「友情といえば!私と君だよねぇ!」
そう話しかける私の前には冷たい墓石がひとつ。雲で隠れて月明かりすらない暗い夜。
「私と君は友情という言葉では表せないさ。」
「世界で一番の存在だよ君は」
風が私を靡いた。私の前髪は揺らいだ。
冷たい墓石に手を置く。矢張り冷たい。冷たすぎる。
触るだけ寂しさが積もっていくような気がする。
「ねぇ荻原?」
「荻原ひろと」そうかかれている。
君はよく噂を流す人だったね。毎回毎回デマを聞くたび私はすぐ気づいたでしょう。でも良い噂ばかりだったね。
怖い話も好きだったね。真夜中の墓地に一人きり。君が好みそうなシュチュエーションだね。
君の香水の香りは今にも想像できる。
でもね、人は何よりも先に匂いを忘れていくんだって。
定期的に嗅がないと忘れちゃうんだって。
私、忘れちゃうのかな。君の匂い。
あのブランドの香水じゃない。
君があのブランドの香水をつけて、笑顔じゃないと、だめだ。だめだよ。雰囲気を、空気をも忘れたらもう見た目しか思い出せないじゃないか。
白昼夢だったと、夢だったと思ってしまうじゃないか。
こんなの駄目だ。無理だ。私にはやっていけない。
君が必要だよ。何で居ないんだよ。もう2度と会えないのかよ...!
どっちが死んでも会えない何でそんなの駄目だ。
何でこんな卑怯なんだ!
私も、君も、何もやってないじゃないか。
何もせず、ただ商売をしただけだ!ただ生きる為に必死になっただけだ!なのに、生きる為に生きていたのに
何で死んだんだ!何で人は死ぬんだよ!
何で神様はこんな事するんだよ!
畜生。何で..。
オリンピックの選手も負けたら悔しい。悔しすぎて潰れそうになる。でもそれを原動力に努力し、勝つ事ができる。
大体の悔しさは努力で埋める事ができるんだ。
悔しいという事は、自分が弱いという事だから。
でも、死は別だ。どれだけ抵抗して拒絶しようが絶対に死ぬ。どれだけ理不尽でもこれに逆らうことはできない。それは私たちが生まれる変わりに与えられた約束だ。
この足枷を背負ってなお、人類は命を受け継いできた。
急に目尻が熱くなって私の目から涙が出た。こんなのってない。
感情が極限にまで限界が迫ってきたのだ。
私、もう君と同い年だよ、なに泣いてるんだろうね。
因みに背も抜いたよ。業績も貯金も全部君を上回ったよ。なのに、私はちっとも嬉しくない。
ーーーーーーー
荻原ひろ「と」です。
私は中学校に上がるまで
まさか朝になると花咲くから「アサガオ」という名前が付けられているということを知らなかった。
それを知った時はかなり感動した。朝になると顔を出すこんなに綺麗な花。だからこんなに人気なんだ。と思った。
実はそれまで私は学校への行き渋りが激しかった。
朝は酷く、お腹が実際にとても痛くて起き上がれないほどだった。でも休むことを学校に伝えたと言われると、その症状は次第に引いてゆき、私自身も不思議に思った。
けれども両親は当然のことながら
その腹痛を仮病だと疑っていて、常に探りを入れられ何処か動物のような扱いを受けて辛かったのを覚えている。
朝皆んなで投稿する班にはA子ちゃんという苦手ない子がいて、いつもその子が中心になって全員で私を無視した。
だから私は絶対に登校班の人には会いたくなかった。
大人の前でもバレずに無視してくるのだ。もしプライベートで登校班に来ないことを踏まえると何をされるか分からなかった。
登校班のみんなからそんな嫌がらせを受けているなんて親に言えず、私はただ登校班にはいきたくないと言った。
母親は私のことを、歩きたくない怠け者だと思ってため息をつき無視した。
家でも登校班でも無視される私はドンドン気が滅入って行き、生死について考えるようにまでなってしまった。
それでも尚、班の皆んなの事は言えなかったのだ。
そして、それから三年が経過する頃。
私は学校に通えるようになっていた。ただし、親に学校まで送ってもらうか、少し遅れて別室投稿にしてもらうかだった。そして週一で休んでいた。
かなり安定してきていた。私はもう登校班に行ってみても良い気がした。でもそんな勇気は湧かなかった。
マイペースに一人で登校する中、私はアサガオのある植木鉢を見た。
早朝、雨が降っていたのか雫が滲んでいてそれには薄い色で着色された私が写っていた。
