「ねえ、俺とデートしない?」
「お待たせいたしました、ブレンドコーヒーです。注文は以上でよろしかったでしょうか? それではごゆっくりお過ごしください」
「きみの淹れてくれるコーヒーを、毎日飲みたいな」
「そのコーヒーは、うちのマスターが淹れたものです」
「きみは相変わらず冷めてるね」
「冷めないうちにコーヒーをお飲みください」
「全然会話にならない! 俺の言葉の一部を切り取ってそれっぽく返答してくる⋯⋯」
「なんだ、またやってんの?」
「あ、マスター。娘さんを、俺にくださいな!」
「別にいいよ。古くなったから、買い替えようと思ってたし」
「えマジで!? いよっし!」
「店内で大きな声を出すことはお控えください」
「ガールちゃん⋯⋯俺と、結婚してください!」
「なにを仰っているのかわかりません。俺と血痕にしてくなさいで検索しますか?」
「しないし言ってないよ、そんなこと!!」
「配膳用ロボットにプロポーズって⋯⋯なんで唯一の常連客があんなんになっちゃったのかねぇ⋯⋯」
―――パラレルワールド売り〼
そこは現実か幻か。
どこまでも続く白い部屋の中央には、重厚なテーブルと荘厳なチェアが置かれており、そこに一人、仮面を被った素性のわからぬ男が座っていた。
男はただ一言。
「パラレルワールド売ります」
パラレルワールド。
こことは少しだけちがう、もしもの世界。
あのとき、ああなっていれば。
と、そんな願いが叶ったかもしれない世界。
そんな世界なら、もしかすると。
生まれるのが、一日だけ早いかもしれないし
プリンを買ってきて、だなんて駄々を捏ねないかもしれないし
もう少し早く、気になるあの子に告白できていたかもしれないし
電車が遅れなかったかもしれないし
上司に反抗できていたかもしれない。
ああ、その世界はなんて、幸福に満ちていることでしょう。
「―――買います」
と、気づけば口が動いていた。
「毎度ありがとうございます。それでは―――貴方の世界との引き換えとさせていただきます」
ぐにゃりと視界が歪んだ。
そこは現実か幻か。
どこまでも続く白い部屋の中央には、重厚なテーブルと荘厳なチェアが置かれており、そこに一人、仮面を被った素性のわからぬ男が座っていた。
男はただ一言。
「パラレルワールド売ります」
パラレルワールド。
こことは少しだけちがう、もしもの世界。
あのとき、ああなっていれば。
と、そんな願いが叶ったかもしれない世界。
そんな世界なら、もしかすると。
生まれるのが、一日だけ早いかもしれないし
プリンを買ってきて、だなんて駄々を捏ねないかもしれないし
もう少し早く、気になるあの子に告白できていたかもしれないし
電車が遅れなかったかもしれないし
上司に反抗できていたかもしれない。
ああ、その世界はなんて、幸福に満ちていることでしょう。
―――けれど。
「私、猫を飼っているの。会社の帰り道に拾ったのだけれど、酷く弱っていたし、おまけに人間嫌いのようで、中々懐いてくれないの。―――けれどね、最近やっと、触らせてくれるようになったのよ。
だから、買わないわ」
「猫は、貴方より早く寿命がきてしまう。そうなれば、貴方はまた、独りになってしまわれます」
「そうね。もしそうなったら⋯⋯それは、またそのときに決めるわ」
「⋯⋯そうですか」
そうして、今夜は店じまいとなった。
そこは夢か幻か。
いつ開かれるかもわからぬ白い部屋。
次に開くのは、いつになるやら。
―――誰のところになるやら。
(パラレルワールドのパラレルワールドのパラレルワールドのパラレルワールドの⋯⋯⋯⋯)
アナログ時計を手に取り、絶望する。
テレビ画面には、アニメのキャラクターたちが和気あいあいと会話を繰り広げている。
そのテンションの差が、なんだかひどくチグハグに思えて、また絶望した。
八月三十一日の午後五時。アナログ時計で見れば、十七時〇〇分。
