真宵子

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12/8/2025, 5:40:35 AM

はぁ、と長く長く溜息をついてみる。真冬の寒さに満たされた外気の中では、それはすぐに真っ白になった。
そうやって何度か遊んでいると、幼い頃誰もがしただろう遊びがふとしたくなった。
そのままの足で近くのコンビニへ寄って、迷わず菓子売り場へ突き進む。手に取ったのは、タバコを模したラムネ菓子。
外に出たら、ガードパイプに軽く座って、ちょっとカッコつけたようなアンニュイな表情と仕草でラムネを咥える。適当に二、三回舐めてから、ゆっくりと息を吐き出した。数回繰り返したところで、冷静になった心の片隅が羞恥に耐えきれなくなってラムネを噛み砕く。薬のトローチに似たような、少しだけ清涼感のあるココアの風味が鼻を抜けた。
まだ5本も残っている中身を見て、そもそもそこまでラムネが好きではない俺は処理に困った。明日適当な友人になすりつけることにして、箱を乱雑に制服のポケットに押し込む。
いつも紫煙の匂いを纏って、気怠げな瞳の中に確かな意志の色を宿した人。その人の真似事に過ぎなかった。まだ幼かった俺に外の世界を教え、光の下へ連れ出してくれた人。あまりに自由奔放な彼は、俺が中学一年生の時に突然異国の地へ飛び立ったまま音信不通。体調を崩していないか、何かに巻き込まれてはいないか、それ以前に生きているのかすら分からない。
はぁ、とまた長く息を吐く。彼の吐く煙草の煙と違って、所詮水でしかない俺の息はあっという間に霧散して消えてしまう。彼の煙草のように、匂いで記憶に染み付くことも、その場の空気を揺らめかせることもない。
なぜだかどうしようもなく寂しくなって、薄暗くなり始めた冬の空を見上げた。藍色の空に白い月が頼りなく浮かんでいて、それを薄い雲が暈している。
「……風邪引くぞ?」
動けなかった。あまりに聞き覚えのある声だった。そして、何より。
「んだよ。なんでそんな幽霊見たみてぇな顔してんの?」
あまりに馴染み深く、俺の記憶に染み付いて離れない、甘ったるいような煙草の匂い。
その場に放り出された白い吐息に、くゆる煙草の紫煙が絡みついた。

テーマ:白い吐息

12/7/2025, 6:40:46 AM

ある山奥にある、古びた小さな一軒家。昔ながらの平屋建てに、古めかしい様相をそのまま残した造りの建物だ。
そこに、ある男が一人で住んでいた。もう随分と年老いた男で、子供どころか妻さえいない。しかし、寂しくないのかと多くの者が訪ねたが、男は柔和に笑って首を振る。
決まって、
「手間のかかるのがいるもんでねぇ。」
と、何もいない空間を見つめて言うものだから、そのうち不気味がってこの家に近付く者はいなくなっていった。
男がお決まりの台詞を口にする度、家の天井に吊られたランタンの火がゆらりと揺れる。その光に従って揺れる影が尚のこと不気味さに拍車をかけ、ますます男を孤立させた。
それなのに男は、全く寂しがり様子も無い。それどころか、揺らめく灯りを見る度に、己の影が振れる度に、天井のランタンを愛おしげに見つめるのである。
さて、そんなある日の暮方のことだった。もう人足の途絶えて久しい男の家の門を、誰かが叩いた。男が開けると、そこには濡鼠になって青白い顔をした若い男が一人、佇んでいた。
「……今晩、泊めてくれませんか。」
外は急な土砂降りに見舞われ、当面止む気配も無い。これを哀れに思った男は、彼を快く家に迎え、囲炉裏の火を強くして勧めた。彼の顔色にようやく赤みが差してきた頃、不意に彼が口を開いた。
「……妖狐、ですか。」
男は僅かに目を見開き、それから柔和そうな笑みを一層深めて頷いた。
「ええ、ええ、そうですとも。大事な大事な私の家族でしてね。」
初めてその存在に気付かれたことが余程嬉しかったのか、男は嬉々として、彼に妖狐と出会ってからの話をいくつも聞かせた。
若い男は天井のランタンをぼんやりと見上げ、うっすらと見える狐の影に小声で語りかけた。
「……その火、最期まで潰えさせてやるんじゃないぞ。」
返事をするように火が一度大きく揺らぎ、それから少しだけ火力が上がった。男の昔語りはまだまだ続くようで、若い男は惚気に近いそれに溜息を零しながらも、泊めてもらっている以上聞かぬのは失礼だろうと最後まで付き合ってやることにした。