私は何故か悲しくなった。儚いという言葉はその年じゃ浮かんで来なかった。
ただ悲しい、寂しいという感情が目一杯溢れ出してきて私を支配した。ランドセルを水溜りに放り投げてどこかに逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。
拒絶とは少し違う。憂鬱とは何か足りない。
その感情は、私不安にさせた。私はアサガオを見たっきり動けなくなった。
やるべき事と自分の気持ちが違って辛かった。
その二つの行動の真ん中が迷いだとするとずっとそこから私は動けなくなった。
例えば、
パーしか出せない人と
グーとパーしか出せない人が二人でじゃんけんして
負けた人は殺されるっていうルールだとしたら
一人はパーしか出せないからパーを出し続けて、
もう一人はパーとグーを出せるけど、グーを出したら殺されちゃうからずっとパーを出し続けてるような
想像するだけで肺が燃えそうな空気をずっと吸い続けているような感覚だった。
そんな時、アサガオに水が降ってきた。
雨じゃない。水のでどころ辿るとどうやらお婆さんがホースで水やりをしているようだった。
私はその行動が嫌がらせとしか思えない心になっていた。
私は何歩か移動して少ししゃがんで楽になりたいと思った。何故か吐き気がした。けれども吐く様子はなく疼く事もなかった。
お婆さんはそれで初めて声を上げた。意外にもとても優しい声だった。
「お嬢さん、どうしたんだい?学校は?」
私は文末に付け加えられた学校という文字に浮遊感のようなものを感じた。
私が言葉に詰まっているとそれを察してかお婆さんはアサガオに話題を転換した。
「このアサガオはね、孫から貰った種を植えて、種子をとって、を繰り返して何十年も咲いてきた朝顔なんだよ」
「私はアサガオが好きだよ。朝になればそれを元気に知らせてくれる朝顔は、なんだかとっても元気をくれてね。これは孫だと思って育てているよ。」
私は何故か分からなかったが、その声に酷く感動させられた。それと同時にこの人の孫を羨ましく思った。こんなに素敵なお婆さんの孫だなんて、
私はさっきまで何で悩んでいたか忘れた。
これは過去からきたんだ。この土の匂い、反射した私、伸びたツルは色づき、もうモノクロでは無くなっていた。
私はこんな何の変哲もないただの日常の片隅にこんな美しいものがあってたまるかと思った。
そして、このお婆さんの愛情と、お母さんを挟んで孫を通して今にまで形に残っているのが素敵だった。
それから私は毎日そこへ寄った。日に日にそのお婆さんとも仲良くなって、たくさん話すようになった。
もう孫さんは居ない事や、夫は仕事でいつも寂しいことなども教えてくれた。
私を、あの「朝顔」のように可愛がってくれた。
大人の私も元気に生きている。
通勤時、庭にある朝顔をみて思い出す。あの憎さ、悲しみあっての私だ。
お題→「花咲いて」
今欲しい物
それは直ぐに思い浮かんだ。私は文章力が欲しい。
と言うのも、私達の学校は夏休みに入り、大量の課題が出された訳だ。その中に読書感想文もある。
言うまでもなく私は読書感想文という壁の前で突っ伏している。
少しは頑張ってみるのだか、修正するところが出てくるわ出てくるわ。
それに、感想と言っても書く言葉が思い浮かばない。
何故この本にしたんだろう、小言を言いつつ不貞寝するため、小さいライトの横でこの文字を打っている。
私特有の繋げすぎた文字と言うだろうか。
ただしい言葉の置き方を知らないのにも関わらず長々と中々終わらない文章。
もし私に文章力があれば綺麗に置けていけるのだろうか。この世の誰にも無理な気がするがな。
でも、私の身近にはそれを成し遂げる輩が大勢いる訳で、蝉の鳴き声で眠れないとこの時間まで起きている私とは無縁な訳だ。
明日からは綺麗に繋げる練習をして新しい本を選ぶ。
私の名前は非常に簡単な文字だけで構成されていて、小学一年生でも習った漢字でかける。
しかも名前は平仮名だから、色んな人に覚えてもらいやすいし、テストもタイムロスにならないから助かっていた。でも、私もたまに考えるんだけど、私の名前の由来ってなんだろう。
私の下の名前は「ゆう」響もなかなか良いし、困ってない。
