私の彼氏が気持ち悪い。
「一度は引き離された俺たちも、たった一日という短い、しかし長い期間を過ごすことが赦されたわけだ。これを幸運と言わずしてなんと言う?」
「偶然」
「やはりオレたちは運命の赤い糸というもので繋がれているに違いないんだよ!」
「うわ、本当に気持ち悪い・・・」
運命の赤い糸。それは、所謂都市伝説といわれるもので、人の目には視えない細長い一筋の希望。その糸で結ばれたもの同士は、意図せずとも結ばれるのだと言う。そんな眉唾ものの噂を、彼は信じているというのか。信じて、それに縋っているのか。そんなものなどなくても、私たちは、もっと現実的なもので繋がっているのに。
「え、なに?」
「電話線」
「オレは声だけじゃなくて姿も見て話したいんだ!!」
「あ、そろそろ着るね。電話代嵩むといけないから」
待ってくれ、と叫ぶ彼氏に、私は容赦なく受話器を置いた。ガチャンッと大きな音が鳴る。毎晩毎晩、電話をするというのも、疲労が溜まるのだ。もちろん私だって、愛おしい彼と話すことが苦なわけではないのだけれど、それとこれとは話が別というわけで。
それに、
「もうすぐ会えるのだから」
充分じゃないか、と。
一週間後の今日という日に、赤く丸が付けられたカレンダーを見ながら微笑んだ。
晴れると良いな、貴方と逢うために。
小さい頃、愚直に信じていたもの。
両親。
友達。
赤色がトレードマークのヒーロー。
正義の味方。
それから、時が経って。
社会経験が出来る歳になって、色々なことを学んだ。
学校で習うことの大半は、社会に出たら通用しないこと。
正しいことを言っても、受け入れてもらえないこと。
私、私は。
ただ、自分の正義を信じているだけなのに。
子供の頃に憧れた、強きを挫き弱きを助ける、画面の前の正義のヒーロー。
「まだきみは子供だからね」
成人しているのに、大人の仲間として見られないらしい。子供だから。若いから。実力がないから。
・・・実力? 実力が、あればいいのか。
もっともっと、強くなって、私が一人で、悪者を倒すことが出来れば、あの人たちも、同級生も、大人たちも、私を認めてくれるのか。
なんだ。そんなに簡単なことだったなんて。
「気持ち悪い」
ひったくりをした男の人を捕まえて、後はお巡りさんに突き出すだけというところで、理不尽な罵倒を受けた私は、その人の背中を地面に押し付けながら、片腕を思い切り引っ張った。
「いたたたたた!!!!」
「なにがですか? どこがですか?」
「いてぇんっだって!!離せ!!!」
「・・・・・・逃げませんか?」
「はあ・・・っああ、そりゃ、もちろん」
信用ならなかったので、男の人を立たせると、彼の腕を後ろ手に組ませて拘束した。
「・・・・・・。あのさ、・・・まあ、どうでもいいんだけど、アンタ、毎度毎度なんでこんなことしているんだ? 正義感ってやつ?」
「貴方こそ、毎度毎度ご苦労なことですね」
どうせ私に捕まるのに。とは口に出さない。
実は、彼とはこれが初対面ではない。丁度一ヶ月前から週に一回、ここ可憐田町でお年寄りを狙ってひったくりを行っている。クソ野郎だ。
「毎回場所は変えているのに、目敏いもんだな、正義のヒーローってのは」
私は彼の言葉に、ぴくりと眉を動かした。
「正義のヒーロー・・・ですか」
「ん、違ったか? 髪も真っ赤で服もスカートも靴に至るまで赤に染めているから、てっきり憧れているのかと思ったんだけど。それとも、突撃されたいくらい牛が好きなのか?」
「牛が赤色に反応するというのは、赤っ恥の嘘っぱちです。ヒラヒラしたものに飛び付くというのが、正確な性質です」
「ふぅん。で、アンタが好きなのはどっち? 牛? それとも、正義のヒーロー?」
ピクッ、ピクピク。
ああ、また、まただ。
