空はすっかり夕暮れで、行き交う人々は皆足早だった。
忘れ物を取りに来たと言うと、学年主任はしぶしぶ鍵を開けてくれた。自分の名前を覚えられていたことに少し驚いた。
何かを探す素振りすらせず窓に顔を近づけた。横断歩道が見える。
いつもの騒がしさも、寒すぎるぐらいの空気も、そこには無い。
やや熱のこもった風に包まれている。
あの横断歩道で、先輩が2人、死んだらしかった。
目を細めてみれば、花やら缶ジュースやらが置かれているのに気づく。
知らない人では無かった。というか、同じ部活だった。
先輩方は退部した。1週間前だ。そしてすぐ訃報を聞いた。
率直な感想は、「やっぱそうなったか」で、
次に思ったのは、「前の席の奴がニヤニヤしながらこちらを見てきて気持ち悪いな」だった。「結構美人だったのにな」などと言われても困る。
分かってはいたが、部活に行っても2人は居なかった。
優しい人だったんだけどな、と少し惜しむ。大して会話もしてなかったしそれなりの仲でも無かったが、やはり佳人薄命とは本当なのだとも思ったし、真面目な人間ほどすぐ消えるのだと知った。
後方の扉から学年主任が顔を出して僕を急かした。
「忘れ物なんてしてませんでした、ごめんなさい」
頭を下げると苦笑いをされた。
本当は忘れ物なんてしてない。ただ、あの横断歩道は通学路じゃなかったから。
それにあそこに行ってしまったら僕は傍観者でなくなる。リアルな人の声が聞こえてしまう。故人の首を絞めるような声が、死体を蹴って内臓を犯す声が。
それでも誰もいない教室から見下ろした街は、やけに綺麗に見えた。
三十九作目「誰もいない教室」
前作と繋げるのがすきすぎて困る
悦に浸る、と言うべきか。
まさしく今現在そんな感じに口角を上げている君を見ていると、
ぶん殴りたくなった。
信号は赤。まだ進めない。
反対車線に君は立っている。
何分も、もしかしたら何時間も、何日も前からそこに居る。
行き交うトラックや自家用車の隙間から、やっぱり君の顔が見える。
なぜそこに居るのか、僕には分からなかった。分かりたくもない。
花束を抱えた中年の女性が、跪いて手を合わせた。
君は彼女を一瞥し、ぬるいコーラを飲み干した。
こちらに来いと誘っているのだろうか。
一体僕に何をしろと宣うのか、さっぱり君の意図が読めないのだが、
ただ、信号は青になった。
果たしてどちらから歩み寄るべきだろうか。
生と死の境界など誰にも分からないから、きっと君も僕もこの世界に留まり続けても仕方が無いし、さっさと川渡りして石積みでもしたらいい。
信号がまた赤くなったが、透いた君が近づいた。
三十八作目「信号」
何日も前から考えていた台詞が、喉の奥につっかえたから呑み込んだ。
ずっと言いたかった。いつも思っていた。
でも、吐き出せない。
一度呑み込んだ声は、強引に指を突っ込んで掻き回さなきゃ出てこないものなのだろうし。
だから、諦めた。
何度も、何度も、掴もうとしたものを取り逃し続けている。
目の前にはいつもと変わらない笑顔の貴方が居る。
言い出せなかった「」
自己肯定感の低さは元からだろうか、それともどこかのタイミングで撒かれた種が芽吹いてしまったのだろうか。
どちらにせよ除草剤も効かぬ疾患ならば仕方が無いのだと思った。
遠くの席で静かに虚空を見つめている不細工な横顔を見た。
その毛量の多く乱れた髪が覆う後頭部めがけて誰かが消しゴムを投げつけた。
また始まった、続いて筆箱やらノートやらが当たり、彼女のメガネがずれた、やがて落ちる。
途端に、やはり、好きなのだと悟る。
だがそれは純愛でもなんでもない吐き気を催しかねないような愛憎混じりの執着でしかない。
きっと、口に出さぬ方が良い愛もあるのだろう。
救世主シンドローム。若しくはメサイアコンプレックス。
彼女を愛しく思うのはこれの所為だろう。
自分は苦しむ他人を救うことによって満足感を得て自己を肯定する、どうしようもない屑なわけで、彼女への愛は本物でもなんでもない。
他人を利用することしか考えない自分が、きっと世界一救えない。
彼女の席に駆け寄り、虐める輩を追い払ってやった。
クラス内で真面目な学級委員長役をしていたおかげか、彼らはあまり反抗してこないような気もする。
単に面倒臭がられているだけかもしれないが。
「ありがとう」と言われた。
掠れたか細い声は、とてもじゃないが耳障りで厭な気持ちになった。
だが同時に、その甘美な五音の響きに恍惚を誘われる。
感謝を述べられる度に、自分は生きてても良いのだと思う。
こんな自分でも存在価値はあるのだと、誰かに求められているのだと、あの一言だけが希死念慮を制御してくれるから
三十六作目「secret love」
毟り取った雑草はビニール袋を満たした。
空虚な一戸建てをぐるりと囲むような泥の帷に咲く夏草を、ひとつ残らず始末した。
この頃は雨なども降らず、猛暑の日々が続いている。
早く秋という季節が訪れれば、ちょっとはこの鬱屈とした心も癒されるだろうか。
修学旅行で見た京都の寺を思い出す。紅葉が散ったらきっと綺麗だ。
数日経った。或いは数週間が経った。
夏草は伸び切っていた。
相変わらず外は炎天下で、蝉の鳴き声が耳を劈く。
ふと、この緑達は、どこまで根を張っているのだろうと思った。
きっと自分の想像を遥かに超える地下深くまで、生命活動を絶やすことのないよう埋まっている。
だから自分のこの閉塞感や卑屈な感情も、いくら毟り取っても消えないのだろう。
もし今度外に出て、長い距離を歩くことができたら、除草剤を買おうと思った。
三十五作目「夏草」