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「班ごとに分かれましたね。じゃあ今から紙配るのでみんなで意見出し合ってメモなりまとめなりしてください。テーマは『お金より大事なもの』です。最後発表してもらうとき理由も聞きますので、しっかり話し合ってくださいね」

 先生の号令の後、教室が一瞬にして騒がしくなった。机同士くっつけあった四人班になった。席替えしたばかりであまり交流もない人たちだから少し怖い。
 先生が班を回って紙を配る。B5の白紙だ。
「ありがとうございます」
 隣の席で、今は向かい合わせに机を並べている坂本さんが受け取った。坂本さんは裏っ返したりしながら、何も書かれていないことを確認していた。
「誰書く?」
 普段は後ろの席の吉田くんが隣から声を発した。班学習だと操作していなければ注意されないから、スマホを机の上に置いていた。
 あっ。
「このまま私書くよ」
「あざーっす!」
 立候補が遅れてしまった。書記を担当したら発表者候補から逃れられると思ったのに。前に出て話す、もしくはその場で立って話すなんて緊張しちゃう。絶対やりたくない。
 音もなく、スッと隣から手が挙がった。
「発表者、俺で良い?」
 神様は私を見捨てていなかった。全員でお礼を言ったけれど、私が一番声出ていたと思う。
 吉田くんは手を下げてニカッと笑い、
「俺ありきたりなのしか思いつかないから、武藤と高倉さんで案いっぱい出してね」
 と、爆弾投下して机に肘をついた。神は私を見捨てた。
「案はみんなで出し合うんだよ。ほら、私と一緒に無い頭絞ろう」
「えー、苦手なんだよな、こういう道徳的なの」
 坂本さんと吉田くんだけで話が盛り上がっているが、そもそもこの班はクラス内で平均点以上の成績を収めている人しかいない。得意分野はそれぞれバラバラだけど。

 英語の学内スピーチコンテスト三位の坂本千香さん。
 今年数学検定二級に合格した吉田一成くん。
 日本史テストの学年最高得点をキープしている私。
 そして、オールラウンダーの武藤博昭くん。

 ただ武藤くんは極度の人見知りらしく、私と同じで音読やスピーチ等の対話や発表が苦手なようだ。
 そんな武藤くんは、私の斜向かいに座りながらじっと机を見ている。どうやら目線が上げられないらしい。最近髪を切って、隠れていた顔を初めて拝んだ。アイドルの卵にいそうなイケメンでびっくりした。多分あと眉毛整えたらすごくモテると思う。
 今まで遮っていたものがなくなって、本人としては落ち着かないかもしれない。でもこちらとしては表情や目線がわかるからありがたかった。

「とりあえず、無難な案から出そう。人間関係」
「うーわ、言われた」
 早い者勝ちだよこんなのって吉田くんが笑った。
「人間関係ね、理由は?」
「家族も友達も恋人も、お金じゃ買えない。あとお金が絡んで損得勘定が生まれると関係が破壌しやすいから、お金を絡ませない方がむしろ良い」
「確かに」
 道徳苦手とはどの口が言っていたのだろう。
「武藤くんは何か思いついた?」
 武藤くんは一瞬ビクッと肩を揺らして、ようやく顔を上げた。くっきり二重が可愛いクリクリお目目を坂本さんに向けている。「あー」とか「うー」とか言いつつ、
「愛情、とか?」
 と静かに答えた。坂本さんは大きく頷いた。
「確かに、人間関係に恵まれるには、お互いに愛情を持って接する必要があるかも」.
「愛情を持って?」
「人類皆ライク精神的な?」
「そこまでは、いらないと思う、ます」
 私は必死に笑いを堪えていた。坂本さん、ボケなのかギャグなのか。とにかく急にぶっ込まないでほしい。
「高倉さんは何か思いついた?」
 坂本さんが私に話を振ってきた。そこでまともに考えてなかったことに気がついた。ヤバい、何か案出さなきゃ「人任せの女」って認識されちゃう。
 私も二人を見習って、無い頭を絞り出す。お金より大事ってことは、お金じゃ買えないものか、お金にできない中で究極に大切なもの。お金と同等もしくは少し価値が低くても良いから何か、何か思いつけ!

