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 小学生の頃、たまたま受けたドラマのオーディションで隣同士座っていた。挨拶してから何年生かと確認し合ったら、お互い小学2年生で同い年なのがわかった。あとは、他に何か仕事したことあるかとか、どの辺りに住んでるのとか始まる前に少し世間話をした。仲良くなったわけでもなく、喧嘩したわけでもない。ただ隣に居合わせたから、同い年だったから話しただけ。
 ただし大人はそう思っていなかったらしい。オーディションに二人で合格した後、俺と泰司は仲の良い生徒役を任されることになった。台本を見れば台詞は少ないものの、二人の掛け合いが毎回あった。
 何で俺がアイツと。
 泰司は演技が上手かった。声、目線、仕草、表情、歩き方。どれも普段のアイツとは別人に見えた。それぐらい子役の時から周りより秀でていた。役にヒョーイするってこういう人を言うのかもしれない。
 悔しかった。俺だってもっとできるのに、本番になるとつい緊張してしまう。
「どれくらい練習した?」
 撮影の休憩時間、生徒役の子どもたちから少し離れた場所にいる泰司に声をかけた。一人でボーッとしてパイプ椅子に座っている。膝の上に広げた弁当は、まだ手をつけてない様子だった。
 泰司はチラッとこちらを見て「わからない」と答えた。
 分からないってなんだよ。普通、台詞覚えるのに時間とか日数とか、大まかに数えるだろ。どこまで覚えたかってページ数とかシーンの番号とか。
 俺はすごくイライラした。これが俗にいう天才ってやつなのかと思った。でもここで怒ったり、大きな声を出したら負けだと知っている。子役同士は仲が良い、特にペアの役を演じている子たちは。大人の期待にはちゃんと応えておかないと、次のオーディションにすら呼ばれない可能性がある。子役はたくさんいる。俺の代わりなんて、たくさんいる。
 俺は深呼吸してから口を開いた。
「一回読んだだけで全部覚えたってこと?」
「違う」
 そんなの出来るわけないだろ、と続けて言った。アイツの回答は意外だった。
「じゃあどうやって」
「台本もらってから、さっきの本番までの間で、全部頭の中に叩き込んでる」
「え?」
「俺、漢字苦手だからふりがな振らなきゃ分からないし。家で漢字全部調べて、ふりがな振って、ずっと音読して、本番までずっと頭の中でお芝居する。でも最近、台詞増えたからこの覚え方厳しいんだよね」
 昇は何か案ある? と逆に聞かれた。
 俺は首を横に振って「頭の中でお芝居する以外、一緒だから」とだけ答えた。
 泰司は丸い目をもっと丸くして、こちらを見上げてきた。
「え、お芝居しないの? するでしょ、普通」
「普通の、あの辺りにいる子役たちもそこまでしないと思う」
「だって、本番でりんきおーへんに動くなんて無理だろ」
「だからイメージするんだね」
「イメージじゃなくてお芝居!」
「頭の中だし、どっちも一緒だろ」
「全然違う!」
 頭を抱えながら唸る姿は、年相応の子どもだった。役になりきって、澄ました表情を浮かべているアイツよりも、親しみやすさを感じた。何となく、距離が縮まった気がした。


