ずっとあなたに向いていたのです。
お別れしてからもずっとずっと、
ほんとうにずっと、あなたに向いていたのです。
でもあなたはそうではなかったのです。
あなたはわたしと別れるまえからずっと
いろいろなひとに向いていたのです。
わたしは迷子になってしまったのです。
わたしが前を向いているのか、
それとも後ろを向いているのか、
それすらわからない場所で、
わたしは迷子になってしまったのです。
それでもわたしは、わたしの道を見つけたのです。
あなたによらずとも、わたしはわたしなのです。
正しいのか間違ってるのかなんて、
あなたのお陰でまったくもってわからなくなってしまったけれど、
わからないならば進んでみてしまえばよいのです。
わたしはもうあなたのことを振り返ることはないけれど、
きっとわたしはあなたに向いていたころのわたしを、
うらめしくもかわいいと思ってしまうのでしょう。
あなたのこころがいま誰に向いているのかなんて存じ上げませんが、
まごころを大切にできないあなたが、
迷子にならずに進むことができるように、
そう願うなんてことをわたしはいたしません。
あなたはこれまでもこれからもずっと、
ほんとうのまごころなどというあたたかさからは、
ずっとずっと、とおいところにいればいいと思うのです。
ずっとあなたに向いていたのです。
ほんとうにずっとあなたに向いていたのです。
でもいまはあなたではない人に、
わたしのまごころは向いているのです。
わたしはあなたによらずとも、
進むこともしあわせになることもできるのです。
この進むさきが正しいかなんてわからないけれど、
これからもあなたに向いていることが間違っているということは、
それだけは正しいとわかるのです。
さようなら、
ありがとう、
どうかこれからもあなたは、まごころに気づけないままのあなたでいてください。
僕が君とさいごに会ったあの日。
次は食べ歩きを満喫したい
ワークショップで手作り体験してみよう
いつどんなことをやってみようなんて
そんなことを話して未来を楽しみにしていた。
別れ際の君は今まで見たことないほど
それは楽しそうに綺麗に笑いながら
僕に「またね」と言って手を振ってくれた。
僕だけが今もその瞬間に取り残されている。
その「またね」がいつになるのかはわからない。
君は思い出以外のすべてを
まるで存在しなかったかのように準備していた。
あの日の「またね」が最期になったと知ったのは
その2日後だった。
この1年、あのとき君はどんな気持ちで僕と一緒にいてくれたのだろうかと考えていた。
君は誰にもなにも残してくれなかったから。
こんなにも「またね」という言葉が重苦しいものだなんて思いもしなかったんだ。
石鹸やシャンプーの泡を見ていると
ふわふわ もこもこ
やわらかくていいなって思うのです
サイダーやレモンスカッシュの泡を見ていると
しゅわしゅわ ぱちぱち
爽やかで元気だなって思うのです
水面に浮かぶ泡を見ていると
ぷちぷち ゆらゆら
儚くてすこし寂しいなと思うのです
私が泡になれたとしたら
どんな泡になれるのでしょう
私の泡を見た誰かは
どんなことを思ってくれるのでしょう
私も誰かの心のなかに溶け込める
泡になりたいなと思うのです
またあなたを思い出す季節になりました。
あなたもわたしも、
暑さや空の青さも真っ盛りの夏の同じ日に生まれて
お互いに不思議な巡り合わせを感じたのは、
もう遠い日になりましたね。
あなたと過ごした日々は瞬きをする程度の期間でしたが、
わたしの人生のなかではまだまだ「初めて」をたくさん経験していた年頃。
いろいろな経験が増えて何年経っても、
わたしは夏になるといつも思い出すのです。
記憶の中のあなたとのわずかな日々にいつも回帰するのです。
静かで穏やかに過ぎてゆく君との時間は
誰と過ごした、どの時間よりも
僕にとって心安らぐものである。
君と僕はほとんどの時間を無言で過ごすけれど、
それでも無音の空間ではないのだ。
君と僕の呼吸。
時を刻む針。
身じろぎしたときの衣擦れ。
君と僕が好きなソーダ水の弾ける炭酸。
君と僕の生活の中には音が溢れている。
会話は少なくとも、
2人の時が共に進んでいくことを、
音が教えてくれている。
僕だけが知っている君を眺めながら
そんなことを考え込んでいたら
ソーダ水を入れたグラスが水滴を垂らしていたので、
思っていたよりも時間が過ぎていたことに驚き、
思わずぬるくなったソーダ水を、
ひと息に飲み干してしまった。