139

Open App
3/10/2024, 5:36:46 AM


 日が少しずつ長くなってきた気がする。それでも空気の冷たさが肌に触れて、思わず身震いした。吐く息は白い。今朝は寝坊してバタバタと家を出たから、手袋を忘れてしまった。かじかむ手をさすった後、ダウンコートのポケットに手を突っ込んだ。
「なぁ、おでん食わない?」
 隣に並んで歩いている藤本が言った。
「おでんかー」
「からあげクン?」
「唐揚げかー」
「じゃあ肉まん」
「うーん」
「お前優柔不断すぎねぇ?」
 金ないの? と藤本は言いながら、ズボンのポケットから財布を取り出した。黒い皮の二つ折り財布はところどころ禿げていて年季が入っている。親父さんのお下がりらしく、おいそれと新調しにくいらしい。
 俺もいくら財布に入っているか、財布を取り出した。入学祝いに親からプレゼントされた茶色の二つ折り財布だ。みすぼらしいからこれ使えって突然渡されたが、意外と丈夫だし派手じゃないし気に入っている。
 財布の中身は、千円札が二枚と、十六円分の小銭しかなかった。小銭が少ないのは、昼休みに友達のジュースを奢ったからだ。学年末テストの総合点数を競っていて、たった二点差で負けてしまった。三本分三百七十円。誰だ、大きいペットボトルをリクエストしたやつは。バイトしていない男子高校生のお小遣い舐めんなよ。
「俺、千円ちょっと。今野は?」
「俺は二千円ちょっと」
「え、いいな。じゃあ今日奢りな」
「絶対嫌」
「だよなー」
 お互い財布を仕舞ったところで、隣から「ハックション!」と大きなくしゃみが聞こえた。よく見たら藤本はブレザーの下にVネックのニット、ワイシャツしか着てないように見える。マフラーはしているが、見るからに防寒性が低い。
「お前寒くないの?」
「寒いに決まってんじゃん」
 鼻をズビッと鳴らして藤本が言う。俺はリュックから箱ティッシュを取り出して彼に差し出した。目の前に差し出された箱ティッシュを、彼はまじまじと見た。
「何で箱? 花粉症だったっけ?」
「家に小さいティッシュなくて、母さんに聞いたらしばらく箱持っていけって。アンタのカバン大きいから入るでしょって」
「何それオモロ」
 あざーっす、と藤本は二枚取って鼻をかんだ。箱ティッシュは嵩張るけれど、紙が大きいし取り出しやすいし便利といえば便利だ。
 箱ティッシュをリュックに戻しながら、ふと思いついた。
「マックのポテトは?」
「いいね! Lサイズ山分けしよう!」
 食べたいものが決まって、二人で歩くスピードが少し速くなった。藤本は何を思ったから分からないけれど、俺は単純に早く温まりたかっただけだ。


   *


 駅前にあるファストフード店はリーズナブルな値段のため、いつも周辺の学校に通う生徒で賑わっている。部活帰りの今日も、制服を着た人たちで混み合っていた。
 席取りを藤本に任せ、俺は列に並んだ。このお店はセルフオーダーレジを採用していて、注文と受け取りと二箇所に分かれている。このレジに慣れるのに、結構時間が掛かった。今はスムーズに操作できるけれど。
 ようやく俺の番が来た。ポテトのLサイズと、藤本のコーラと俺のホットコーヒーを注文した。今日はポテトのクーポンが配信されていたので、五十円引きになる。ラッキー、と思いながら、番号札を持って一度席に行った。
「いくらだった?」
 二人掛けのテーブル席に着いてスマホをいじっていた藤本が顔を上げた。俺はレシートを渡して「割って」とだけ伝えた。
 藤本はレシートを目を細めながら見つめて、眉間に皺を寄せた。
「ポテトLが三百三十円、コーラとホットコーヒーが百二十円ずつ。だから、えっと、えーっと……?」
「スマホ使えよ。あと割るのポテトだけで、飲み物代はコーラだけちょうだい」
 椅子の下にリュックを置いて、レジカウンターの上にあるモニターを確認した。番号が表示されている。俺は番号札を持って、受け取りに行った。
 もう一度席に向かうと、藤本はまだ唸っていた。頭を捻るどころか体ごと横に傾いている。
 テーブルの上のレシートを避けながら、トレーを置いた。藤本の前にコーラを、俺の方にホットコーヒーを置いて、トレーに乗った広告の上にペーパータオルを重ねて広げた。そして、ポテトが取りやすいように入れ物から全部出した。
「五円なんてないんだけど」
 財布の小銭入れを開けて見せてきた。確かに五円玉も一円玉もない。
「二百八十五円なんだけど」
「じゃあ二百八十円でもいいよ」
「悪い、ありがとう。五円分多くポテト食っていいから」
「五円分のポテトって何本だよ」
 藤本からもらったお金を財布にしまった。ついでにリュックからウェットティッシュを出して彼に差し出す。彼はそれをまたまじまじと見た。
「お前は俺の彼女だった?」
「はっ倒すぞ」
「いやだって……わかった! ドラえもんだ!」
「誰のリュックが四次元ポケットだよ」
「でもウェットティッシュは箱じゃないんだな」
「箱二つあったらなんも入んねぇよ」
 軽口叩きながら二人で手を拭く。綺麗になった手でポテトを取って食べ始める。美味い。
 藤本はスマホ片手にポテトを摘んでいた。無言になるかと思ったが、不意に話しかけられた。
「来週さ、卒業式じゃん」
「おー」
「俺さ、先輩に告ろうかな」
 藤本は入学当初から、自分たちの所属している男子バスケ部のマネージャーだった松本絵梨花先輩が好きだった。率先してマネージャー業務を手伝ったり、困っている先輩に声をかけたり、積極的にアピールしていた。先輩が部活を引退してから会う機会が極端に減ったが、廊下ですれ違ったら挨拶したり、部活の様子を見学しにきた先輩と話し込んだりしていて、側から見ても雰囲気が良さそうだった。
「いいじゃん」
「でも周りに色んな人いて怖くね?」
「呼び出せば?」
「卒業式なんて呼び出しばっかだろ」
「俺は周りで告り始めたやついたら、遠巻きに見るだけで騒がねぇけど」
「女子は騒ぐだろ」
「騒ぐなぁ」
 藤本はため息をついて、ぼんやりとスマホ画面を眺めた。特別何かを見ているわけではないようだ。やがてスマホをテーブルの上に伏せるように置いて、ポテトに手を伸ばした。
 来週の火曜日が卒業式だ。それが終われば、俺たちが一番上の学年になる。きっと夏前には部活を引退して、そこからは受験勉強に明け暮れることとなる。こうして部活帰りに呑気にポテト食って喋っていられるのも今のうちだ。
「藤本」
 向かいに座る彼が目線だけ寄越した。頬杖を立ててポテトをつまんでいるから、態度が悪く見える。
「もう卒業式だけだぞ。先輩と話せるの」
 藤本の目が見開かれる。
「告るも告らないも藤本の自由だけど、先輩と約束もなく会えるのって来週で最後だろ。大学生って忙しいんだから、まだ高校生のお前に構ってくれるか分からない。それに四月から受験生だからな。インハイ予選終わったら、きっとそれどころじゃなくなると思う。だから後悔のないようにな」
 藤本は、真剣な表情で頷いた。そんな顔、監督が檄を飛ばしている時以来なんだが。
「ちゃんと考える」
「よし」
 俺はぬるくなったコーヒーを飲んだ。味が少し飛んだのか、あまり美味しく感じられなかった。
 藤本はポテトをつまむスピードが速くなった。おい、絶対二百八十円以上食ってくるだろ。俺もまだ食べたいんだけど。考えながら物を食うからそうなるんだよ。俺も焦ってポテトに手を伸ばした。なぜだか食べた気がしなかった。


