『最後の言葉』
少し荒れた部屋に分厚い布団が置かれていた。女が息を切らしながらその部屋の扉を開けた時、オレンジ色の光に照らされて横になっている男は眠ってしまった。
母によると、東京に出張中だった母に体調が悪いという連絡が本人から来ていた。何度か目の連絡の時にこれは本当にまずいと胸がざわついた母は仕事をやめて急いで帰宅した。扉を開けた時、母も父も何かを言おうと口を開いたが、何も言えぬまますぐに父は亡くなってしまった。何故か片方の鼻には画鋲が詰まっていたらしい。
それでは、喪主のかなえ様よりご挨拶お願いします。
「はい。」
葬儀場はザワついていた。
「皆さま、少しお静かにお願いします。」
母と私と、セレモニースタッフが、声をかけた。葬儀には、親族9名と若い20台の男が8人ほど出席していた。若い男たちはわざとらしい相槌やリアクションをとっていて、それがより悲しかった。
「父はとても明るくて、優しい人でした。」
そう話すと、親族は小さく頷いた。
「誰にでも気さくで、冗談を言うのも好きな人でした。忘れないであげて欲しいです。ふとした時にでも、そういえばあんなに明るい人がいたなぁと思い出して欲しいです。私も、1日も忘れることはないと思います。」
男たちは静かになって話を聞いていた。
この男たちはきっと親戚が雇ってくれたのだと思った。参拝者が少なかったことを私たちに隠そうとしてくれたのだろう。
その後、みんなで夕食をとることになり、お店に移動した。メニューが多くて迷った時に、ふと思った。画鋲が鼻に入っていたのは、息が苦しかった父がどうにかしようとして入れたのではないかと。母も納得してくれた。迷っている私のそばに父がいるような気がした。子供の頃一緒に外食していた時に私が頼んでいたハンバーグを頼もうと言葉にした時、なみだがあふれてとまらなくなった。
「もっと父の顔を見ておけばよかった。父を探しに行きたい。」
そう泣き出した私に、「探したいなら探しに行けばいいじゃない。」と、母は言った。
「でももう父はいないじゃない!喧嘩してたのに、これじゃもう仲直りもできないじゃん!」
そう言って私はみんなの元を少し離れうずくまって泣いてしまった。
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テーマ: なし
『ふたりコンサート』
静かな空間に、ピアノの音が聞こえた。それは、一音だけ。たったそれだけだった。
「葵、準備できてる?」
「ん〜…一応は。」
葵は私の幼なじみだ。いつもは整っている黒髪に寝癖がつき、目元は少し腫れているようだった。
「何だか眠たそうだね。もしかして、緊張であまり寝れなかった?」
「……うん。そうなんだ。」
「そうだよね。コンサートだもんね!たくさん練習してたし、緊張しちゃうよね。ほーら、肩の力抜いて!あ、見て!今日は葵の好きなプリンを買ってきたんだ!一緒に食べよ?」
「うん、ありがとう。」
「はい、スプーン!」
「ありがとう。」
葵のために買ってきたプリンは、朝日に照らされて、キラキラと光っていた。
「ん〜!やっぱりこれ美味しいね!」
「う、うん」
「葵、あとでドレスも着ないとね!髪も整えて、メイクもしてあげる!大丈夫!こういうのは私に任せてくれればいいから!あ、そういえば、パンも買ってきたんだよね!ん〜どれがいいかなぁ――」
「ねぇ、晴香。あの約束覚えてる?」
「……うん。もちろん覚えてるよ。今日のコンサートが終わったら、私は……。私ね、葵に出会えてほんと良かった!葵の手も葵の髪も葵の声も、葵のピアノも。全部、ぜーんぶ、大好きなんだ!」
私は少し照れながらそう言った。
「晴香。私も……。」
葵は今にも泣き出しそうだった。私はその顔に手を伸ばそうとした。けれど、
「晴香、もう、行かないとね。」
そう言って、葵は悲しそうな顔で席を立った。
コンサート会場はとても小さく、大きなグランドピアノがより一層それを際立てた。葵の演奏するところがよく見えそうな真ん中の席に座り、彼女が出てくるのを静かに待った。
もうとっくにコンサートは始まっているのに、葵はなかなか出てこなかった。10分ほど経った頃、黒いドレスを身にまとった彼女が、少し俯きながらゆっくりと登場した。ピアノの前まで歩みを進めた後、しばらくの間、私の顔をじっと見つめる彼女に私は、大きく頷きながら微笑んだ。
彼女は深いお辞儀をして、何も言わずにピアノの前に座った。ピアノに手を置き、じっと手元を見つめる彼女を私は、また静かに待った。突然、ピアノの音が響いた。それは、たった一音だけだった。
低いその音が静かに消えた時、彼女は声を上げて泣き出した。大粒の涙を流す彼女をじっと見つめた。葵なら大丈夫、必ず自分の力で最後まで演奏することが出来る。そう信じて、震える肩に手を伸ばしたい気持ちを堪えていた。
葵はしばらく泣いたあと、今度は力強い顔で前を向き鍵盤に手を置いた。いよいよ始まる。呼吸をするのも忘れて彼女を見つめた。