テーマ:消えない灯り

12/6/2025, 7:19:29 AM

2人して、少し暖まった冬の空気を吸い込んだ。
目の前に広がるのは、揺れ爆ぜるような眩しい明かり。僕らの住む村一面を覆うほどのオレンジの光は、チカチカと瞬く冬の星空さえ霞ませてしまうほどだ。村から少し山を登った小高い山の上、展望テラスから身を乗り出すようにして、僕らは身を寄せ合って村を見下ろしていた。
短く息を吐きながら横を見ると、同じようにこっちを見ていた彼と目が合う。彼の目の中で揺らぐ光が綺麗で、その場のことなんて全て忘れて、しばらく僕は彼の目に魅入られてしまっていた。
「……ねぇ……」
震えたような彼の声で、現実に引き戻される。彼の大きな目は潤んでいて、光をより細かく反射し星を宿す。僕は続く彼の言葉も、目の前の光景も、全て放り出したくなって、ひたすらそれに見入っていた。
しかし現実は無常で、彼の目に映る光は一層激しさを増す。ぼんやりと、わざと合わせないでいた焦点がばちりと合ってしまって、僕はもう逃げられなくなった。
「……どう、しよ……」
山から見下ろす村は、一面が火の海だった。古い木造の建物ばかりが並ぶ僕らの村は、あっという間にその火の勢いを増していく。遠くから、村で一番大きな屋敷が焼け落ちるのが見えた。
近いはずなのに、消防車のけたたましいサイレンはどこか遠く聞こえる。酷い耳鳴りがして、彼の声も、目の前で爆ぜる火も、全てが遠のいていく。けれど、逃げることは許されない。鼻の先を掠める熱が、地面に吸い込まれる彼の涙が、どうしても僕をこの現実から離してはくれない。
「……父、さ……母、さん……」
昨日まで笑い合って走った野原も、隣に住む気のいいお婆さんも。皆、どうなっているのかさえ分からない。僕らは僅かな希望的観測だけを信じてみようと、引き攣る口角で無理に笑って、どちらからともなく展望テラスを後にした。
村は酷い有様で、あちこちから煙が上がって、タイヤのゴムやビニールハウスのビニールが燃える嫌な匂いが立ち込めている。消防隊員が忙しなく村中を駆け回り、生きている者は助け、焦げた肉の塊になった者はそっと納体袋に包まれる。村外れの空き地には所狭しと黒い袋が並べられ、生き残った者は絶望と恐怖に身を震わせている。地獄と言って大差ない世界を見つめながら、僕らは呆然とお互いの手を繋いでいた。