   *


 混み合う店内で長居をするつもりはない。ポテトを食べ切って(藤本が四分の一多く食べていた)飲み物を飲み切って、すぐ席を立った。ゆっくり歩いているうちに消化されるだろう。
 ゴミを捨ててトレーを返却して店を出た。辺りはすっかり暗くなっていた。先ほどよりも寒くて、俺はダウンコートのジッパーを首までしっかり上げた。
「いいな、ダウン」
「あげられねぇぞ、さすがに」
「大丈夫、俺にはマフラーがある」
 そう言って、藤本は黒いマフラーを首にぐるぐる巻いた。いやだから防寒性が低過ぎて、見ているこっちが寒いんだって。
 駅の改札を通って、駅のホームに向かう途中で二人とも足が止まった。俺は上り電車で、藤本は反対方向だからホームが違う。まだお互いに次の電車まで十分程度あるから、少し話せると思った。
「今野、ありがとな」
 突然感謝を述べられて、困惑した。
「何が」
 恐る恐る尋ねると、藤本は笑った。
「何だよ、笑うなよ。怖いだろ、突然ありがとうなんて。何、死ぬの?」
「死なねぇよ」
 彼は目尻を指で触った。おい、泣くほど笑えることだったか。そんな風に聞きたかったが、さすがに声には出せなかった。
「俺の話、真剣にアドバイスしてくれてありがとな。他の人に相談しても本気にしてくれなくてさ」
「日頃の行いが祟ったな、可哀想に」
「うるせぇよ。マジでちゃんと考える」
「おう」
「で、お前に報告する」
「多分遠巻きに見てるだろうけどな」
「何で告る前提なんだよ。まだ分かんねぇだろ」
「だってお前分かりやすいんだもん」
「マジかよ」
 藤本は片手で頭を抱えて俯いた。はぁ、と長いため息が聞こえて、今度は俺が笑ってしまった。
 指の隙間から彼がこっちを見た。
「慰めろよ」
「オッケー。失恋記念のカラオケ大会とスマブラ大会、どっちがいいか考えとけよ。副島と葛城も強制参加させるから」
「人の告白なんだと思ってるの? もはや部活の打ち上げじゃん」
 駅のアナウンスが聞こえてきた。どちらの電車もまもなく到着予定だ。
 俺たちは別れて慌ててホームに降りた。タイミングよく電車が止まった。降りる人を待っている間に、後ろから呼ばれた。
「じゃあまた明日な」
 笑顔で手を振る藤本に、手を振り返した。すぐに手を下ろして電車に乗り込んだ。空いている座席に腰を下ろした。真っ暗の中、ポツポツと明かりが灯っている。それらが横に流れていくのをぼんやりと眺めていた。
 この楽しい日々は、いつまで続いてくれるのだろう。できれば、ずっと変わらず続いてほしい。



『過ぎ去った日々』

3/9/2024, 4:41:07 AM


「班ごとに分かれましたね。じゃあ今から紙配るのでみんなで意見出し合ってメモなりまとめなりしてください。テーマは『お金より大事なもの』です。最後発表してもらうとき理由も聞きますので、しっかり話し合ってくださいね」

 先生の号令の後、教室が一瞬にして騒がしくなった。机同士くっつけあった四人班になった。席替えしたばかりであまり交流もない人たちだから少し怖い。
 先生が班を回って紙を配る。B5の白紙だ。
「ありがとうございます」
 隣の席で、今は向かい合わせに机を並べている坂本さんが受け取った。坂本さんは裏っ返したりしながら、何も書かれていないことを確認していた。
「誰書く?」
 普段は後ろの席の吉田くんが隣から声を発した。班学習だと操作していなければ注意されないから、スマホを机の上に置いていた。
 あっ。
「このまま私書くよ」
「あざーっす!」
 立候補が遅れてしまった。書記を担当したら発表者候補から逃れられると思ったのに。前に出て話す、もしくはその場で立って話すなんて緊張しちゃう。絶対やりたくない。
 音もなく、スッと隣から手が挙がった。
「発表者、俺で良い?」
 神様は私を見捨てていなかった。全員でお礼を言ったけれど、私が一番声出ていたと思う。
 吉田くんは手を下げてニカッと笑い、
「俺ありきたりなのしか思いつかないから、武藤と高倉さんで案いっぱい出してね」
 と、爆弾投下して机に肘をついた。神は私を見捨てた。
「案はみんなで出し合うんだよ。ほら、私と一緒に無い頭絞ろう」
「えー、苦手なんだよな、こういう道徳的なの」
 坂本さんと吉田くんだけで話が盛り上がっているが、そもそもこの班はクラス内で平均点以上の成績を収めている人しかいない。得意分野はそれぞれバラバラだけど。

