「お兄さん、最近よく来てくれますね。」
目の前で色とりどりの花を丁寧に包む店員の彼が、不意に言った。
柔らかく繊細な花を、これまた柔らかい紙で包んで、上から透けるような不織布を巻いて、最後にリボンを巻く。ここ最近、ほとんど毎日目にする光景になった。
包んでもらう花束はいつも同じもので、赤いアネモネに同じ色のチューリップ、差し色にブルースター。ふわりと香る花の匂いと同じ匂いが、目の前の彼から漂ってくる。
「最近、好きな人ができまして……」
照れからついはにかんで言うと、彼は一瞬目をぱちりと瞬かせてから、花の綻ぶような笑顔を浮かべた。
「あ、やっぱりですか?うっすら思ってたんです!貴方が買っていく花、いつも愛を伝える花言葉のものばかりですから!」
やはり、彼は花屋の店員らしく花言葉も知っていたらしい。俺の選ぶ花はいつも、どれを取っても恋人に贈るようなものばかりなのだ。
「でもお兄さん、バラは買っていきませんよね。中々いませんよ?」
「バラは……特別な日までとっておくことにしたんです。」
彼はまたくすくすと笑って、赤色のリボンをきゅっと結んだ。
「ふふっ……案外ロマンチストなんですね。」
高身長でそれなりに鍛えている俺は、傍から見ればロマンチックなものとは縁遠い存在のように思えるだろう。しかし、姉がいる影響なのか、俺は見た目に反してロマンチストの節があった。
「ええ、お恥ずかしながら……店員さんは、ロマンチストなのはお嫌いで?」
「まさか。僕も好きですよ、そういうの。やっぱり憧れるじゃないですか。」
なんて彼が頬を赤らめてまた笑ったものだから、俺はもう我慢できなかった。花言葉にどれだけ詳しくても、どれだけ俺がここに通っても、鈍い彼は気付いてくれないらしい。それならば、直球で、真っすぐ伝えるしかないだろう。
「……はい、できました。」
花束を手渡されたのを、そのまま彼の手に戻す。そして彼の手を取って、俺は今日、花束を本来の目的で、好きな人に好意を伝えるために使った。
その日からもう、俺の家で花束が萎れていくことも、捨てられないリボンが増えていくことも、もう無かった。
テーマ:花束
今日はつくづくついていない。筆箱を家に忘れ、提出のプリントは存在丸ごと忘れていてほぼ白紙。先生に当てられた時だって、よりにもよって唯一分かっていない問題の時。何もかもが敵に思えて、本日何度目かも分からない溜息が溢れた。
「どしたの、元気ないね。」
ひょこ、と俺の後ろから、購買のコーヒー牛乳を咥えた友人が顔を出した。軽薄そうな物言いながら、その裏にはじんわりとした心配の色が滲んでいる。
「なんでもねー。今日ツイてないから萎えてるだけ。」
少し拗ねたような声で言うと、彼はにまりと、しかし安心したように笑った。ツンデレで甘えん坊な猫のような目が俺を見つめ、放課後の夕日を受ける瞳はうるりと光を湛えている。
「なーんだ。心配して損したじゃん!不運なんて僕と遊んだら一瞬で忘れるでしょ?……ってことで、ゲーセン行こ?」
コイツ、初めからこれが目的だったようだ。以前コイツにゲーセンのメダルを掏られてから、もう二度とコイツとは行かないと決めた。が、今日くらいはいいだろう。へこんだ気持ちを持ち直すのにも、きっとあの喧しさは丁度いい。
「……いーよ。行く。」
彼は更に笑みを深めて、ガタガタと騒がしく鞄を俺に押し付けてきた。
「決まり!早く行こ!ほら早く!」
ぐいぐいと背中を押され、若干よろめきながら教室を後にする。夕焼けの茜色に満ちた帰り道は、朝よりもずっと明るく、眩しかった。相槌も打っていないのに隣で延々喋る彼の声も、丁度いい気晴らしの一端を担っているようだ。
「ねー、今日何の台やんの?どんくらいメダル増やせるか勝負しよ!今日お前不運だし絶対負けない気がする!」
都合の良い勝負を仕掛けてくるのもいつも通りだ。毎回俺が勝っているのに、何故かコイツはずっと懲りずに勝負を挑んでくる。構ってほしい内心が丸見えだが、それを言ってしまうと二度と勝負に誘ってはくれなくなる気がしたので言っていない。