 あっ。
「時間、とか?」

 周りが騒がしい中、この班だけシンとした。私の発言は不躾だったのかもしれない。三人とも私をじっと見ている。間違ったことを言ってしまったかもしれない。
 だんだん恥ずかしくなってきて視線が下がる。ソワソワして落ち着かない。
「それだ」
 吉田くんが私を指差した。
「時は金なり、タイムイズマネー。よく言うもんね」
 何かを紙に書き込む坂本さん。
「確かに、カラオケや漫喫の三十分いくらの料金表は時間というより施設・サービス使用料に付随されるから時間のみ買っているわけではないか」
 小声で呟いているけど丸聞こえの武藤くん。
 私はまさか自分の意見に共感してもらえるとは思わなくて狼狽えた。このまま結論が時間になってしまうと、最初に言い出した私に全責任回ってきそうで怖い。何か他にも案を出そうと頭を捻る。
 シャーペンを動かしていた坂本さんが、不意に顔を上げた。

「じゃあ空間も大事ってこと?」
 パルキアか。

 突っ込みたいところをグッと我慢した。坂本さんのようなキラキラ女子は、ポケモンを知らない可能性がある。たとえポケモンが一般人にも知れ渡っている偉大なコンテンツだとしても、ここでオタクみたいな発言は避けたい。

「いやパルキアじゃねぇんだから」

 吉田くん! と心の中で叫んでしまった。
「時間と空間って確かニコイチじゃなかったっけ?」
「パッケージデザインの伝説ポケモンをニコイチ扱いする人がいるとは思わなかった」
 あれ、もしかして坂本さん意外とポケモン知っている人なのかもしれない。
「現実世界で考えると、家とか土地とか、道だって料金払ってるから、お金が有利かな」
「道を? 高速道路以外に払ってる?」
「道路整備とか公園とかって、自治体の管理になるから。うーん、住民税とか?」
「働く世代が払ってくれて、整えてくれる人がめちゃくちゃ頑張ってくれてるから歩きやすい道ができてるってことだろ」
「あぁ、なるほど納得」
 正確さは置いといて、自分たちで答えを見つけるのが、この班の私以外の人は得意なのかもしれない。
「じゃあ空中は?」
「人間が浮かない限り、物理的に無理かな」
「じゃあパルキアよりディアルガが有利か」
「そもそもパルキアとディアルガはアルセウスから生まれたんだから、アルセウスこそ大事ってことあるんじゃない?」
 坂本さんのパッと出た疑問に、おそらくポケモンに詳しいだろう他三人の動きが止まった。
「神はダメだろ」
 苦虫を噛み潰したような顔で、吉田くんが言う。

「神を信仰しても金は増えない。むしろ献上金として失っていく一方だ。信仰って一見心が満たされるような良いことのように聞こえるけど、実際はお金も時間も心も労力も全てすり減らすんだよ。じゃなかったら今、世間で被害者の会が発足されたりしないはずだ。それに信仰する神によっては宗教にまつわる争いごとが歴史上の付き物だろ。キリスト然り、ブッダ然り、アッラー然り。レジェンズアルセウス貸そうか?」

 正論すぎて補足することも何もなかった。また、彼が宗教に関してここまで現実的なイメージを持っていたなんて、過去に何があったか聞きたかった。けれど触れられたくない事情かもしれないので、そっとすることにした。
「オッケー、神はやめよう」
 あとクリア済みだから大丈夫、ありがとう、と坂本さんは続けた。紙に書いたアルセウスとパルキアとディアルガにバツがつく。その紙がチラッと見えたらしい吉田くんは呟いた。

「むしろピカチュウとか、身近な存在こそお金より大事で尊いんじゃね?」
 今度はピカチュウかよ。

 その発言に、武藤くんは何度も頷いた。
「わかる、ピカチュウは尊い」
「まぁ、ピカチュウは可愛いけど」
 坂本さんは戸惑い気味に苦笑いした。内心まだポケモン続くのって思ってそうだ。
 確かに、ポケモンというコンテンツの中でも、ピカチュウは世界中で愛されるキャラクターではあるけれど。