テーマ:きらめく街並み

12/5/2025, 8:04:30 AM

退屈で眠たい、5時間目の科学の授業中。うつらうつらと舟を漕いでいると、ふと下からかさりと小さな音がした。下がりそうになる瞼をこじ開けて見ると、何やら小さく畳まれた紙が置いてある。咄嗟に浮かんだ顔に後ろを振り向けば、案の定、後ろの席に座る悪戯好きな彼が満面の笑みで小さくピースを送ってきていた。
とりあえず開いてみると、中身はよくある、授業中に回す手紙の定番だった。先生の口癖を数えてみようだとか、前の方に座っている某かが涎を垂らしているだとか、そういうの。普段ならくだらないと切り捨てるような内容だが、こうもつまらない授業の中では、それさえ面白く見える。俺は小さく千切った紙に返事を書いて、それから後ろ手で彼に渡してやった。
珍しく反応が返ってきたことに驚いているのか、それからしばらくは何も反応が無い。十分程してようやく、次の手紙が送られてきた。
この授業中の文通は、どれもまぁ幼稚で、くだらない。先生が意味のない母音を発した数をメモし、机の下でスマホを触る者をひっそり告発し、誰にもバレないように回すだけ。けれど、その2人だけの秘密感は、幼いまま変わらない男児としての本質を大いに喜ばせた。
結局授業が終わるまで文通は続き、俺と彼の筆箱の中には小さな紙くずの山が積もった。それをバレないようにと証拠隠滅するため更に小さく破き、ゴミ箱にパラパラ流し込んだ。ストーブから立ち上る一酸化炭素と重たい温かな空気のせいで、頭がバカになっていた俺達にとって、完璧なプランだった。
が、秘密の文通は普通にバレていたし、なんなら先生の愚痴を書き連ねた彼の紙が1枚、床に落ちていた。当然彼は放課後先生に呼び出されていたし、助けを求めるような目を向けられたがそっと目を伏せて見ないフリをした。
それでも俺は生徒指導室には呼ばれなかったから、やはり彼はバカだが友情に厚いいいヤツなのだ。
翌日。今度は昼の直前に垂れ流される睡眠導入のBGM。いっそお経のように聞こえるそれに嫌気が差した俺は、ノートの端をそっと千切って、彼に送る文を取り留めもなく書き連ねていた。

テーマ:秘密の手紙

12/4/2025, 8:02:25 AM

冬にしか会えない人がいる。日に弱い、色素の薄い真っ白な肌をした、同い年の幼馴染。今日は彼が日本に戻って来る日。僕は、彼を迎えるためだけに学校を休んで、空港へと足を運んでいた。
「おかえり!」
彼への第一声は、絶対僕がよかった。もう十年近くこの言葉を言い続けて、もう十回近く空港で彼に飛びついた。半分外国の血が入っている彼は、純日本人の僕よりずっと背が高い。全力で助走を付けて飛び込んだって、軽々と受け止められてしまうのだ。それが堪らなく嬉しくて、今年も僕は、彼の胸に飛び込んだ。
彼の親御さんは、抱き合う僕らを微笑ましいような目で見て、気を遣って後からゆっくり歩いてくるよう言ってくれた。空港からはそれなりに距離がある。雪の積もった田舎道を、肩が触れるくらい近くに寄り添って歩いた。
日本が夏の間、彼は季節が真逆のオーストラリアに住んでいる。毎年のことなのに、マメに毎年お土産をくれるのを、僕は毎年、子供っぽく喜んで満面の笑みで受け取る。本当は、お土産より何より、彼がすぐ近くにいることが嬉しいのだ。
彼と歩く道は寒くて、手袋を忘れた指先を容赦なく吹き付ける雪交じりの風は痛いくらいだ。けれど、チクチクと刺すような僅かな痛みも、動かなくなる指先も、彼と話す口がよく回りすぎて、弾む鼓動が速すぎて、気が付かなかった。
真っ赤になったお互いの指先を、いたずらっぽく笑って互いの首に寄せ合う。氷のように冷たい温度に悲鳴を上げて笑って、解けていく温度にまた笑う。彼と過ごす冬が来たのだと、その温度が実感させてくれた。
さくりさくりと、軽快な足音が2つ響く。それは、誰も踏み荒らしていない新雪の道だったり、或いは朝の霜が溶けない畑の畦道だったりする。真っ白な地面に、泥濘んだ土で汚れた靴裏の足跡が二筋残るのを振り返って、一人で口角を上げて笑ってしまう。
段々とそのサクサクとした足跡を消えて、住宅地の硬質なアスファルトを踏む音に変わっていく。それでも、横を歩く雪の足跡は消えなくて、足音は変わらず2つ響いている。
明日も、雪が積もるらしい。僕は早速、高校生らしくないとは分かっていながら彼と雪遊びの約束をして、今度は一人分だけ雪の足音を立てながら、温かな家へ入っていった。

テーマ:冬の足音

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