「……ぜってー今日も勝つからな。負けたらジュース奢れ。」
彼を突き放すように言うが、口元の笑みは隠せない。彼は喜色満面といった様子で、にぱりと笑った。
「どーせまた苺ミルクでしょ?けっこー子供舌だよね。」
「うるせ。」
べし、と背中を叩く。文句を言ってくる唇も、気付けば三日月型に弧を描いていた。俺達の放課後は、まだまだ序章に過ぎない。
この後、メダルはしっかり掏られたし、勝負にはきっかり勝って苺ミルクは奢らせた。なんだかんだ、そこまで不運でもなかった、気がした。
テーマ:スマイル
俺は生粋のサディストである。恋愛的指向の話でも、性癖の話でもない。俺という存在を形作る概念として、サディストが自然と組み込まれている。
対象は、何も人間には限らない。それは可愛らしい子犬であるかもしれないし、あるいはSFに出てくるような、無骨で力強い無機物かもしれない。
破壊が好きなのでもない。俺はあくまでも、対象の、苦しみの中にある微かな希望の光や、終わらない感情の波に押し流されそうになっている姿が好きなだけなのだ。あえて言うのなら、破壊と苦しみの中に潜む、抗い難い悦びや希望を手放せずにいる矛盾を抱えたものが、好きなのである。
そんな俺は、遂に出会ってしまったのだ。これまで見てきたどんなものより、苦難に喘ぐ顔が似合って、その瞳に宿る、薄くぼんやりとした希望の光が潰えない男。
彼は一瞬にして俺の性癖をめちゃくちゃにしていった。性的志向さえ変わってしまいそうなくらいだ。きりりと釣り上がった眉と、高飛車でプライドが高そうな吊り目。きゅっと引き結ばれた唇は薄く繊細で、どこか純血で気高い血統書付きの猫のような雰囲気の男だ。
ある日、俺は見てしまった。営業部の成績発表の日、僅かに1位に届かなかった彼の顔が、微かに引き攣ったのを。その顔が妙に心に残って、言い換えれば色っぽくて、後を尾けてみれば、誰もいない資料室に彼の嗚咽が響いていた。
俺は瞠目した。あの高飛車な彼が、あんなに上品に、淑やかに泣くのかと衝撃を受けた。そのいじらしさと、赤くなった目元や鼻先があまりに愛しくて、俺はその日、初めて男のことを夢に見た。
その日からである。俺がこれまで以上に営業部での成績にこだわりだしたのは。元々1位だった俺との差が開くたび、彼は必死になって喰らいついてくる。それでギリギリまで迫ってきた頃、俺も本気になって差を広げる。そうすると、なんともまぁ、酔狂ではあると思っている。彼はそのプライドに見合った努力ができる人間であり、それが余計に俺の性癖によく刺さる。
今日も今日とて、彼に小さな敗北感を与え、俺は密かに笑みを浮かべる。この彼への愛おしさを、今すぐにでも上等なレターセットに綴ってしまいたかったが、それはしない。
彼には、俺がこんなことを考えているとも知らず、ただ純粋に、勝てない悔しさの中の希望を見続けていてほしいのだ。
テーマ:どこにも書けないこと
俺には幼少期の記憶がない。幼い頃事故に遭って、それで記憶が飛んだらしい。本当かは知らない。だが、幼少期の記憶なんて、無くたってそこまで困ったことはなかった。誰もが幼い頃のことを少なからず忘れているから。
ただ、一つだけ。記憶が無くて困ったと思ったことがあった。困ると言っても、重大なものではない。少しモヤモヤする程度だ。それでも、気になることに変わりはなかった。
俺の部屋にある、壊れて動かない時計。それが気掛かりだった。短針の無い、長針の曲がった時計だ。本来時計の盤面を覆っている、ガラスなり樹脂なりのカバーは割れていて、針に触れることができた。この時計を見る度俺は、言いようもない不安感と、失った記憶に対する焦燥が僅かに積み重なっていく。それが不快で仕方ない。
けれどまぁ、それだけだ。少し気になりはしても、深掘りしようとは思わない。思わなかった。ついさっきまでは。