「ピカチュウは、経済を回してお金を生み出しているけれど、いざピカチュウと生活するには、余計な苦労をさせないためにもお金が必要なのでは?」

 私が思わず声に出すと、三人は頭を抱えた。私が発言するたびに団体芸を披露しないでほしい。笑い堪えるの大変なんだから。
「そ、そうだね。ピカチュウと暮らすには、ポケモンと暮らせる住居の用意に餌代に治療代に、モンボのメンテナンス費とかゲーム世界じゃ省かれているところにもお金が必要かもしれない」
 武藤くん、私はポケモンライト勢だからポケモン世界にそんな設定があるかもなんて考えたことなかったよ。
「モンボのメンテ?」
「だって、あれだけ伸び縮みしてパカパカ開くじゃん。何年も使ってたらさすがに壊れるって」
 その発想、私にはなかった。
 坂本さんは無言でメモし続けている。チラッと覗いたら私のピカチュウ発言がメモされていた。恥ずかしいからやめてほしいけど、言い出せない。
「ポケセンも現実にあったらお金掛かるのかな」
「それは、ほら、あの、住民税で」
 大切な税金を便利道具扱いするな。

「私たちの生活って本当にお金で成り立ってるんだね」

 しみじみと坂本さんが言った。その言葉に男子二人はまだ続きそうだったポケモンの話を引っ込めた。そうだね、今はグループワーク中だからね。ポケモンは終わってから話そう。
「高倉さんはさ、なんで時間だと思ったの?」
 吉田くんがこちらを見た。
 私は焦った。秒で突発的に言ってしまったから理由なんて考えてなかった。大慌てで頭を巡らす。
「まず、時間単品を商品・サービスとしてお金で買えないから。武藤くんも言ってたけど、施設・サービスの利用料金にプラスで時間が付くから時間のみってどう買うのかも思いつかないかな」
 三人の真剣な目がこちらを向いている。狼狽えそうになるところだけど、グッと堪えて言葉を続ける。
「次に、お金を生み出すのに欠かせないから。大人になって社会に出たら、もしくは今何かしらバイトしてるなら、労働時間の対価としてお金をもらうでしょう? そこから時間って唯一お金を作れるのかなって」
 坂本さんのシャーペンが走る。
「最後は、時間をかけることで解決する物事があるからかな。辛いことや苦しいことを忘れようにも、お金は支払って何かすることになる。その間は忘れられるかもしれない。でも何もしなくなったら途端に思い出しちゃう。それが、時間の経過とともに昇華されることがあるんじゃないかなって」
 言い切って、我ながらよくまとめられたと思った。
 三人の沈黙は続く。坂本さんの書き取りの音だけが響く。そのシャーペンの音が鳴り止んだ時、吉田くんが口を開いた。
「もう採用。それ以外思いつかない」
 吉田くんの言葉の後、武藤くんは小さく拍手をしてきた。坂本さんも武藤くんに倣って手を鳴らした。
「じゃあ今の超良い感じにまとめてもらって」
「まっっって! 超待って!」
 思いっきり吉田くんの話を遮った。待ったをかけられたことが意外だったのか、三人ともキョトンとしている。
「こんな理由で時間がお金よりも大事って決められちゃうと、責任重大と言いますか」
「責任って、ただの授業発表だしそんなに重く受け止めなくても……」
 気まずそうに坂本さんが言った。
「人間関係と愛情と時間の三つから選ぶとは早計すぎると言いますか」
「いや候補三つ目でめちゃくちゃ良いの出たから」
 吉田くんが恐る恐る呟いた。
「待ってください、もっと出します。えっと、あ! そうだ命! 命がないと生きられないです! 人間関係も愛情も時間もお金も、生きてこそ初めて価値を知ると言いますか! その尊さは我々の命があってこそです! あと空気! コイツがないと生きられないのは科学的に証明されていますよね! これこそ具体的で分かりやすいかと」
「高倉さん」
 思った以上に口が回る私を、武藤くんが静かに制した。私は途端に口を閉じた。
「高倉さんが、何を気にして責任感じているか、分からないけど、そんなに怖がることない、と思う。俺は、理由を聞いて、すごく良いと思った。だから、時間がお金よりも大事って結論で、発表したい」
 武藤くんの真剣な顔に気圧されてしまった。こちらも、頷き返すことしかできなかった。