 英語の学内スピーチコンテスト三位の坂本千香さん。
 今年数学検定二級に合格した吉田一成くん。
 日本史テストの学年最高得点をキープしている私。
 そして、オールラウンダーの武藤博昭くん。

 ただ武藤くんは極度の人見知りらしく、私と同じで音読やスピーチ等の対話や発表が苦手なようだ。
 そんな武藤くんは、私の斜向かいに座りながらじっと机を見ている。どうやら目線が上げられないらしい。最近髪を切って、隠れていた顔を初めて拝んだ。アイドルの卵にいそうなイケメンでびっくりした。多分あと眉毛整えたらすごくモテると思う。
 今まで遮っていたものがなくなって、本人としては落ち着かないかもしれない。でもこちらとしては表情や目線がわかるからありがたかった。

「とりあえず、無難な案から出そう。人間関係」
「うーわ、言われた」
 早い者勝ちだよこんなのって吉田くんが笑った。
「人間関係ね、理由は?」
「家族も友達も恋人も、お金じゃ買えない。あとお金が絡んで損得勘定が生まれると関係が破壌しやすいから、お金を絡ませない方がむしろ良い」
「確かに」
 道徳苦手とはどの口が言っていたのだろう。
「武藤くんは何か思いついた?」
 武藤くんは一瞬ビクッと肩を揺らして、ようやく顔を上げた。くっきり二重が可愛いクリクリお目目を坂本さんに向けている。「あー」とか「うー」とか言いつつ、
「愛情、とか?」
 と静かに答えた。坂本さんは大きく頷いた。
「確かに、人間関係に恵まれるには、お互いに愛情を持って接する必要があるかも」.
「愛情を持って?」
「人類皆ライク精神的な?」
「そこまでは、いらないと思う、ます」
 私は必死に笑いを堪えていた。坂本さん、ボケなのかギャグなのか。とにかく急にぶっ込まないでほしい。
「高倉さんは何か思いついた?」
 坂本さんが私に話を振ってきた。そこでまともに考えてなかったことに気がついた。ヤバい、何か案出さなきゃ「人任せの女」って認識されちゃう。
 私も二人を見習って、無い頭を絞り出す。お金より大事ってことは、お金じゃ買えないものか、お金にできない中で究極に大切なもの。お金と同等もしくは少し価値が低くても良いから何か、何か思いつけ!

 あっ。
「時間、とか?」

 周りが騒がしい中、この班だけシンとした。私の発言は不躾だったのかもしれない。三人とも私をじっと見ている。間違ったことを言ってしまったかもしれない。
 だんだん恥ずかしくなってきて視線が下がる。ソワソワして落ち着かない。
「それだ」
 吉田くんが私を指差した。
「時は金なり、タイムイズマネー。よく言うもんね」
 何かを紙に書き込む坂本さん。
「確かに、カラオケや漫喫の三十分いくらの料金表は時間というより施設・サービス使用料に付随されるから時間のみ買っているわけではないか」
 小声で呟いているけど丸聞こえの武藤くん。
 私はまさか自分の意見に共感してもらえるとは思わなくて狼狽えた。このまま結論が時間になってしまうと、最初に言い出した私に全責任回ってきそうで怖い。何か他にも案を出そうと頭を捻る。
 シャーペンを動かしていた坂本さんが、不意に顔を上げた。

「じゃあ空間も大事ってこと?」
 パルキアか。

 突っ込みたいところをグッと我慢した。坂本さんのようなキラキラ女子は、ポケモンを知らない可能性がある。たとえポケモンが一般人にも知れ渡っている偉大なコンテンツだとしても、ここでオタクみたいな発言は避けたい。

「いやパルキアじゃねぇんだから」

 吉田くん! と心の中で叫んでしまった。
「時間と空間って確かニコイチじゃなかったっけ?」
「パッケージデザインの伝説ポケモンをニコイチ扱いする人がいるとは思わなかった」
 あれ、もしかして坂本さん意外とポケモン知っている人なのかもしれない。
「現実世界で考えると、家とか土地とか、道だって料金払ってるから、お金が有利かな」
「道を? 高速道路以外に払ってる?」
「道路整備とか公園とかって、自治体の管理になるから。うーん、住民税とか?」
「働く世代が払ってくれて、整えてくれる人がめちゃくちゃ頑張ってくれてるから歩きやすい道ができてるってことだろ」
「あぁ、なるほど納得」
 正確さは置いといて、自分たちで答えを見つけるのが、この班の私以外の人は得意なのかもしれない。
「じゃあ空中は?」
「人間が浮かない限り、物理的に無理かな」
「じゃあパルキアよりディアルガが有利か」
「そもそもパルキアとディアルガはアルセウスから生まれたんだから、アルセウスこそ大事ってことあるんじゃない?」
 坂本さんのパッと出た疑問に、おそらくポケモンに詳しいだろう他三人の動きが止まった。
「神はダメだろ」
 苦虫を噛み潰したような顔で、吉田くんが言う。

「神を信仰しても金は増えない。むしろ献上金として失っていく一方だ。信仰って一見心が満たされるような良いことのように聞こえるけど、実際はお金も時間も心も労力も全てすり減らすんだよ。じゃなかったら今、世間で被害者の会が発足されたりしないはずだ。それに信仰する神によっては宗教にまつわる争いごとが歴史上の付き物だろ。キリスト然り、ブッダ然り、アッラー然り。レジェンズアルセウス貸そうか?」