この人といると、腹の中がムカムカして仕方ない。だって、なんでまた、そんなにも人の心に土足で踏み入ってくるのか。彼には、社会経験というものが存在しないのだろうか。だから、他人との距離の測り方が分からないのだろうか。
「ねえ、どっち? それともどっちでもなくって―――ただ、社会貢献している自分に浸っているだけか?」
―――ああ、そうか。そうだったのか。
この人は、悪い人なんだ。
ずっと、気になっていた。ひったくりをする相手がお年寄りだというのは赦せないが、女性は狙わず、男性だけに限定していること。力関係では、私よりも彼の方が優勢のはずなのに、私に手を上げてこないこと。捕まって、諦めて、盗った物を返して、なのに変わらずにひったくりを繰り返していること。そして、言葉巧みに私を動揺させて、隙を付いた隙に逃げていくこと。
なにか、理由があるのではないかと思った。
ひょっとして、ひょっとすると、彼はいい人なのではないかと―――自分の正義を、貫いている人なのではないかと、そう思った。
それは、その考えは、まるっきりの間違いだったのだと、彼と対面して、四回目にやっと気がついた。
「貴方の脚、折ってでも連れていきます。お巡りさんのところに」
「・・・それは、困る。さっきの発言が気に障ったのだとしたら、撤回するよ。悪かったな。だから―――もし折るなら、右手にして」
あなたがいたから。
泣いているときも。
台風の夜も。
我慢していたときも。
虐められていたときも。
沢山助けてくれたね。
関係ないのに、首を突っ込んでくれて。
構ってくれて、ありがとね。
(―――正ヒロインの場合
(あなたのこと、大好きだよ!)
あんたがいたから!
泣いてないって言ってるのに!
台風なんて怖くないのに!
我慢なんてしてないのに!
イジメられてなんていないって!
助けなんていらないわよ!
関係ないじゃない、あんたには!
構わないでよ!
(―――ツンデレヒロインの場合
(あんたのことなんて、大っ嫌いなんだから!)
あたしがいたから。
涙が溢れたときに。
台風に怯える夜に。
我慢し過ぎたときに。
虐められたときに。
救けてくれた。
叶えてくれた、あたしが。あたしの代わりに。
肩代わりしてくれた。
(―――二重人格の少女の場合
(ありがとう、救ってくれて。)
百日紅落下は不思議な少女だった。
容姿端麗、文武両道。
誰にでも優しく、彼女の唇から紡がれる言葉を聞くと、柔らかなマシュマロのような穏やかな心地がした。
彼女は、初等部中等部高等部とまとまっている一貫性の、我が日捲り学園において、最も美しい小学五年生だった―――否、周囲の少女たちと比べるのも烏滸がましいくらい、完璧な美少女だった。
と、みんなは言っているが、これは全くのデタラメだと、僕は考えている。
彼女―――百日紅落下は、完璧な美少女だなんてとんでもない、ただの詐称者である。
完璧な美少女―――悪の存在が正義を創り出すといったように、落下は、周囲を蹴落とすことにより、相対的に自分の評価を上げているのだ。
それで。
それだけで、だから彼女は、完璧の皮を被っているだけの、罪人なのだ。
もちろん、僕はなんの根拠もなく、他人を罪人呼ばわりするほど悪人ではない。
根拠のない持論は、ただの妄想である。
僕の持っている確たる根拠・・・、それは、去年の夏頃に目の当たりにした事実だった(真偽を証明出来ない証言を根拠とするかどうかについては、各々で審議してもらいたい。少なくとも、僕が今することではない)。
夏休みが入ってまだ一週間も経っていない日曜日の昼過ぎ。昼食を食べ終わった僕は、子供らしく外で遊びなさいと言う母親の言葉に従って、小銭をポケットに突っ込んで家を出た(少し歩いた先にある公園の近くに、駄菓子屋があるのだ。公園で遊ぶよりも有意義に時間を使える)。
そして向かって、向かった先に、彼女は―――百日紅落下はいた。
一人だった。