「みんなまとまった? そろそろ発表始めるよ」
 発表は一、二分程度の短いものだけど、自分たちの班に回ってくるまで緊張していた。他の班は、愛や家族、友達と命、もちろん時間も出た。ところどころ被ってしまって、やっぱりありきたりになっちゃったなと思っていた。
「じゃあ次、最後ね」
 先生の声で、隣の吉田くんが席を立つ。手には坂本さんがまとめてくれたメモを持って、みんなの方を向いた。

「僕たちの班では、お金より大事なものは『時間』ではないか、と決まりました。候補としては、人間関係、愛情、命、空気が上がりましたが、お金で買えない商品・サービスであることと、お金が生み出せる唯一の手段であることから『時間』を選びました。また、時間の経過とともに解決へ導ける物事は、お金では解決できない事柄であるとも考えました。以上のことから、僕たちは有限の時間をお金以上に大事にしたいと思います」

 以上です、と締めくくり、吉田くんは席に着いた。まばらの拍手が、余計に傷つく。教室の後方で発表を聞いていた先生が、教卓へ登った。

「タイムイズマネー、時は金なり。大人たちは労働時間の対価としてお金を貰ったり、株や投資をしてお金を増やしたりしますから、そのプラスのイメージが強いのかもしれません。今まで発表した班でも時間が挙げられましたね。
 ただ、吉田くんたちの班では、『時間で物事を解決できる』と言ってくれました。
 皆さんはまだ身を引き裂かれるような悲しい出来事や、呼吸をすることもままならないような苦しい出来事には遭遇したことないと思います。できれば経験しないまま人生を終えてほしいくらいですが、そうもいかない状況に陥るかもしれません。
 そんな時は、時間という長期戦の味方に任せてしまうのも一つの手です。ゆっくり、じっくり、時間の経過とともに想いは昇華されるでしょう。心の奥底に留めておいてくださいね。
 じゃあ、メモを回収しますので、班全員の名前を書いて提出したら終わりです。先に号令します、日直」
 日直の人が号令をかける。席を立ってお辞儀をしても、なんだか心がフワフワしたままだ。

 私の意見、人生で初めて否定されなかったかも。

 ボーッとしてしまっていて、肩をトントンとされた時に、体が跳ねた。振り向くと、坂本さんが笑顔でメモを渡してくれた。
「良かったね、責任負わなくて」
「そ、そうだね」
「やっぱりうちの班が一番良かったよね!」
「そ、そうだね」
 改めてそう言われると自分が褒められたと勘違いしてしまいそうだ。少し恥ずかしくなって、ニコニコ笑う坂本さんを避けるように急いで名前を書いた。『坂本千香』『武藤博昭』『吉田一成』『高倉亜莉寿』と四人分並んでいることを確認して、
「提出してくる!」
 と、先生のところへ向かった。坂本さんが何か言いたそうにしていたのに気が付かなかった。
 受け取った先生が、ザッとメモを眺めてこちらに目を向けた。
「『ピカチュウは経済を回してお金を生み出しているけれど、いざピカチュウと生活するには、余計な苦労をさせないためにもお金が必要』」
「えっ……あっ!」
「ピカチュウ推しの先生に配慮した素晴らしい言葉選びですね。メモに書いてあるってことは、どなたかの意見だったんでしょう? 先生握手したいんだけど、誰かしら?」
 声色は優しいのに、目の奥から冷たさが感じられる気がする。きっと関係のない話をしていたからだ。
 血の気が引いた私は、先生に向かって恐る恐る手を差し伸べるしかなかった。



『お金より大事なもの』

3/9/2024, 4:41:07 AM