 正論すぎて補足することも何もなかった。また、彼が宗教に関してここまで現実的なイメージを持っていたなんて、過去に何があったか聞きたかった。けれど触れられたくない事情かもしれないので、そっとすることにした。
「オッケー、神はやめよう」
 あとクリア済みだから大丈夫、ありがとう、と坂本さんは続けた。紙に書いたアルセウスとパルキアとディアルガにバツがつく。その紙がチラッと見えたらしい吉田くんは呟いた。

「むしろピカチュウとか、身近な存在こそお金より大事で尊いんじゃね?」
 今度はピカチュウかよ。

 その発言に、武藤くんは何度も頷いた。
「わかる、ピカチュウは尊い」
「まぁ、ピカチュウは可愛いけど」
 坂本さんは戸惑い気味に苦笑いした。内心まだポケモン続くのって思ってそうだ。
 確かに、ポケモンというコンテンツの中でも、ピカチュウは世界中で愛されるキャラクターではあるけれど。

「ピカチュウは、経済を回してお金を生み出しているけれど、いざピカチュウと生活するには、余計な苦労をさせないためにもお金が必要なのでは?」

 私が思わず声に出すと、三人は頭を抱えた。私が発言するたびに団体芸を披露しないでほしい。笑い堪えるの大変なんだから。
「そ、そうだね。ピカチュウと暮らすには、ポケモンと暮らせる住居の用意に餌代に治療代に、モンボのメンテナンス費とかゲーム世界じゃ省かれているところにもお金が必要かもしれない」
 武藤くん、私はポケモンライト勢だからポケモン世界にそんな設定があるかもなんて考えたことなかったよ。
「モンボのメンテ?」
「だって、あれだけ伸び縮みしてパカパカ開くじゃん。何年も使ってたらさすがに壊れるって」
 その発想、私にはなかった。
 坂本さんは無言でメモし続けている。チラッと覗いたら私のピカチュウ発言がメモされていた。恥ずかしいからやめてほしいけど、言い出せない。
「ポケセンも現実にあったらお金掛かるのかな」
「それは、ほら、あの、住民税で」
 大切な税金を便利道具扱いするな。

「私たちの生活って本当にお金で成り立ってるんだね」

 しみじみと坂本さんが言った。その言葉に男子二人はまだ続きそうだったポケモンの話を引っ込めた。そうだね、今はグループワーク中だからね。ポケモンは終わってから話そう。
「高倉さんはさ、なんで時間だと思ったの?」
 吉田くんがこちらを見た。
 私は焦った。秒で突発的に言ってしまったから理由なんて考えてなかった。大慌てで頭を巡らす。
「まず、時間単品を商品・サービスとしてお金で買えないから。武藤くんも言ってたけど、施設・サービスの利用料金にプラスで時間が付くから時間のみってどう買うのかも思いつかないかな」
 三人の真剣な目がこちらを向いている。狼狽えそうになるところだけど、グッと堪えて言葉を続ける。
「次に、お金を生み出すのに欠かせないから。大人になって社会に出たら、もしくは今何かしらバイトしてるなら、労働時間の対価としてお金をもらうでしょう? そこから時間って唯一お金を作れるのかなって」
 坂本さんのシャーペンが走る。
「最後は、時間をかけることで解決する物事があるからかな。辛いことや苦しいことを忘れようにも、お金は支払って何かすることになる。その間は忘れられるかもしれない。でも何もしなくなったら途端に思い出しちゃう。それが、時間の経過とともに昇華されることがあるんじゃないかなって」
 言い切って、我ながらよくまとめられたと思った。
 三人の沈黙は続く。坂本さんの書き取りの音だけが響く。そのシャーペンの音が鳴り止んだ時、吉田くんが口を開いた。
「もう採用。それ以外思いつかない」
 吉田くんの言葉の後、武藤くんは小さく拍手をしてきた。坂本さんも武藤くんに倣って手を鳴らした。
「じゃあ今の超良い感じにまとめてもらって」
「まっっって! 超待って!」
 思いっきり吉田くんの話を遮った。待ったをかけられたことが意外だったのか、三人ともキョトンとしている。
「こんな理由で時間がお金よりも大事って決められちゃうと、責任重大と言いますか」
「責任って、ただの授業発表だしそんなに重く受け止めなくても……」
 気まずそうに坂本さんが言った。
「人間関係と愛情と時間の三つから選ぶとは早計すぎると言いますか」
「いや候補三つ目でめちゃくちゃ良いの出たから」
 吉田くんが恐る恐る呟いた。
「待ってください、もっと出します。えっと、あ! そうだ命! 命がないと生きられないです! 人間関係も愛情も時間もお金も、生きてこそ初めて価値を知ると言いますか! その尊さは我々の命があってこそです! あと空気! コイツがないと生きられないのは科学的に証明されていますよね! これこそ具体的で分かりやすいかと」
「高倉さん」
 思った以上に口が回る私を、武藤くんが静かに制した。私は途端に口を閉じた。
「高倉さんが、何を気にして責任感じているか、分からないけど、そんなに怖がることない、と思う。俺は、理由を聞いて、すごく良いと思った。だから、時間がお金よりも大事って結論で、発表したい」
 武藤くんの真剣な顔に気圧されてしまった。こちらも、頷き返すことしかできなかった。

「みんなまとまった? そろそろ発表始めるよ」
 発表は一、二分程度の短いものだけど、自分たちの班に回ってくるまで緊張していた。他の班は、愛や家族、友達と命、もちろん時間も出た。ところどころ被ってしまって、やっぱりありきたりになっちゃったなと思っていた。
「じゃあ次、最後ね」
 先生の声で、隣の吉田くんが席を立つ。手には坂本さんがまとめてくれたメモを持って、みんなの方を向いた。

「僕たちの班では、お金より大事なものは『時間』ではないか、と決まりました。候補としては、人間関係、愛情、命、空気が上がりましたが、お金で買えない商品・サービスであることと、お金が生み出せる唯一の手段であることから『時間』を選びました。また、時間の経過とともに解決へ導ける物事は、お金では解決できない事柄であるとも考えました。以上のことから、僕たちは有限の時間をお金以上に大事にしたいと思います」

