毎日かかさず日記をつけるなんて真面目な人にしかできないと思ってたけど、うっかり始めてみたら案外続いてびっくりしてる。
けどそんなに大したことは書いてなくて、日記というより日誌みたいな感じ?ちゃんとした文章じゃなくチェックマークや記号ばっかり。これじゃまるで暗号みたい?
うん、だってこんなの誰にも解読されたくない……!
あなたを見かけた日は○、
出会えなかった日には×を。
目があったら◎、
おしゃべりできたらT、
いちおうtalkの頭文字。
会話が続いた分だけ+を追加。
たくさんおしゃべりできた日は、T+++++++って、数字のない足し算みたいになってしまってる。そして今日は「今度一緒に出掛けよう」と誘われたのを、ここに一体何と記せばいいのか決められなくってずっとドキドキしてるの。
ねぇ、私の日記帳、あなたには絶対ゼッタイ見せてあげたりしないんだから!
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私の日記帳
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所感:
可愛らしい何かを書きたかったのでした。
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一昨日から続く雨の中で行われた結婚式で、それこそ100回ぐらいは「雨降って地固まる」と聞かされたように思う。いや本当に顔を合わせたおじさんおばさん、口々に同じこというものだから、最後の報には目が合うと「雨降って」「地固まる」って忍者の暗号みたいにうなずき合ってたね。
でも、そんな格言を持ちだして一言いいたくなる気持ちも分からないではない。私は窓越しに庭の黒い小山をそっと見やった。どこが頭かどこに手足があるのかも判然としない、真っ黒で毛むくじゃらのかたまりが、重量感のある静寂を纏いうっそりと佇んでいる。
あれが私の結婚相手。
一昨日、山の神社から降りてきたモノ。
先祖代々祀っている山の神様が嫁御を欲しがっているのだ、式の真似事をすれば良いのだ、形だけで良いから……と親戚連中が笑いながら(しかしおかしなぐらい真剣な目で熱心に)言ってくるのを断り切れず、父が私に声をかけてきたのが昨日のこと、そして今日は結婚式。あまりにスピーディーで、実感がなさすぎて動揺する余裕もない。まあ今日一日は親孝行だと思ってこの茶番に付き合ってあげようと思っていたら、隣に人が来た。一番歳の近い叔父さんだ。
私と視線を合わせず、忍者の暗号も唱えず、並んで庭の黒いかたまりを眺めながら彼はつぶやいた。私にしか聞こえなかっただろう、とても小さな声。
「今なら逃げられる、手伝うよ」
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雨に佇む
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所感:
本当は怖い系だったのかもしれない
「きれいに結えているね」
髪に伸ばした手を簪に触れるか触れないかの位置で止め、あなたは笑顔の形に唇をゆがませた。一拍遅れて僅かに伏せられた目からは、もう感情が読み取れない。
こうして二人で向かい合わせに座るのは随分久しぶりで少し緊張している。私たちは隣り合わせで居ることのほうが当たり前だったから。いつだって二人並んで立ち、同じ景色を眺め、夜空の先で一つ輝く遠い星に向かって同じ歩幅で歩いてきた。
そうやってこれからもずっと過ごしていくことは定められた事実だと、疑ってもいなかった。だから今私を置き去りにしようとするあなたが、まるで本物のあなたじゃないような気がして何も言い出せないままでいる。
ひょっとしたらあなたも私のことを、最後の最後に自分の側には居てはくれない薄情者だと幻滅していやしないだろうか。たとえそう思われていたとしても、言い返せる言葉を私は何も持っていない。
静かに流れていく時間が夕暮れの色に染まりだしたのを感じ、窓にふと目をやった。つられてあなたも視線を巡らせる。立秋を過ぎて少し歩みを早めた太陽が、遠く山際の雲を茜色に光らせ、夜を呼ぼうとしている様を、二人でただ見守っていた。
一緒にいられる最後の瞬間まで同じ世界を見ていた。
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向かい合わせ
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所感:
嫁ぐお嬢さんと幼馴染み、ぐらいに思っていましたが途中からこれどっちか死んじゃうのかと思い直しました。
今夜にはあなたが来ると聞いていたから、久方ぶりに髪を整え紅を差した。まだ日も高いうちに座敷に膳を並べ、蔵からとっておきの佳い酒も出してきたというのに。
夕闇に鴉の鳴き声が溶けだす頃に汗だくで走ってきた伝令は、山向こうの戦況を伝え切ったあとそのまま泡を吹いて倒れてしまった。
もう、この山城にあなたが戻ることはない。夜明けには将の首を掲げた悪鬼どもが、黒い波となって押し寄せることだろう。
そして全てを失うことよりも、久々に上手く仕上がった煮物を誰にも味わってもらえないことが惜しい。人生の最後に思い残すのがこんなささやかな不満だなんて、なんだかやるせない。
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やるせない気持ち
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所感:
ちいさな事柄のほうが、もっと気にかかる。
触れてはいけないと言い付けられていたその扉は、しかし、鍵が掛かっていなかったんだ。指の僅かな力で簡単に開いた。そして初めて見た外の世界は喧騒と振動、よく分からないごちゃごちゃしたものでいっぱいだった。うごめくぶよぶよとした何かが近寄ってきたから、ぼくは慌てて扉の中に戻り扉を固く押さえ込んだ。
外には怖いものがいっぱいだ。ああ、だから外に出てはいけなかったんだ。僕は行動を禁止されていたのではなく、守られていたのか。きっとそうだ。
ぼくはもうすっかり安心して寝床の敷布にくるまった。
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鳥かご
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所感:何も知らないということ。
もし誰かと仲違いしてもうあんな奴は友達じゃないと怒りに震えることがあったなら、一度ゆっくり思い返してみればいい。
まずは君と一番仲の良い人を一人思い浮かべてみよう。そして自分に問いかけるんだ、自分自身は果たしてその人にとって良き友人たり得ているだろうかと。
君は誠実か?
いつも十分な親切を発揮し、裏表ない心で常に相対しているか?
「友達だからこそ諫言も必要だ」なんて馬鹿げた正義心に乗せられて、頼まれもしない幼稚な説教をしたことは?
「あんな奴は友達じゃない」と苛立つ君が、同じように誰かから「友達なんかじゃない」と吐き捨てられている可能性について考えて、全く不安なしに「そんなはずがない」と言い切れるなら君は強い人間だ。
だから、むしろ友情など頼らずともその強さで一人、君は生きていけるだろう。
あるいは不安で不安でたまらない、周囲の誰一人自分の手を取って共に歩いてくれることはないと悲嘆に暮れる君もまた、その孤独感こそを支えに一人、立ち続けることができる人間だ。
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友情
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そんなもの無くても生きていける。
無くて生きていけるものだからこそ欲しくて堪らない。