色とりどりの約束
春の終わり、雨上がりの商店街に、小さな絵具屋「虹ノ屋」がひっそりと開いていた。
店主の老人・篠原は、今日も店先に古びた木箱を置く。箱にはこう書かれている。
「好きな色をひとつ。あなたの願いを、ひとつだけ叶えます。」
中には、色とりどりの小瓶が並んでいた。
赤、青、黄、緑、紫、金、銀――見たこともない色まである。
その日、店に入ってきたのは高校生の少女・美咲だった。
彼女は迷いなく、箱の中の**「灰色」**の瓶を手に取った。
「珍しい色を選ぶね」
篠原が静かに言う。
「私の毎日、ずっと灰色なんです。
だから、この色が何かを変えてくれるなら…って」
篠原はうなずき、瓶をそっと渡した。
「この色は“影”の色だ。
影があるから光が見える。
願いを叶えるのは色じゃなくて、君がその影をどう使うかだよ」
美咲は瓶を持ち帰り、机の上に置いた。
蓋を開けると、灰色の光がふわりと立ちのぼり、部屋の壁に吸い込まれていく。
次の瞬間、壁に映ったのは――
彼女自身の影が、勝手に動き出す姿だった。
影は、彼女がずっとやりたかったことを次々とやってみせた。
絵を描く。
歌う。
走る。
笑う。
「…私、こんなふうに生きたかったんだ」
影は振り返り、手を差し伸べる。
美咲はその手を取った。
その瞬間、影は色を帯び始めた。
灰色から、淡い桃色へ。
桃色から、鮮やかな青へ。
青から、きらめく金色へ。
影は言葉もなく、ただ美咲の胸の奥にすっと溶け込んだ。
翌朝、美咲は鏡の前で気づく。
自分の瞳が、ほんの少しだけ色づいていることに。
「影が、私の中に戻ってきたんだ…」
その日から、美咲の世界は少しずつ色を取り戻していった。
勇気を出して絵を描き、歌い、笑い、走る。
昨日まで灰色だった日々が、少しずつ、色とりどりに変わっていく。
そして美咲は思う。
「色をくれたのは、あの瓶じゃない。
影を受け入れた私自身なんだ」
商店街の片隅で、虹ノ屋の老人は今日も木箱を並べている。
色とりどりの瓶は、静かに光を放ちながら、次の誰かを待っていた。
お題#色とりどり
#灯火を囲んで
夜の帳が降りる頃、山間の小さな集落にぽつりぽつりと灯がともる。風に揺れる提灯の明かりが、まるで人々の記憶を呼び覚ますように、柔らかく地面を照らしていた。
その夜、村の広場には十数人の人々が集まっていた。囲炉裏を囲み、火を見つめながら、誰もが静かに語り始める。語るのは、過ぎ去った季節のこと、失われた人のこと、そして、これから迎える冬のこと。
「この火を見ると、母さんを思い出すんだよ」と、年老いた男がぽつりと呟いた。
「私も。父がよく言ってた。火は人の心を映すって」
火は、誰の言葉にも反論せず、ただ揺れていた。まるで、すべてを受け入れるように。
その中に、一人の少女がいた。彼女は村に越してきたばかりで、誰の顔にもまだ馴染みがなかった。けれど、火を囲んで語られる物語に耳を傾けるうちに、少しずつ心がほどけていくのを感じていた。
「ねえ、火って、どうしてこんなにあったかいの?」
少女の問いに、誰もが少し驚いたように顔を上げた。そして、誰かが答えた。
「それはね、人の想いがこもってるからさ。火は、ただ燃えてるだけじゃない。誰かの祈りや、願いが、そこにあるんだよ」
その言葉に、少女はそっと手を伸ばし、火のぬくもりを感じた。
灯火を囲んで、人は語り、繋がり、そして癒される。
それは、古くから続く、静かな奇跡だった。
#冬支度
白い息の向こうに
十一月の終わり、北風が町の角を鋭く曲がる頃、佐和子は古びた実家の縁側に座っていた。
庭の柿の木はすっかり葉を落とし、枝先に残った実が、まるで名残惜しそうに空を見上げている。
「今年も、冬が来るね」
独り言のように呟いた声が、白い息となって空に溶けた。
佐和子は三年ぶりにこの家へ戻ってきた。東京での生活に疲れ、母の遺した家を片付ける名目で、少しだけ現実から逃げたかったのだ。
押し入れの奥から出てきたのは、母が毎年使っていた炬燵布団。
干して、叩いて、陽の匂いを吸わせて――冬支度の一つひとつが、記憶を呼び起こす。