 以上です、と締めくくり、吉田くんは席に着いた。まばらの拍手が、余計に傷つく。教室の後方で発表を聞いていた先生が、教卓へ登った。

「タイムイズマネー、時は金なり。大人たちは労働時間の対価としてお金を貰ったり、株や投資をしてお金を増やしたりしますから、そのプラスのイメージが強いのかもしれません。今まで発表した班でも時間が挙げられましたね。
 ただ、吉田くんたちの班では、『時間で物事を解決できる』と言ってくれました。
 皆さんはまだ身を引き裂かれるような悲しい出来事や、呼吸をすることもままならないような苦しい出来事には遭遇したことないと思います。できれば経験しないまま人生を終えてほしいくらいですが、そうもいかない状況に陥るかもしれません。
 そんな時は、時間という長期戦の味方に任せてしまうのも一つの手です。ゆっくり、じっくり、時間の経過とともに想いは昇華されるでしょう。心の奥底に留めておいてくださいね。
 じゃあ、メモを回収しますので、班全員の名前を書いて提出したら終わりです。先に号令します、日直」
 日直の人が号令をかける。席を立ってお辞儀をしても、なんだか心がフワフワしたままだ。

 私の意見、人生で初めて否定されなかったかも。

 ボーッとしてしまっていて、肩をトントンとされた時に、体が跳ねた。振り向くと、坂本さんが笑顔でメモを渡してくれた。
「良かったね、責任負わなくて」
「そ、そうだね」
「やっぱりうちの班が一番良かったよね!」
「そ、そうだね」
 改めてそう言われると自分が褒められたと勘違いしてしまいそうだ。少し恥ずかしくなって、ニコニコ笑う坂本さんを避けるように急いで名前を書いた。『坂本千香』『武藤博昭』『吉田一成』『高倉亜莉寿』と四人分並んでいることを確認して、
「提出してくる!」
 と、先生のところへ向かった。坂本さんが何か言いたそうにしていたのに気が付かなかった。
 受け取った先生が、ザッとメモを眺めてこちらに目を向けた。
「『ピカチュウは経済を回してお金を生み出しているけれど、いざピカチュウと生活するには、余計な苦労をさせないためにもお金が必要』」
「えっ……あっ!」
「ピカチュウ推しの先生に配慮した素晴らしい言葉選びですね。メモに書いてあるってことは、どなたかの意見だったんでしょう? 先生握手したいんだけど、誰かしら?」
 声色は優しいのに、目の奥から冷たさが感じられる気がする。きっと関係のない話をしていたからだ。
 血の気が引いた私は、先生に向かって恐る恐る手を差し伸べるしかなかった。



『お金より大事なもの』

3/7/2024, 1:20:08 PM


 もしもし〜? まぁや?
 そうウチ〜、ぽよ〜
 うん、……そうごめ〜ん行けなくなっちゃって〜
 え? 大丈夫、大丈夫! めっちゃ元気!
 むしろ超暇だから付き合ってほしいんだけど
 え、いいの? ありがと〜マジ神助かる〜

 あのね〜、もうね〜誰かに話さないと気が収まらないっていうか〜
 ね〜! マジそういう時あるよね〜!
 えっもう全然! マジいつでも連絡してよ
 まぁやなら大歓迎だし! いつでもウェルカム!

 え、あぁ。 ウチの話ね〜
 それがさ、マジで意味わかんないんだけどさ
 ウチのバ先、コンカフェじゃん?
 ……そう、この前話したっけ?
 そっかそっか、直でまぁやには話してないっけ? ごめんごめん
 そうコンカフェ〜。 メイドさんの服がマジ鬼可愛いから受けたら受かっちゃったんだよね〜!
 それでさ、ほとんどのご主人様はさ、
 あ、ねぇ待って癖でご主人様とか言っちゃったんだけどウケる
 通じた? 通じた!? マジウケるんだけど
 そうそう、お客さんなんだけど
 大半はめちゃくちゃ良い人で〜超楽しんでくれるからマジやりやすいんだけど
 うん、やっぱ、何事にも例外っているよねって〜
 そう、しかもウチつきの、あっウチ目当てってやつ
 ウチ目当てのお客さんの中に、超クセツヨおじさんがいて〜
 もう最悪なのそれが〜
 何日も風呂入ってないんじゃない? ってくらい臭いが強烈で、ハゲだけど生き残った髪はベタベタしてて、汗やばくて眼鏡が常に曇ってて
 デブで腕毛濃いのすら嫌なのにマジで全部無理。生理的に無理ってヤツ。
 それなのに用もなく呼びつけるから相手しなきゃで〜
 めちゃくちゃいやらしい目でウチのこと見てきて〜
 ウチのお店お触り禁止だからマジ助かってる。

 そいつがさ〜、先週来店してさ〜
 ちょうど男のオーナーがいてさ〜、あまりにも店的にアウトだから注意してくれたの
 そしたらそいつ、逆ギレして!

「お前が俺を弄んだんだろ!」

 って言われたの〜。超ウケるくない?
 さすがにオーナーも店長もヤバいって思ったみたいで、警察に通報してくれてさ〜
 警察来る前に、そいつガチガン切れだからさ〜
 支離滅裂で良くわかんないこと叫んでんの!
 極めつけには

「夜道には気をつけろよ」

 だって!
 ヤバくない!? 超イタすぎない!?

 ……え? マジで気をつけろって?
 いやいや、マジそんなん何もないから!
 全然危なくないから!
 うん……うん? シンゲツ? 昨日の夜?
 あーね、確かに月出てなかったわ
 あー。だからか
 ……え? あぁ、こっちの話
 え〜? 気になる〜?
 う〜ん、それがさ〜

 昨日の夜、バイト帰りに後ろから思いっきり押されたんだよね

 赤信号で止まってるところを後ろからドーン! って
 超マジびっくりして、結構力強くて、押された背中痛ァ! って感じ
 え? 怪我? ウチはないよ
 大丈夫、大丈夫! マジで無事
 ……え? 普通転ぶ?
 やだな〜、このぽよ様が転ぶわけないじゃんウケる〜

 むしろ向こうのほうが反動で後ろに倒れちゃって気を失ってたから救急車呼んであげたくらいだし

 それでさっきお見舞い行ってきたんだ〜
 え、確かにウチは何も悪くないけどさ、さすがに罪悪感くらいあるって!
 カシオリ? 何が良いか分かんねぇからとりまコンビニの限定スイーツにしといた
 そっちじゃねぇし! あんこの方!
 でさ、すいませんでした〜ってしたら

 そいつなの
 そう、激キモおじさん

 全治三週間らしいの〜
 え? 治ったらまた来るんじゃないかって?
 それ思った〜!
 さすがにこっちも怖いから〜、思わず言っちゃった〜!