   *


 子役の寿命は短い。特に男は声変わりを境に現場がガクッと減る。俺も例に漏れず、オファーどころかオーディションの話すら来なくなった。
 泰司はコンスタントに役をこなしていた。すごく羨ましいほど、映画やドラマに引っ張りだこだった。更には特撮のヒーロー役に抜擢されて、西川泰司は今やイケメン俳優の筆頭だ。
 アイツの活躍ぶりを目の当たりにするたびに、俺は悔しくて情けなくて仕方なかった。スタートはほぼ一緒だったはず。いや、そう考えているのは俺だけか。スタート地点からすでに差が開いてた。アイツの生まれ持った才能と、培ってきた努力で今のポジションがあるのは明白だ。俺が、自分に無い才能を埋めるための努力を、もっと沢山やれば。
 泰司とまた共演することになったのは、学園ドラマだった。アイツはクラスのまとめ役というメインどころで、俺は教室の片隅にいる物静かな役。一応俺がメインとなる回が半ばにあるらしいが、それ以上取り上げられることはないだろう。明確な格差に愕然とした。
 撮影が順調に進んでいたある日。来週からとうとう俺メインの回の撮影が始まる時期に、スタジオの前室で泰司に声を掛けられた。二人で紙コップのコーヒー片手に、壁際のベンチに腰を下ろした。
「今まで全然話せなかったな」
「まぁ、お前囲まれてたから」
「何でだよ、割って入ってこいよ」
「無茶言うなよ。役柄的に、いや俺の性格上それは無理」
 他愛もない話は、あまり長続きしなかった。俺はコーヒーに口をつけるが、泰司は飲む気配がない。昔、苦いものが嫌いって言って、マネージャー代わりのお母さんにこっぴどく怒られてたが、味覚は早々に変わらないのかもしれない。
「俺さ、この間までニチアサ出てたんだぜ」
「知ってる」
「体もしっかり絞って筋肉つけてさ」
「やりすぎたらスタントの人に迷惑かかりそうだけど大丈夫だった?」
「監督に怒られた」
「だろうな」
 何が言いたいんだろうか。本当に話したいことは別にあるような気がして、つい裏の意味を探ってしまう。
 泰司はこちらに体を向けた。何か覚悟を決めたような目つきだった。

「俺、このドラマ終わったらアイドルやるんだ」

 一瞬理解が追いつかなかった。体感にしては何時間も経過しているように感じたが、実際は数秒だっただろう。
「はぁ!?」
 人生で一番大きな声が出た。いつの間にか腹から出していた。泰司は壁に寄りかかって、天井を見上げた。
「わかる、そんなリアクションになるよな」
「いや、え、おま、え? アイドル?」
「詳しく言うと、今の所属事務所って子役俳優事務所だから十八歳が節目みたいな、退所しなきゃいけないんだよ。それで、次の事務所のオーディション色々受けて、決まったのがアイドル事務所だから、多分、いや確実にアイドルになるだろうな」
「それは、もったいねぇな」
 あまりの衝撃で言葉を失ってしまった。今勢いがあって、これほど演技力に恵まれて、ストイックに努力を欠かさないヤツが。それらを一旦置いといて、一から歌とダンスを作り上げる必要があるのか。
「もったいない? 俺が?」
「もったいないだろ、普通に考えて。まぁ、お前ならアイドルデビューしてもやっていけるだろうけど。それより」
 俳優仲間が減っちゃうのは寂しいよ。
 声には出せなかった。一方的に俺が泰司をライバル視して競争して、ある意味戦友みたいな意識があったけれど。アイツにとって俺は子役時代からの知り合いにすぎない。
 何と言おうとしたか気になるのか、飛んでくる質問をのらりくらりと躱していたら、撮影再開のために泰司が呼ばれた。泰司は後ろ髪引かれるのか、何回かこちらをチラチラ見ながらスタジオへ入っていった。
 俺は数シーン後の教室撮影まで空きだから、先に融通してもらった来週の台本に目を通すことにした。でも台詞は一切入ってこない。これまで、西川泰司の活躍ぶりを見て対抗心を燃やしてここまで来たようなものだ。アイツに負けたくないという意地とプライドだけで。そんなヤツがいつまでか分からないが俳優界隈から一足先に降りることになる。完全に勝ち逃げだ。
 でも俺は、アイツの影を追ってまでこの仕事を続ける意味はあるのだろうか。


   *


 結局、細々ではあるが俳優業は続けていた。ドラマや映画の仕事は限りがあるから、舞台やミュージカルにも出演した。歌って踊りながら演技するマルチタスクは得意ではないが、自分の身になっていることは確信していた。
 泰司は宣言通り、あの学園ドラマ後事務所移籍の発表をした。その後一、二年ほど鳴りを潜めていたが、事務所の新ユニットのアイドルグループとしてメジャーデビューを果たしていた。センターでもリーダーでもないが、持ち前のポテンシャルの高さが目立っていて、あっという間に人気メンバーの仲間入りを果たしていた。