「佐和子、炬燵の電源はまだ入れちゃだめよ。寒さに慣れないと、冬を越せないから」
そう言って笑った母の顔が、ふと浮かぶ。
その夜、炬燵に足を入れ、みかんを剥きながら、佐和子は静かに涙をこぼした。
都会の喧騒では聞こえなかった風の音、薪のはぜる音、そして心の奥に残っていた母の声。
冬支度とは、ただ寒さに備えることではない。
心の隙間を、少しずつ埋めていく儀式なのかもしれない。
翌朝、佐和子は庭に出て、柿の実を一つ摘んだ。
甘さと渋さが混じるその味に、母のぬくもりを感じた。
そして、決めた。
この家で、もう一度、春を迎えてみようと。
#時を止めて
時を止めた街
第一章:時計屋の少年
街の片隅に、誰も気づかないような古びた時計屋があった。
店主はまだ十七の少年。名前はユウ。彼は祖父から受け継いだこの店で、毎日黙々と時計を修理していた。
ある日、店の奥に眠っていた一つの懐中時計が、突然音を立てて動き出した。
それは、祖父が生前「絶対に触れてはならない」と言っていた時計だった。
ユウは吸い寄せられるようにその時計を手に取る。
針が12時を指した瞬間、世界が静止した。
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第二章:止まった世界
外に出ると、すべてが止まっていた。
風も、鳥も、人も、時間さえも。
ユウは歩いた。誰にも邪魔されず、誰にも気づかれず。
止まった世界は美しく、儚く、そしてどこか寂しかった。
彼は気づく。
この時計は「願いを叶える代わりに、世界を止める」ものなのだと。
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第三章:少女の声
止まった世界の中で、ただ一人動いている少女がいた。
彼女はユウに言った。
「あなたも願ったのね。時を止めたいって」
「…君も?」
「私は、最後の瞬間を永遠に閉じ込めたかったの」
彼女の名前はミナ。
彼女は事故で亡くなった弟と過ごした最後の一日を、永遠に繰り返していた。
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第四章:選択
ユウは悩んだ。
このまま時を止めていれば、誰も傷つかない。悲しみも、別れも、来ない。
でも、それは「生きること」をやめることでもあった。
ミナは微笑んだ。
「私はもう十分。あなたは、進んで」
ユウは時計を見つめ、そっと針を動かした。
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最終章:再び動き出す世界
風が吹いた。鳥が鳴いた。人々が動き出した。
ユウは時計屋に戻り、懐中時計をそっと棚にしまった。
ミナの姿はもうなかった。
でも、彼女の言葉はユウの胸に残っていた。
「止めた時間の中で、あなたは本当の願いを見つけたのね」
ユウは微笑み、今日も時計を修理する。
時は止まらない。だからこそ、尊い。
#キンモクセイ
キンモクセイの約束
駅前の並木道に、今年もキンモクセイが香り始めた。
橙色の小さな花が風に揺れるたび、あの日の記憶が蘇る。高校の帰り道、彼女はいつもキンモクセイの木の下で待っていた。制服のリボンを少し緩めて、風に髪をなびかせながら。
「この香り、好きなんだよね。なんか、秋が来たって感じがする」
そう言って笑った彼女の横顔が、今でも忘れられない。
卒業の日、彼女は突然転校することになった。理由は聞けなかった。ただ、最後にキンモクセイの木の下で会ったとき、彼女は小さな瓶を手渡してくれた。
「これ、キンモクセイの香水。来年もこの季節になったら、ここで待ってるから」
それから何年も、秋になるたびに僕はその場所に通った。けれど彼女は現れなかった。
今年もまた、キンモクセイが香る。瓶の香水はもう使い切ってしまったけれど、香りだけは記憶の中で鮮やかに残っている。
ふと、並木道の向こうに人影が見えた。風に揺れる髪、懐かしいリボン。
「…待たせちゃったね」
彼女は微笑んだ。キンモクセイの香りが、ふたりの間をそっと包み込んだ。