一人で、駄菓子屋の店先にある、ガチャガチャの前に腰を下ろしていた。
そのときにはまだ僕は、周囲の凡人たちと同じように、彼女のことを完璧な美少女と信じて疑っていなかったので、一体何故こんなところに一人で―――しかも、『あの』ガチャガチャの前にいるのかと、訝しげに思った。
『あの』ガチャガチャ。
ここ可憐田町には、所謂七不思議というものが存在するのだが、駄菓子屋のガチャガチャは、七不思議の一つに入っている。
なんでも、ガチャガチャの中にたった一つ、シークレットとして悪魔が梱包されているのだとか。
そしてふと、僕は考える。もしや、彼女は、シークレットの存在を信じてここにいるのではないのか、と。
そう思うと、彼女に声かけようと踏み出した足も、思わず止まってしまうというものだった。
近くの鉄柱に姿を隠しながら、百日紅の姿を覗き見る。
しばらく、台の前でぼーっとしていたようだが、おもむろに立ち上がると、ポケットから取り出した百円を台に入れ、ガチャガチャを回し始めた。
ガラガラ、ゴトッ。
パカッ。
ガラガラ、ゴトッ。
パカッ。
回して、開けて、お目当てのものが入っていないことを確認すると、また回して、開けて・・・、そんな繰り返しだった。
ガラガラ、ゴトッ。
パカッ。
ガラガラ、ゴトッ。
パカッ。
「・・・・・・・・・・・・」
百日紅は、開いたそれを見ると静止した。
よく見れば、その口元は僅かに弧を描いていた。
「やった。やった・・・! また、出た!」
『また』出た。
小さく呟くように零された声に、僕は、今まで己が信じていた彼女のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく感覚をおぼえた。
開かれたそこからは、黒いモヤのようなものが湧き出てくる。
それは、煙のように上空に昇りながら、着々と人の姿を形作っていった。
悪魔だ。
と、僕は反射的に思った。
可憐田町の七不思議が一つ、駄菓子屋のガチャガチャ。
その噂は、どうやら確かな事実らしかった。
モヤが完全に人の姿をとると、百日紅はソレに向かって、弾むように言った。
「わたしの、わたし以外の子たちを、全員端女にしてほしいの。そうして、それから、加減法もまるで出来ないようなおばかさんにしてほしいわ。そうすれば、そうしたら、きっと、それで、ようやくわたしは―――完璧になれるの。だから―――」
恍惚としたその表情に、僕は考えるまでもなく、行動に移した。
初めてだったから。
こんなにも歪んだ性根を持っている、自分以外の人間に出会ったのは。
悪魔すらも自分の欲を満たす道具として使い、他人を蹴落とし自分の敷居を上げる―――そんなどうしようもない、人間と呼ぶには烏滸がましい罪人。
きっと、僕と彼女は仲良くなれる。
「なにをしてるの、アマト」
舌っ足らずな声変わり前の少女の声が、思考の海にとっぷりと沈んでいた僕の腕を引きずり上げた。
百日紅落下の手には、黒色のカプセルが収まっている。
「ああ、気にするなよ、落下。きみがどんなに愚かしく卑しい女なのかということを、改めて討論していただけなんだ、自分自身とで。そんなことより、それは悪魔だろ? 相変わらずきみは、運だけは良いんだね」
「・・・・・・・・・」
「そう睨むなよ。きみが、誰にもバレずに『完璧な美少女』でいられるのは、僕がきみの共犯者をやっているからじゃあないか」
「だれも頼んでいないのよ、そんなこと。わたしには悪魔さえついていれば、少なくとも、日捲り学園では一番の美少女になれるのだから」
悪魔の入っているカプセルを抱き締めるように、強く握りしめる彼女を、僕は憐れみの目で見つめる。
やはり、彼女も凡人の一人であることに変わりないらしい。
悪魔が無限の存在であるが故に、ガチャガチャでシークレットを当てれば何度でも願いを叶えてもらえると、そう本気で信じている。