低いピアノの音がゆっくりと紡がれる。どこか悲しいような、重苦しい音だった。私が葵のコンサート来たのは初めてだ。身体の弱い私は、ほとんどの時間、病院を出ることが出来なかった。次第にピアノの音が大きくなる。美しく、何かを語り掛けているかような、そんな音色だった。
オレンジ色の光が葵とピアノを照らす。時が止まったのかと思うほど、穏やかな優しい空気が流れた。
葵と出会った日のことや、葵が私に美味しいからとよくプリンを買ってきてくれたことを思い出した。彼女はもう泣かなかった。涙を堪えながらも、一生懸命に弾く姿は、とても力強かった。
また、低い音に戻った。その音が、もうすぐ演奏が終わることを伝えていた。徐々に大きく煌びやかな音に変わり、その音は、彼女の美しい未来を想像させると同時に、私たちの別れも知らせていた。
音が小さくなり、約8分間にも及ぶ演奏は終わりを告げる。葵が立ち上がり私の方を向いた。葵はにこやかな顔をしていた。深いお辞儀をして、舞台袖に歩みを進める。わたしは
「葵!!」
そう叫んだ。けれどその声は、葵には届かなかった。
これで最後なのだと寂しかったけれど、最後に、彼女の演奏を聴くことが出来て本当に嬉しかった。
「葵、ありがとう。大好きだよ―――」
会場にはもう誰も居なかった。大きなグランドピアノが静かに佇み、誰かに弾かれるのを今か今かと待っていた。
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テーマ『君の奏でる音楽』
『白い服』
ぴょんぴょんぴょん。まっ白な体に大きなお耳。ゆったりと垂れたグレーのお耳は走る度にぴょんぴょん跳ねる。
「風も気持ち良くて、走るのにぴったり!」
その大きなお耳を持つ彼女は、今日も大好きなお花畑の中を元気に駆けていた。
するとそこに、あまり見慣れぬものが落ちていた。優しいベージュに大きな真っ黒のリボンが付いたそれは、お花畑の片隅に、けれど、妙に目立って落ちていた。
「これはきっと、あの人間のものだわ!」
彼女は何度か黒い服の人間を見かけていた。ここに人が来ることはとても珍しいのに、最近は黒い服の人間達が来るようになった。一人帽子の人間は、お花を踏まないようにとゆっくりと歩いた。彼女を見つけた時も、他の人とは違い、優しく穏やかに微笑んだ。
「またあの人が来たら、ここに君の帽子が落ちているって教えてあげよう」
それから彼女は毎日お花畑で彼が来るのを待っていた。
季節は移ろい、少し肌寒くなった。
「あの人はもう来ないのかしら。」
冬になれば、その帽子も雪で埋もれてしまうだろうと彼女は少し寂しく思った。
その時、遠くに白い服を着た人間が見えた。服装は違ったけれど、すぐに彼女は駆け寄った。人間は彼女を見つけると優しく微笑み、
「久しぶり」
と、 そう言った。
彼女は嬉しくなって、人間の周りを元気に走り、そして、帽子のところまで駆けて見せた。人間も、ゆっくりと彼女の後に着いてきて、その帽子を見つけて驚いた。
「君は、これを僕に教えてくれたのかい?ありがとね。」
そう言うと、彼女の頭を優しく何度も撫でた。
また暖かい季節になった。あれから、人間は1人も来なかった。穏やかなお花畑には蜂や蝶が自由に飛びまわり、彼女も元気に駆けていた。
「また会えるといいな。」
そんなことを少し考えて、再び風を切るように軽やかに跳ねた。
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テーマ『麦わら帽子』
『深海スタンプ』
リリーは旅をしていた。白く美しい髪がどこまでも続く静かな世界になびいていた。リリーはいつも一人だった。他に人など、ここには居ないのだ。
当てなどなかった。どこに向かっているのかも、どこへ行きたいのかも気にとめず、この世界はリリーを導いていた。もうすぐ『終点』その事だけは分かっていた。
突然、リリーの体が大きく揺れた。髪がよりいっそうなびき、皮膚が引っ張られ、強い光が辺りを覆う。
その場所は、見たことがないような鮮やかな世界だった。リリーの髪が目立たないほどに、そこには色が溢れていた。相変わらず人などいなかった。ただそこには手紙があった。
得体の知れないものを掴んだのは、珍しかったからだ。白い手紙には深い海のスタンプが押されていた。
「リリー。長旅ご苦労さま。何も無い世界を泳ぐのは、寂しいものだったのか、楽しいものだったのか。今の僕にはさっぱり分からないけれど、君がこれを読んでくれていることがとても嬉しい。もうすぐ逢えるよ。そうしたら、君を思い切り抱きしめて、もう二度と、その手を離したりしないんだ。」
不思議と必死な字だと思った。その文字を指で丁寧になぞって思いを馳せていると、リリーの体を暖かい白い光が包み込み、リリーはこの世界から消えたのだった。
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テーマ『終点』