「月夜ばかりと思わないでくださいね」

 って!
 そしたら超ガクブルしてた!
 多分これで大丈夫っしょ
 前の出禁客も同じこと言ったら二度と来なかったし

 ……あ、そういえば時間大丈夫?
 たいじょばない系? え〜もうマジごめん喋りすぎた〜
 今度はまぁやの話聞かせてね
 うん、ウチはいつでもウェルカムだから!
 うん、……うん、また話そうね〜
 ありがと〜じゃに〜



『月夜』

3/7/2024, 8:49:42 AM

 小学生の頃、たまたま受けたドラマのオーディションで隣同士座っていた。挨拶してから何年生かと確認し合ったら、お互い小学2年生で同い年なのがわかった。あとは、他に何か仕事したことあるかとか、どの辺りに住んでるのとか始まる前に少し世間話をした。仲良くなったわけでもなく、喧嘩したわけでもない。ただ隣に居合わせたから、同い年だったから話しただけ。
 ただし大人はそう思っていなかったらしい。オーディションに二人で合格した後、俺と泰司は仲の良い生徒役を任されることになった。台本を見れば台詞は少ないものの、二人の掛け合いが毎回あった。
 何で俺がアイツと。
 泰司は演技が上手かった。声、目線、仕草、表情、歩き方。どれも普段のアイツとは別人に見えた。それぐらい子役の時から周りより秀でていた。役にヒョーイするってこういう人を言うのかもしれない。
 悔しかった。俺だってもっとできるのに、本番になるとつい緊張してしまう。
「どれくらい練習した?」
 撮影の休憩時間、生徒役の子どもたちから少し離れた場所にいる泰司に声をかけた。一人でボーッとしてパイプ椅子に座っている。膝の上に広げた弁当は、まだ手をつけてない様子だった。
 泰司はチラッとこちらを見て「わからない」と答えた。
 分からないってなんだよ。普通、台詞覚えるのに時間とか日数とか、大まかに数えるだろ。どこまで覚えたかってページ数とかシーンの番号とか。
 俺はすごくイライラした。これが俗にいう天才ってやつなのかと思った。でもここで怒ったり、大きな声を出したら負けだと知っている。子役同士は仲が良い、特にペアの役を演じている子たちは。大人の期待にはちゃんと応えておかないと、次のオーディションにすら呼ばれない可能性がある。子役はたくさんいる。俺の代わりなんて、たくさんいる。
 俺は深呼吸してから口を開いた。
「一回読んだだけで全部覚えたってこと?」
「違う」
 そんなの出来るわけないだろ、と続けて言った。アイツの回答は意外だった。
「じゃあどうやって」
「台本もらってから、さっきの本番までの間で、全部頭の中に叩き込んでる」
「え?」
「俺、漢字苦手だからふりがな振らなきゃ分からないし。家で漢字全部調べて、ふりがな振って、ずっと音読して、本番までずっと頭の中でお芝居する。でも最近、台詞増えたからこの覚え方厳しいんだよね」
 昇は何か案ある? と逆に聞かれた。
 俺は首を横に振って「頭の中でお芝居する以外、一緒だから」とだけ答えた。
 泰司は丸い目をもっと丸くして、こちらを見上げてきた。
「え、お芝居しないの? するでしょ、普通」
「普通の、あの辺りにいる子役たちもそこまでしないと思う」
「だって、本番でりんきおーへんに動くなんて無理だろ」
「だからイメージするんだね」
「イメージじゃなくてお芝居!」
「頭の中だし、どっちも一緒だろ」
「全然違う!」
 頭を抱えながら唸る姿は、年相応の子どもだった。役になりきって、澄ました表情を浮かべているアイツよりも、親しみやすさを感じた。何となく、距離が縮まった気がした。


   *


 子役の寿命は短い。特に男は声変わりを境に現場がガクッと減る。俺も例に漏れず、オファーどころかオーディションの話すら来なくなった。
 泰司はコンスタントに役をこなしていた。すごく羨ましいほど、映画やドラマに引っ張りだこだった。更には特撮のヒーロー役に抜擢されて、西川泰司は今やイケメン俳優の筆頭だ。
 アイツの活躍ぶりを目の当たりにするたびに、俺は悔しくて情けなくて仕方なかった。スタートはほぼ一緒だったはず。いや、そう考えているのは俺だけか。スタート地点からすでに差が開いてた。アイツの生まれ持った才能と、培ってきた努力で今のポジションがあるのは明白だ。俺が、自分に無い才能を埋めるための努力を、もっと沢山やれば。
 泰司とまた共演することになったのは、学園ドラマだった。アイツはクラスのまとめ役というメインどころで、俺は教室の片隅にいる物静かな役。一応俺がメインとなる回が半ばにあるらしいが、それ以上取り上げられることはないだろう。明確な格差に愕然とした。
 撮影が順調に進んでいたある日。来週からとうとう俺メインの回の撮影が始まる時期に、スタジオの前室で泰司に声を掛けられた。二人で紙コップのコーヒー片手に、壁際のベンチに腰を下ろした。
「今まで全然話せなかったな」
「まぁ、お前囲まれてたから」
「何でだよ、割って入ってこいよ」
「無茶言うなよ。役柄的に、いや俺の性格上それは無理」
 他愛もない話は、あまり長続きしなかった。俺はコーヒーに口をつけるが、泰司は飲む気配がない。昔、苦いものが嫌いって言って、マネージャー代わりのお母さんにこっぴどく怒られてたが、味覚は早々に変わらないのかもしれない。
「俺さ、この間までニチアサ出てたんだぜ」
「知ってる」
「体もしっかり絞って筋肉つけてさ」
「やりすぎたらスタントの人に迷惑かかりそうだけど大丈夫だった?」
「監督に怒られた」
「だろうな」
 何が言いたいんだろうか。本当に話したいことは別にあるような気がして、つい裏の意味を探ってしまう。
 泰司はこちらに体を向けた。何か覚悟を決めたような目つきだった。

