅を過ぎて、いよいよ私の地元が近づく。
反対席のあの人は、まだ座っている。もし同じ駅に降りたら、運命的な偶然を理由にパートナーになろうかなと期待に胸を膨らせる。とうとう、自宅の最寄駅に辿り着いた。降りながら電車の窓を覗くと、同乗者はまだ電車の中だった。なるほど、相手の旅はまだ終わっていないようだ。
旅は道連れという思い出までも手にした私は、その人に交差した二本指を見せて旅路の幸運を祈った。
(241210 仲間)