唐突な転校生の存在を告げられ、朝から俺のクラスは騒がしかった。こんな田舎の学校に転校してくる者は、そう多くないからである。俺はそこまで興味を惹かれなかったし、転校生がどんな人物かを熱心に予想して語る友人が鬱陶しいな、程度にしか思っていなかった。
転校生は男で、この学校の、絶妙にダサい、古臭いデザインのブレザーさえ着こなすスタイルと顔面の持ち主だった。男子は露骨にしょげて静かになり、反対に女子は騒がしさを増す。その騒ぎの渦中にいる転校生が、俺の方を見た気がした。
放課後になって、帰ろうとしていた俺に、彼は静かに近付いてきた。何故か満面の笑みにも等しいような笑顔で、手には何かを握っている。
「ねぇ、僕のこと覚えてる?」
俺はかなり返答に詰まった。幼少期の知り合いだとしたら、覚えていないのだ。しかし、それを正直に言うのも少し憚られる。
俺が言葉に悩んでいると、彼は更に笑みを深めて、形のいい唇を歪めて言った。
「覚えてないんだよね、知ってる。……見覚え、あるでしょ?」
彼の手に握られていたのは、どこかで見たようなデザインの、針。根元の丸い穴と長さを見るに、たぶん時計の短針。
ふと、あの時計を思い出した。短針の欠けた時計。俺の心にずっと引っかかっていたもの。
「久しぶりだね。まぁ、君は覚えてないだろうけど。」
歪に歪んだ針が噛み合って、放課後の教室に響く時計を進める音が、静かにカチリと溶けていった。
テーマ:時計の針
僕の家は、少しだけ変わっている。家庭環境がどうだとか、間取りがどうだとかいった話ではない。少しばかり、置いてあるものが変わっているのだ。
僕は昔から寂しがりで、常に人の温もりを求めていたらしい。記憶も残っていないような、物心がつく前の話でも、大抵、誰かに抱っこを求めている。
そんな寂しがりな僕は、よくいる男の子のような趣味はあまり育たなかった。かっこいいロボットに憧れたり、カラフルなブロックで銃を作ったりするような趣味は、僕の心にそこまで響かなかったのだ。
代わりに僕が熱中したのが、人形遊びだった。初めは、人の温もりに代えるように、可愛らしく、柔らかく、温かなぬいぐるみから始まった。いつの間にか僕の部屋はぬいぐるみで埋め尽くされ、初めて買った一人用のベッドも可愛らしいパステルカラーのものだった。
中学2年生の時だっただろうか。僕に転機が訪れた。ぼんやり眺めていた動画サイトで、ある作家に出会った。その人は人形作家で、音楽も解説も無く、ひたすら人形作りの映像だけを投稿していた。初めはのっぺらぼうのようだった球体関節人形のヘッドに、アイホールが空き、可愛らしい顔がメイクされ、最後に、うるりとした樹脂製の瞳を嵌め込まれる。途端に人形は魂を宿したかのように生き生きとした表情をして、綺麗な服で着飾って、可愛らしい写真をたくさん収めてもらう。僕は、人形の世界にどっぷり浸かっていった。自分で人形を自作し、ネットオークションでこれまでの貯金を使い果たすほど人形やら用品やらを買い漁り、充実した日々を送っていたのだ。
初めて参加したドールイベントの日、僕の人生はまた変わった。僕の愛した人形のように、滑らかな肌と長い睫毛、潤んだ瞳とぷっくりとした唇を持つ、天使のように綺麗な男の子だった。
彼と僕は、人形を接点にすぐに仲良くなれた。元々、可愛らしいドールを好む男性が少ないのもあって、意気投合の速度は異常なまでに早かっただろう。
それから、僕にはもう一つの趣味ができた。人形を着飾らせるように、彼を美しく飾っていく。元々見た目のいい彼は、どんな服を、どんなふうに着せてもよく似合った。
ぬいぐるみも、ドールも、彼も。全部そうだった。僕は、依存心が強いらしい。気に入ったものはずっと側に置きたい、離したくない。いつまでも綺麗に飾って、自分の部屋で眺めていたい。
そんな思いが溢れた今日、僕は僕の部屋に、蜘蛛の巣のようにリボンや毛布でデコレーションされた、甘ったるいまでに可愛らしい部屋に、彼を誘い込んだ。
テーマ:溢れる気持ち