目を覚ました時、カーテンの外はまだ暗かった。ヘッドボードにあるスマホを手に取ってロック画面を表示させると、五時十六分の文字が浮かんだ。厳しい寒さが続くこの頃だと、朝日が昇るにはまだ早い時間だ。
私は隣を気にしてロック画面を消し、スマホを元に戻した。落ちないようにと毎日私を壁側に追いやる君の方へと体を向けた。
眠る君はいつも静かだ。歯軋りやいびきなんて聞いたことがない。呼吸しているのかすら不安になった時期に耳を寄せたことがあるが、それでようやく寝息を聞き取れるくらいには静かだ。
それでも寝る前にいつも繋ぐ手は、まだ解けてない。
ひんやりした空気が急に肌へ触れた。思わず身震いすると、君も同じタイミングで呻き声を上げた。
起こしてしまったか。
頭によぎった考えは一瞬で消えた。君は眉間に皺を寄せると私と繋いだ手にぎゅっと握りしめた。寝ているとは思えないほどの力強さだ。
悪夢でも見ているのだろうか。
魘されているわけではないから、多分そこまで苦しい夢じゃない。ただ何となく、私はここにいると教えてあげなきゃと思った。
私は腰まで下りていた掛け布団を引き上げて、私と君の首まで覆い直した。硬く握られた手を私もぎゅっと握り返し、引き寄せる。そのまま君の手の甲に唇を寄せた。
「愛してる」
リップ音は立てない。起こしてしまうから。
起きている時は恥ずかしすぎて決して口に出せない言葉が、自然と、心から溢れた。君には聞こえてないから卑怯かもしれない。だから、今度は必ず起きている時に言おう。
君の手を私の胸に近づけて、もう片方の手も添えた。夜明けは近いけどもう一眠りしてしまおう。
目を閉じる前に見た君の眉間の皺はいつの間にか取れて、先ほどと同じく小さな寝息を立てていた。その静けさが逆に安心して、眠気を誘われるだなんて。君にはまだ教えたくない。
『静かな夜明け』『heart to heart』
お金がなかったから仕方なく公園でデートしていた。当時は高校生だったから仕方ない。北風が身に染みる季節でも、灼熱な日の光を浴びる季節でも、ベンチしかない公園で肩を寄せ合って手を握った。
二人で行けばどこでもデートスポットだった。
お金があっても将来のためにデートでも倹約していた。僕も君も特に文句は出ない。行きたいところも行くし、美味しいものも食べる。でも贅沢をするつもりはない。二人でシェアすればどれも贅沢なご褒美だから。
高校時代を過ごした公園に君から呼び出された。より静かで殺風景な公園のベンチに、君は躊躇わずに座っていた。昔から変わらない仕草と、より一層魅力的な女性になった君に見惚れていた。
はやる気持ちを落ち着かせ、深呼吸してから君の目の前まで歩いた。
跪いて差し出すは四十本の赤いチューリップの花束。
『永遠の花束』
優しくしないで
でも酷くもしないで
冷たくされるととても辛い
だからといってあなたの優しさに触れるたび
とても惨めな思いをするの
ならどうしたらいいか?
ただずっとそばにいて
『やさしくしないで』
成り行きに任せて各地を旅していた時の話
君に出会ったのはネオンが灯る街だった
たった一晩の出来事だった
君と僕はほんの僅かな時間をとても濃密に過ごした
情熱的にお互いを求め合った
まどろみが心地よくて気付けば日が高い位置にいた
君の姿はどこにもいない
やはり一夜だけの関係だった
部屋を出る前にもう一度見渡した
テーブルの下にひらりと揺れる何かがあった
拾い上げれば白いメモ紙に何か一言書いてある
この国の言語なのだろう
僕にはあいにく読めなかった
捨てるのも忍びなくポケットに突っ込んだ
そのうちその紙のことすら忘れて
気がつけば何十年と経っていた
あの言葉はいったい何だったのだろう
それはテレビの異国のアーティストが教えてくれた
「バイバイ」
『隠された手紙』『バイバイ』『旅の途中』
人生約三十年。
様々なことを見て、聞いて、やってみて、知ってみて。
物事を通して自分がどういう人となりなのか、全て理解できている。
いや、理解できていたはずなのだ。
そのはずで間違いないんだけど、新しい物事を始めたり、環境が変化すると自分の新しい一面を思い知るのだ。
まだ知らない自分の一面なんて分かりたくなかった。
私が手先が不器用で足元が鈍臭い人間だったなんて。
もっとスマートに人生を歩んでいると思っていたのに、チョコを降らすような人間だったなんて未だに信じたくない。
もうこれ以上の面白とんでもドジは踏みたくない。
『まだ知らない君』
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ひんやりとした空気を気持ち良いと感じるか
ジメジメした感触を気持ち悪いと感じるか
暗がりの空間に自ら飛び込むか
境界線から引き込まれるか
どちら側かを気にする私は日陰者
『日陰』