「俺、このドラマ終わったらアイドルやるんだ」

 一瞬理解が追いつかなかった。体感にしては何時間も経過しているように感じたが、実際は数秒だっただろう。
「はぁ!?」
 人生で一番大きな声が出た。いつの間にか腹から出していた。泰司は壁に寄りかかって、天井を見上げた。
「わかる、そんなリアクションになるよな」
「いや、え、おま、え? アイドル?」
「詳しく言うと、今の所属事務所って子役俳優事務所だから十八歳が節目みたいな、退所しなきゃいけないんだよ。それで、次の事務所のオーディション色々受けて、決まったのがアイドル事務所だから、多分、いや確実にアイドルになるだろうな」
「それは、もったいねぇな」
 あまりの衝撃で言葉を失ってしまった。今勢いがあって、これほど演技力に恵まれて、ストイックに努力を欠かさないヤツが。それらを一旦置いといて、一から歌とダンスを作り上げる必要があるのか。
「もったいない? 俺が?」
「もったいないだろ、普通に考えて。まぁ、お前ならアイドルデビューしてもやっていけるだろうけど。それより」
 俳優仲間が減っちゃうのは寂しいよ。
 声には出せなかった。一方的に俺が泰司をライバル視して競争して、ある意味戦友みたいな意識があったけれど。アイツにとって俺は子役時代からの知り合いにすぎない。
 何と言おうとしたか気になるのか、飛んでくる質問をのらりくらりと躱していたら、撮影再開のために泰司が呼ばれた。泰司は後ろ髪引かれるのか、何回かこちらをチラチラ見ながらスタジオへ入っていった。
 俺は数シーン後の教室撮影まで空きだから、先に融通してもらった来週の台本に目を通すことにした。でも台詞は一切入ってこない。これまで、西川泰司の活躍ぶりを見て対抗心を燃やしてここまで来たようなものだ。アイツに負けたくないという意地とプライドだけで。そんなヤツがいつまでか分からないが俳優界隈から一足先に降りることになる。完全に勝ち逃げだ。
 でも俺は、アイツの影を追ってまでこの仕事を続ける意味はあるのだろうか。


   *


 結局、細々ではあるが俳優業は続けていた。ドラマや映画の仕事は限りがあるから、舞台やミュージカルにも出演した。歌って踊りながら演技するマルチタスクは得意ではないが、自分の身になっていることは確信していた。
 泰司は宣言通り、あの学園ドラマ後事務所移籍の発表をした。その後一、二年ほど鳴りを潜めていたが、事務所の新ユニットのアイドルグループとしてメジャーデビューを果たしていた。センターでもリーダーでもないが、持ち前のポテンシャルの高さが目立っていて、あっという間に人気メンバーの仲間入りを果たしていた。

 初共演から二十年、学園ドラマからは九年。がむしゃらに芝居をし続けた俺にオファーが来た。探偵ドラマの準主役で、探偵である主人公の相棒役だった。突然のビッグチャンスに驚きと、疑問が残った。特に注目を浴びた覚えもない。業界の偉い人と仲良いわけでもない。オーディションも受けていない。それなのになぜ、俺が抜擢されたんだろう。背中に冷や汗が流れる。撮影どころか台本すらもらってないのに、今から緊張していた。
 俺の疑問と緊張は、初顔合わせで解消された。主人公の探偵役が泰司だったからだ。デビューしてアイドル活動を続けつつ、最近は俳優業も再開したと聞いていた。再開後すぐに主役を張れるなんて、もう凄い以上の言葉が見つからなかった。
 準主役だからか、俺は泰司の隣に座った。目の前の読み合わせ用の台本をチェックしようとすると、肩をトントンと叩かれた。嫌な予感がしつつ振り向くと、頬に指が刺さった。
「久しぶり」
 ニヤニヤしながら肘をついて軽口を叩くヤツに、視界の端にいる泰司のマネージャーが焦っているのがわかった。そうか、事務所移籍してから初共演だから、俺らが昔からの知り合いと知っている人はいないのか。俺も最近、マネージャーは新しい人に代わったし。
「古いな」
「リアクション薄っ」
 これぞお前って感じするけど、と笑いながら手を離した。意外と深く食い込んで痛かったから助かった。
 頬をさすりながら泰司の顔を見た。昔から整った顔立ちをしていたが、アイドルになってから磨きが掛かったみたいだ。ノーメイクで私服なのにオーラがキラキラしていて目が痛い。
 ポツポツと他愛もない話をし始めた。そしたらお互いの出演作品やコンサート等を観に行っていたことが発覚した。関係者席でなく、一般のお客さんとして。
「最初から言えよ、チケット用意したのに」
「俺お前のライン知らないんだけど」
「SNSのDMがあるだろ」
「あっその手があったか!」
 公式でフォローしよう! ていうかライン交換しよう、と泰司がスマホを取り出したので、ラインのQRコードを表示させた。無事読み取れたのか、早速メッセージにスタンプが送られてきた。俺もスタンプで返信して、西川泰司のSNSを公式の方でフォローした。フォロワー数の差が歴然すぎてもはや乾いた笑いしか出なかった。
「俺さ、超楽しみだったんだよね」
「あぁ、お前芝居好きだもんな」
「それだけじゃなくてさ。前一緒だった学園ドラマの時、俺と昇の掛け合いが中々良かったと思ってたから」
 それは俺も良かったと思った。入念に打ち合わせをしたわけでもないのに、一発でオーケーテイクが出た。自然体のまま演技ができて、すごくしっくりきていたのを覚えている。
 突然スマホを掲げてSNSのストーリーモードの画面を見せてくる。「イェーイ相棒に会ったよー」って真顔の棒読み台詞に思わず吹き出してしまった。そのまま投稿したらしい。俺のスマホにストーリー更新の通知が届いた。
「ちゃんと楽しそうにしろよ」
「楽しみだったんだよ」
「さっき聞いた」
「相棒役の候補色んな人がいたらしいんだけど。俺は何となく東谷昇になる気がしてたよ」
「は」
 スマホから目を離して隣を見た。泰司はSNSのコメント欄をチェックしているのか、スマホに目を向けたまま話し始めた。
「子役の時に『泰昇コンビ』ってニコイチ扱い受けてたけど、そこまで仲良いわけじゃなかったじゃん。でも俺はお前の存在があったからここまで続けてこられたっていうか。お前の活躍見てたら嬉しい気持ちより悔しい気持ちの方が強いんだよな。置いてかれる前に頑張らなきゃって。学園ドラマ以来全然会わなかったけどさ、意識せずにはいられなかった」
 まさか同じ考えでいてくれたとは知らなかった。こちらの一方的なライバル視だと思っていたから。
「ずっと一緒にいたわけじゃないけど、切っても切れない縁が昇との間にはありそう」
 泰司がチラッとこちらを流し見た。いいこと言ったよね、俺。そう伝わってくるような、勝ち誇ったようなドヤ顔だった。
 俺は顔を歪めて苦し紛れに言った。