 初共演から二十年、学園ドラマからは九年。がむしゃらに芝居をし続けた俺にオファーが来た。探偵ドラマの準主役で、探偵である主人公の相棒役だった。突然のビッグチャンスに驚きと、疑問が残った。特に注目を浴びた覚えもない。業界の偉い人と仲良いわけでもない。オーディションも受けていない。それなのになぜ、俺が抜擢されたんだろう。背中に冷や汗が流れる。撮影どころか台本すらもらってないのに、今から緊張していた。
 俺の疑問と緊張は、初顔合わせで解消された。主人公の探偵役が泰司だったからだ。デビューしてアイドル活動を続けつつ、最近は俳優業も再開したと聞いていた。再開後すぐに主役を張れるなんて、もう凄い以上の言葉が見つからなかった。
 準主役だからか、俺は泰司の隣に座った。目の前の読み合わせ用の台本をチェックしようとすると、肩をトントンと叩かれた。嫌な予感がしつつ振り向くと、頬に指が刺さった。
「久しぶり」
 ニヤニヤしながら肘をついて軽口を叩くヤツに、視界の端にいる泰司のマネージャーが焦っているのがわかった。そうか、事務所移籍してから初共演だから、俺らが昔からの知り合いと知っている人はいないのか。俺も最近、マネージャーは新しい人に代わったし。
「古いな」
「リアクション薄っ」
 これぞお前って感じするけど、と笑いながら手を離した。意外と深く食い込んで痛かったから助かった。
 頬をさすりながら泰司の顔を見た。昔から整った顔立ちをしていたが、アイドルになってから磨きが掛かったみたいだ。ノーメイクで私服なのにオーラがキラキラしていて目が痛い。
 ポツポツと他愛もない話をし始めた。そしたらお互いの出演作品やコンサート等を観に行っていたことが発覚した。関係者席でなく、一般のお客さんとして。
「最初から言えよ、チケット用意したのに」
「俺お前のライン知らないんだけど」
「SNSのDMがあるだろ」
「あっその手があったか!」
 公式でフォローしよう! ていうかライン交換しよう、と泰司がスマホを取り出したので、ラインのQRコードを表示させた。無事読み取れたのか、早速メッセージにスタンプが送られてきた。俺もスタンプで返信して、西川泰司のSNSを公式の方でフォローした。フォロワー数の差が歴然すぎてもはや乾いた笑いしか出なかった。
「俺さ、超楽しみだったんだよね」
「あぁ、お前芝居好きだもんな」
「それだけじゃなくてさ。前一緒だった学園ドラマの時、俺と昇の掛け合いが中々良かったと思ってたから」
 それは俺も良かったと思った。入念に打ち合わせをしたわけでもないのに、一発でオーケーテイクが出た。自然体のまま演技ができて、すごくしっくりきていたのを覚えている。
 突然スマホを掲げてSNSのストーリーモードの画面を見せてくる。「イェーイ相棒に会ったよー」って真顔の棒読み台詞に思わず吹き出してしまった。そのまま投稿したらしい。俺のスマホにストーリー更新の通知が届いた。
「ちゃんと楽しそうにしろよ」
「楽しみだったんだよ」
「さっき聞いた」
「相棒役の候補色んな人がいたらしいんだけど。俺は何となく東谷昇になる気がしてたよ」
「は」
 スマホから目を離して隣を見た。泰司はSNSのコメント欄をチェックしているのか、スマホに目を向けたまま話し始めた。
「子役の時に『泰昇コンビ』ってニコイチ扱い受けてたけど、そこまで仲良いわけじゃなかったじゃん。でも俺はお前の存在があったからここまで続けてこられたっていうか。お前の活躍見てたら嬉しい気持ちより悔しい気持ちの方が強いんだよな。置いてかれる前に頑張らなきゃって。学園ドラマ以来全然会わなかったけどさ、意識せずにはいられなかった」
 まさか同じ考えでいてくれたとは知らなかった。こちらの一方的なライバル視だと思っていたから。
「ずっと一緒にいたわけじゃないけど、切っても切れない縁が昇との間にはありそう」
 泰司がチラッとこちらを流し見た。いいこと言ったよね、俺。そう伝わってくるような、勝ち誇ったようなドヤ顔だった。
 俺は顔を歪めて苦し紛れに言った。

「俺が大好きなのは女の子だ」
「突然なんだよ、俺もだけど」



『絆』

3/7/2024, 8:49:42 AM