そして私は昨日聞いてみた。晩御飯の私が作った麻婆豆腐を食べながら、私の名前の由来はなに?と聞いてみた。平仮名だから分かりにくい。勇とも優ともかんじる。
お母さんは答えた。夕方に生まれたからゆう。そのまま過ぎて泣いた。前授業で由来を聞いてくるようにと言われた時、聞きそびれて一人だけ由来言えなかったけど、それでよかった。こんなんじゃ馬鹿にされる。
私はひどいと思いながらも、お姉ちゃんの名前の由来を聞いてみた。お姉ちゃんは極極普通の由来だった。
私は辛くなった。私は末っ子だからお母さんも名前つけるのがめんどくさくなって、適当につけたんだ。
私が生まれて良いことってなかったんだ。
そう思った時だった。お母さんは私を見て察したように言った。
「ただの夕方じゃなくてね、あなたが生まれた時、私が人生で見た夕日の中で、断トツで綺麗だったのよ。夕陽にさらされた貴方は薄い皮膚が透けて、小さい血管が巡っていて、とても感動したわ。その時私とお父さんは貴方を絶対に幸せにするって決めたのよ。」
「だから「ゆう」あの夕日のような世界一綺麗で、静かなのに存在感のある光った子になって欲しいっていう想いが込められているのよ。でも、もし貴方がこの名前が嫌だって思ったなら、ごめんなさい。貴方がどう思うのかもしっかり考えた方がよかったかもしれないね。」
私はそれを聞いて危うく泣きそうになった。目尻が熱くなってあと何秒かその場にいたら声をあげて泣き出してしまったと思う。
それから私は自分の名前に誇りを持つようになった。
変なやつに揶揄われても気にしなかった。ゆうと呼ばれるたび自信をもって手を挙げた。
お題「私の名前」
A「ねぇねぇ、人間失格の序盤ら辺にある、「例えば私が10の不幸の悪球を持っていたとして、隣人にひとつあげると隣人耐えがたくなるのではないか」
みたいな文あるでしょ?」
「あー、なんかあるね」
A「あれってマジで凄い文だと思わない?」
「え?どこが?全然分からない」
A「だって人が思ってる事を最も簡単に文章にしてるんだよ?しかも、めっちゃ昔の人だし私そこで感動しちゃったよー」
「そう?共感できんな」
A「もっかい読んでみ?」
「うーんまた今度ねー」
「人間失格といえば最後あれどうなったの?」
A「多分いっさいの事は過ぎていきます、みたいなこと書いてたから、だいぶ時間経ってるんじゃない?最後精神病院に入院させられた主人公はそこで初めて気づくんでしょ。自分は世間からすると人間失格の廃人なんだって。クズみたいなヒラメや行商人よりも、ずっと人の機嫌を伺って自分を捨てて戯けてた人間がいちばんの廃人だって」
「あー、人間らしさと人間失格とかそう言う事?」
A「多分ね。知らんけど」
「合ってるも合ってないもないでしょ」
A「アンタはなんか好きな場面とかないの?」
「堀木と罪のアントを考えていた部分で「悪と罪は違うのかい?」って堀木が主人公に尋ねるシーンがあったでしょ?それに主人公はこう答えた。」
A「違うと思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ。」
「知ってんじゃん」
A「ここも好き」
「私もこれ読んだ瞬間折って印つけちゃったもん」
A「ふふっ。本当凄いよね〜。私竹一好きだな」
「え、私も、ヨシ子だっけ?めっちゃ素直なタバコ屋さんの」
A「多分そう。その子もいいよね」
「それなー」
A「ずっと残り続けるんだろうね。」
人間失格について話しても共感するとは言ってなかった。
私は人間失格を読んだ後凄い感動したけど、なんでした感動したのが分からなかった。
でも大体の人は感動してるのだって割り切って寝た。
でも何年か経った後、授業で人間失格をやっても皆んな感動するどころかしっかり読んでもいなかった。
これをみて感動するひとは殆どなのに皆んなダルそうにしてた。
もしかして、皆んな本当は感動し共感していて、
でもそんなのみんなに見せたら変なやつだと思われる。 だから葉蔵に言わせれば皆んな戯けているのでは?
感動して真摯に作品についての感想を共有する事はいい事だと思っていたけど、皆んなは違うのかな。
私だけなのかな?
思春期特有の感情なのかな。でも私はその感情がない。
高校生だけど一回も経験した覚えはない。私が異常に思えてきた。
でも、葉蔵に比べれば可愛いものか。
「お題.私だけ」