「俺が大好きなのは女の子だ」
「突然なんだよ、俺もだけど」



『絆』

3/6/2024, 7:06:58 AM


 ほんの気まぐれに過ぎなかった。
 席替えしてから後ろの男の子がずっと気になっていた。前髪が目にかかるくらい長くて、いつもどこかしらに寝癖がついてる子。挨拶すると目が泳いだまま小声で返ってきて、隣の席の子と話が盛り上がって思いっきり笑ってたら勝手にビクッとして。授業以外は机に伏せて寝てるし、お昼休みはどこかへ行ってしまうし。
 始めのうちは女子というか、人というか、まぁ人見知りする子なんだろうなって思ってた。普通の日常会話をしようにも話が続かなそうだし、人と話すのが嫌いなんだろうなって。
 でも、ある時から授業中に視線を感じることに気がついた。それも背中からだ。プリントを回しながら後ろ側を見渡したけど、特にこちらをじっと見る人はいない。でもやっぱり、間違いなく感じる。
 私はどうしても突き止めたくてアレコレ試行錯誤し始めた。自習中に鏡を取り出して、逆まつげを取るフリしながら後ろを見たり。先生に当てられた人が後ろの方の席だと、その人を見るフリしながら見渡したり。
 結果は惨敗。鏡取り出した時点で何かを察知したのか視線は無くなったし、後ろを見渡すたびに目を逸らしたり俯かせたりなどの怪しい動きをしている人はいなかった。
 やっぱり気のせいなのかもしれない、と思ってお昼休みに理子へ愚痴ったら、
「え、後ろの子じゃないの?」
 と意外な回答をもらった。
「後ろの席の、名前なんだっけ?」
「武藤くん?」
「あっそうそう、武藤くん! 授業中、千香のことじっと見てるよ」
「えっ本当に?」
 灯台下暗しとは、こういうときに使うのかもしれない。あんなにオドオド、ビクビクしている子が、私を何で見ていたんだろう。でも友達が言ってたってことは本当のことなんだろうし。
 肘をついてお菓子をつまみながら考えていると、理子が小声で話してきた。
「好きなんじゃない? 千香のこと」
「そんなまさか」
 理子の話を思わず笑い飛ばした。席替えをするまで関わりなかったし、挨拶もしたことがなかった。席が近くなって、何となく挨拶だけ続けている。何か話した覚えもない。
 それでも理子は自信満々に絶対そうだと言い切った。
「そのうちきっと、千香もわかるって」


 武藤くんの話をした翌日、進展があった。
 朝、教室に入って自分の席の周りの人に挨拶していて、その流れで武藤くんにも声をかけた。
「おはよう」
「あ……おはよう」
 しっかり武藤くんと目が合った。珍しい。でもたまにはそんな日があるかもしれない。
 机の横に鞄を掛けながら、席についた。今日確か、一時間目は英語だったはず。教科書を鞄から取り出したところで、後ろから「あの」と声が聞こえた。
「さっき先生が来て、今日の一時間目と三時間目が逆になるって」
「え、マジか。ありがとう武藤く……」
 チラッと武藤くんの方を見ながら礼を述べたはずだった。武藤くんとまた目が合う。そう、今日は武藤くんとよく目が合うのだ。
「思い切ったね、その、バッサリと、髪型」
 喋るのは得意だと自負していたけれど、今回ばかりは口が回らず、支離滅裂な言葉で話していた。
 武藤くんは、長かった前髪をバッサリと切っていたのだ。よく見たら後ろ髪もスッキリと整えられている。
 当の本人は「あー」とか「うー」とか溢しながら、自分の短くなった髪を触っていた。
「なんか、たまには、っていうか初めてなんだけど。その、えっと……変、かな」
「いやめちゃくちゃ似合ってる。可愛い」
 食い気味に率直な感想を言ったら「可愛い!?」と声を裏返らせていた。
 髪が短くなってようやく見えた顔は、はっきり言って可愛らしい系統の顔立ちだった。くっきり二重のくりくり黒目で、筋の通った鼻と薄い唇がバランスよく並んでいる。多分あと眉毛整えたらモテるだろうな、いや絶対。
 私にじっと見られているのが落ち着かないのか、俯き気味になってきた。下を向かれて初めて気がついたけどまつ毛長いし量も多い。某アイドル事務所のジュニアみたいだ。
「本当は、かっこいいって言われたかったんだけど、でも、嬉しい」
 声は小さかったけれど、目の前の私には聞こえていた。頬を赤く染めながらはにかんだように笑う姿に、心臓がガッツリ掴まれた気がした。
 理子さん、私の方が好きになっちゃったよ。


『たまには』

Next