その話自体、どこの誰が言ったかも分からない眉唾ものの話だ。
全くもって、理由価値がある。
純粋で、他人の意見を頭ごなしに信じることが出来る少女というものは。
「可哀想は可愛いと言うが、案外馬鹿に出来ない言葉だと思うよ。きみは可哀想だ。しかし、そんなところが可愛い。愛しているよ、落下」
「・・・・・・・・・わたしはあなたのことが、大嫌いよ」
はてさて。
愚かしくも愛おしい人間たちが、梱包された悪魔の瞳からはどう見えているのかは、神ならぬ、悪魔のみぞ知るところである―――。
グリモワール―――フランス語では一般的に、魔導書を表す言葉。
そんな、厨二心を擽られる書物に出会った俺は、未だかつてない焦燥感に駆り立てられていた。
部屋の中を漁れば、真偽が不確かな魔術の書や、怪しげな液体の入った小瓶や、髑髏をあしらった水晶などが山程出てくる俺という人間は、もちろん本物の魔導書というものに憧れを持っていたし、それがどんなに危険な道程になろうとも、いつか手に入れたいとさえ思っていた。
そんな俺がだ。どうして件の、憧れの人―――ならぬ、憧れの本に出会って、一体何故焦燥感を覚えるのだと、疑問に思う方は大勢いると思われる・・・、無理もない、先刻まで、魔導書をものにしたいとまで思っていた男がである。
しかしだ。
もしも、読者諸君の中に、魔導書や、その類のものに、少なからず憧れを持っている方がいたとしよう―――それを前提に、もし君たちにきょうだいがいると仮定して、そんな、姉ないし兄ないし妹ないし弟ないしetc・・・が、怪しげな言語で構成されている書籍を持っていたとしたら、一体どんな感慨になるだろうか?
因みに、俺はこう思った。
これはまずい、と。
・・・まあ、この際真偽のほどは置いておくとしよう。
これが仮に本物だとしても、偽物だとしても、俺の状況がまずいことに変わりはないのだから。
おそらく、きっと、いいや確実に、俺は殺される。
仮に。
君たちにきょうだいがいたとして、そのきょうだいにえらく甘やかされ溺愛されていたとしたら話は別だ。全く心配する必要性はない。今日の夜はなんの不安に取り憑かれることもなく、なんならぐっすりと眠って、疲れを癒すこと違いない。
しかし、だ。
俺のきょうだいは、一つ上の姉で、しかも俺は溺愛されてなんていないし、なんなら邪険に扱われていると言ってもいい。
この文だけを見れば、姉のいる読者諸君には薄々察してもらえるだろう―――察してほしい。
姉がガチの魔導書を扱うような、凡庸という言葉には欠片も当てはまらないような、所謂特別な人間だとしてみる。
その場合、俺はおそらく、口封じやらなんやらで殺される。理由がなくても多分殺される。
何故なら相手は、世にも恐ろしい魔術を駆使するのだから―――!
しかし、この想像が俺の杞憂だった場合でも、残念ながら、そうやすやすと息をつくことは出来ない―――姉と弟というものは、いつの時代場所限らず、姉の方に権力が集中するものなのだ。
そこから導き出される答え―――もし姉が、俺と同類なのだとしたら、俺はやっぱり殺されるに違いない。この場合だと、姉は俺の死体処理に面倒を被ることになるが、しかしその程度の苦労は、俺を抹殺することに比べれば容易いことであろう。
ていうか、俺が姉の立場だとしたら、自分の趣味なんて見られたら、窓から羽ばたきたくなるもんね。姉の場合、それが実の弟を殺すという行動に置き換わるだけ。
そう、それだけの話。
いやどんな話だよ。
というわけなので、うん・・・まあ。
殺されるのは真っ平ごめんなので、俺はさっさとトンズラこくことにするぜ!
元々、俺は姉の本を勝手に借りようと目論んで、姉の部屋に忍び込んだので、例の本を見つけようが見つけたいが、重症を負うことは必然的だからな!
それじゃあ読者御仁、アデュー!
―――ガチャ