今まさに握り締めたはずなのに
なぜ手からこぼれ落ちるんだ
スマホよ
『落ちていく』
ウチの両親は喧嘩が多い。母親が金切り声で何かを言い、父親が低い声で威圧する。暴力はないけど、声が怖くて仕方なかった。
なぜ両親は結婚したんだろう。
両親は当時で言う晩婚だった。三十歳を過ぎてから結婚して私が生まれた。両親の生きてきた時代からして、結婚を促されお互い嫌々結ばれたのだろうと考えていた。
「あ、おかえり」
あれから随分大人になった私は、両親が結婚した年齢になっても独身で実家暮らしだ。仕事から帰ると家族みんなバラバラに過ごしている中、今日はリビングのテレビ前に集合していた。
「あ、ほら、軽井沢のこの店。懐かしいわ、まだあるのね」
母はテレビの旅番組を観ながら声を上げた。そばには珍しく、父が寛いでいる。
その状況が異様な光景に見えた。
自分の部屋へ向かって手早く着替え、もう一度リビングに戻ると、母はソファに座り直していた。父は変わらずテレビ前で横になっている。二人ともテレビの旅番組に夢中なようで、ああだこうだ話し声が聞こえてくる。
「ねぇ、このお店。あの頃流行ってたわよね」
「ああ、行った」
「今もあるのね、今度行ってみようかしら」
「え、お前と行ったんじゃないのか?」
「は? 私アンタと行った覚えないわよ。どこの女と間違えてるわけ?」
「あれ? お前とだと思ってた」
「私は当時の彼氏と行ったわ。アンタとは行ってない」
一触即発のような会話を笑って済ませる両親に、似た者夫婦という言葉が思い浮かんで消えた。二人とも嫌がりそうだ、その言葉。
『夫婦』
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お題をスルーしてしまったとき
『どうすればいいの?』
大切なものを否定された。
どんどんヒートアップしてきて、手に負えなくなってきた。
守らなきゃと思った。
失くさないように奥底に仕舞ったはずだった。
奥底に仕舞ったから取り出すことが億劫で触れる機会が減った。
そのうちいつ、何を仕舞ったかすら忘れてしまった。
整理しようとして蓋を開けた。
昔懐かしの品々に混じる、一際輝くもの。
ひと目見ただけで、頭の中に蘇る記憶。
鼻の奥がツンとなりながら、胸に掻き抱いた。
ああ、私、これが宝物だったんだ。
今度は手元に置いておこう。
忘れないように、いつでも見られるように。
『宝物』
オレンジ色の光が灯る。
ひだまりのようなランプの光が部屋の中を照らす。
ランプの下には私が先ほどプレゼントしたばかりのアロマキャンドル。
リラクゼーションを重視して配合された香りは、説明文通り少し甘く、柑橘系の爽やかさも感じた。
今日誕生日だという大学の友達と二人きりで誕生日パーティーを開いた。
パーティーといっても出来合いの美味しいご飯とケーキを買ってきて、一人暮らしの友達の家へ上がり込んだだけなのだが。
プレゼントは何を送っていいかわからないから、最近アロマキャンドルを集めているという友達のために、火を使わずにアロマを焚くことができるランプを贈った。
友達は大喜びしてくれて、早速使ってくれているのだ。
女友達と二人きり。
程よい照明、芳しい香り。
ムードが高まる中、友達は真剣な顔をして正座をした。
私も釣られて正座をすると、友達は意を決して話し出した。
「これは、古くからの言い伝えにございます。決して、決して声を上げないでください。呼んでしまいますから」
「まさか怪談するとは思わないじゃん」
私たちの夜はまだ続く。
『キャンドル』
みんなの手の器には、たくさんのキラキラがある。
山盛りでこぼれ落ちている子もいれば、ちょうど満たされている子もいる。みんな手の中のキラキラを眺めては、笑っている。星を見せ合いっこして、笑い合っている。
僕のキラキラは三つ。とても小さくて、じっと見つめないとわからない。指でつまんで覗き込んでも、何も見えてこない。
みんなはこのキラキラの何に笑っているのだろう。
「ふーん。君、それしかないんだ。可哀想」
後ろを振り返ると、男の子がいた。いかにも頭の良さそうな出立ちだ。彼のキラキラは両手の器にいっぱい入っていた。
「なんで可哀想なの?」
「君、そんなことも知らないのかよ」
男の子は僕を鼻で笑って、こう言った。
「この手の中の星は、楽しかった想い出が一つ一つ入ってるんだ。たくさん持っている奴は、それだけ楽しかった想い出がいっぱいあったってことだし、一つ一つ大きい奴はよほど大切な想い出だったってことだろ?」
だから逆の君は。
男の子はそこで口を結んで去っていった。僕の目から大きな涙の粒が溢れ出ていたからだ。
あの男の子の言葉が頭の中で繰り返される。そうして改めて、手の器の中を見た。小さなキラキラ--星が三つ、余裕で片手に収まっている。
星が小さなことは可哀想なこと。星の数が少ないのも可哀想なこと。この星が何の想い出かすら思い出せない僕は、可哀想ってことなのか。
流れる涙が止まらない。必死に指で拭っているとハンカチが差し出された。薄いピンク色で角にピンクのリボンが刺繍されている。僕は恐る恐る顔を上げると、僕よりお姉さんの女の子が立っていた。
「使って」
女の子は僕の顔にハンカチを押し当てた。ありがたく受け取って涙を拭いていると、女の子は僕の隣に座った。
「何で泣いてたの?」
女の子は僕に聞いていた。あまりの真っ直ぐな問いかけに、僕は言葉を詰まらせた。
何も喋らない僕に、女の子は首を傾げた。そして、目線は僕の手に。
「あっ」
視線に気がついた僕は思わず声を上げた。さっきの男の子の言葉が頭に思い浮かぶ。今度は何言われるかわからない。
僕が目をぎゅっと閉じたのと、女の子が喋り出したのは同時だった。
「いいな。うんと小さい頃の想い出が残ってる」
僕はそっと目を開いた。女の子はこちらを見て微笑んでいた。
「でも、可哀想って」
「可哀想? どうして」
「星が小さいのも、少ないのも、可哀想って」
だんだんと声が小さくなる僕の言葉に、女の子はしっかり耳を傾けてくれていた。女の子はこう切り出した。
「この小さな星はね、私たちは覚えてないし思い出せないの」
「なんで?」
「本当にうんと小さい頃の想い出だから」
僕は女の子の言葉に肩を落とした。でも女の子の言葉は続いていた。
「私たちがね、この小さな星の想い出を知るには、パパとママに見せるといいんだよ」
「パパとママ?」
「私、もうその小さな星はどこか行っちゃったんだけど、まだ持ってた時にパパとママに見せたことあるよ。パパもママも、とっても懐かしそうにしてた」
だからこれは、君と、君のパパとママとの想い出なんだよ。
僕はスッと心が晴れた気がした。
「いいなぁ。普通は一人一個あるかないかなんだよ。君は三個もある。いいなぁ」
「でも君みたいに、大きい星はないよ」
羨ましそうにこちらを見る女の子へ咄嗟に返事した。女の子は目を丸くして、すぐに口を尖らせた。
「大きい星はね、これからいくらでも、たくさんできるんだから。君の嬉しかったこと、楽しかったこと。これから生まれるたくさんの想い出を君は全部手の器に入れることができるんだよ。入れホーダイじゃん、ズルい」
ぶすくれた女の子に、僕は思わず笑ってしまった。
『たくさんの想い出』