一日一枚書いたんです。実はね。「なんのため」って、
聞かれたら困るけど、だけど大体タイトルは『愛』なのです。そんな世界つまんないよ。
見えるものが変わっても地図はね、赤いピンを取らないもんなのです。「信じたい」って気持ちが解なら悩む必要はわかんないよ。
右左して渡る交差点、規律遵守が即ち『愛』なのです。「正しく在りたい!」って、「理性!」って、叫ぶ獣欲と生きる道。
昔あったものが今もあるとは限らないけれど…、あったほうがいいのかもわからない、よね?
「言い訳みたいに聞こえるよ。」って嫌がってたのをなんか覚えてるな。顔向けできる人ばかりと会ってきていないし。世界の楽しいもの全部を楽しみつくせるわけじゃないから寂しいね。
連絡返してよって文字を通知で読んだけど、返すのには気合がいるからあんまりそういうふうにはできなかった。会っていないから合いたくないし。そんなに後悔だって、 たぶん、しない。
君は今何をしてるのか、まさか知りたいわけじゃない。今になったらもうわからないね。って、言う日を待ってるような気がする。
「隣の席の子とは席が変わったら話さなくなるみたいに、運命とか巡り合わせみたいなものがあって、逆らうのは無粋なような気がするよ。」
なんてことを言いながらお気に入りの靴ばかり履いているから、すぐに履き潰してしまう。何年を一緒に過ごすことはなくて通り過ぎていくものばかりだ。その中で積もっていくものがある。流れていく川の中で、底に溜まっていく砂みたいに微かに。
「一人になったらどうするの」
たぶん、毎日に寂しさが足りない。このくらいが好き、は言わなくたって持っているし。世界に呑み込まれていく感じで、お腹の中で揉まれているのは息苦しくていけない。手と手を取りあうのは近すぎていて好きじゃないから、愛しさのつもりで足を引いた。
ショッピングモールの中は穏やかな音楽が流れていて、映画館みたいだね、映画館、苦手だから、覚えていないくせに考えてみる。刺々しい気持ちにはあんまりなりたくないし、凪いだまんまでたまに喜びの波を乗り越えるようなふうにやりたいな。
子どもたちが歩いているのはもう放課後だからかな。小さい頃好きだったものをいくつ覚えてる?ね、なかなかうまくいかないね。どうして生きてやろうかな。自意識に溺れてあとから恥じらいたくはないと思っていたけど、あれが本当だとしたらさ。
今更とは言うけれど、身長があと二十センチ伸びたらいいんだけど。それか、小さいときの気持ちをそのまんま思い出せたらいいのかもしれない。無謀なことばかり考えたって埒が明かないね。あんまり苦しくなりたくないし、あんまり醜くなりたくないし、なんにも変わらなくたって受け取り方次第だと思っている、つもりでは、ある。
物語は溢れる気持ちを描くけれど、とにかく手に入れたくないな。認めたくないから足元を見て歩いているの?見たことのあるものばかりでさみしいね。瓶から中身をこぼさないように、よく気を配ってやらなくちゃ。
作り上げた物語の向こう側に、世界の向こう側に、作り手にさえ見えていない世界がある。あの主人公の幼く丸い額に、ふくとした頬に口づけて、微笑む母の姿もあるのだろうか。
しあわせに、どうかしあわせにと願いながら読み進める紙片の毎秒毎秒に心の細胞が死んでいってしまう気がする。悲しいお話でなくても泣ける物語もあるけど、あんまり心を動かしてしまうと痛いから。
バッドエンドの主人公のあとにおおきく背伸びをして進み出す人がたくさんいるんだろうと思う。なんだかんだ大丈夫なんだろうと思いながら最後にふっと死んでしまう終わりに、キスを落としていっそ閉じようと思う。