もう一時間も経てば、国民的アニメが始まって、より一層、明日から学校が始まることを痛感する。
ああ、痛い痛い。心が痛い。メンタルブレイク。
学校に好きな女の子がいればいいのに、あそこは私にとってとても残酷な世界で、魅力的な人なんて一人もいない。
ダイバーシティ。シティはシーではなくエスの方。日本語でいうと、多様性。
が、叫ばれている世の中ではあるが、実現できている人は、そう中々いないような気がする。少なくとも、私の周りにはいない。
男の子が好きになれたらいいのに。
リモコンを手に取り、ポチッと消点。
寝転ぶ。
夏休みがずーっと続けばいいのに。
ああ、でも。
エンドレスエイトは、ちょっと嫌だな。
「あんた、宿題はやったの?」
「⋯⋯⋯⋯」
やっぱり、エンドレスエイト希望で。
実は私は、泡を志望しているのであります。
と言うと、今朝から根気強く竿を垂らしている漁師然とした少年は、目をパチパチと瞬かせた。
「人魚姫のお話を知っていますか?」
「もちろん知っているさ」
「リトル・マーメイドの方ではありませんよ」
「アンデルセン童話の方ってことか。なら知らないな。確か終わりがちがうんだろう?」
ええ、ええ。
そうなのです。
みなさんご存知アリエルさん⋯⋯ではない『人魚姫』の方は、最後は泡になって、海に溶けていってしまうのです。
漁師然とした青年は、興味のなさそうな表情をして、プカプカと浮きを眺める。
「ここで問題です。デデンッ! なぜ人魚姫は泡になってしまったのか?」
「さあな。魔女の呪いじゃないのか?」
「ブッブー! ちがいます」
「なら、失恋したんだ。王子様に見初められなかった」
「多分ちがいます」
「は? 多分?」
「私、アンデルセン先生が書かれた『人魚姫』のお話を知らないのです」
そう言えば、漁師然とした中年は、憮然とした表情をこちらへ向けた。
「はあ、全く。お前は。知ったかぶりも程々にと教えたはずだろうに」
「申し訳ございません。つい」
ええ、ええ。
それでも私は、どうしても、貴方とお話をする口実がほしかったのでありました。
いつの間にか貴方は、私ではない別の女性を優先するようになりましたから。
漁師然とした老年の指には、銀色に輝くリングが付けられていた。
「どうしても、泡になりたいのです」
人魚姫さんがなぜ泡になってしまったのか、私は知りません。失恋なのかもしれせんし、もしかすると、もっと別の理由なのかも。
それでも私は、私の理由で、泡になりたいと、そう願うのです。
貴方を―――いえ、貴方を私の元から攫っていく女性を、呪ってしまいたくなどありませんから。
「だからどうか、早く」
私を泡にしてくださいな。
真実の愛。
といって一番に思いつくのはやはり、美女と野獣なのではないでしょうか。見た目が獰猛な獣であろうとも、美しい心根を携えている村娘には関係ないのです。獣の心優しき隠された姿を、見事に見通してしまうのです。
私は、小さな頃からこのお話が好きでした。とてもロマンチックで、女の子の憧れなのです。私も、真実の愛というものを手に入れたいと思っていました。ええ、過去形です。今はそんなふうには思えません。夢見る少女じゃいられない年頃になってしまったのです。
「おかあさん、いってきます」
今日も私は、お仕事に出掛けていきます。家業です。とはいっても、完璧に成功させた試しがありません。え? 完璧じゃなくていい? 貴方はお優しいひとですね。童話の中に登場する野獣のようです。私も、貴方のような優しいひとになりたかったです。こんなふうに、かわいい女の子を襲うようなオオカミにはなりたくなかった。
ただいま女の子を発見しました。赤い頭巾を被り、フルーツやらなんやらの詰まった籠を提げています。そんな彼女の後ろに、息を殺して近寄ります。このようなことを、もう数週間前からずっと繰り返しています。先ほども言いましたが、成功した試しがないからです。成功するまで、ターゲットは変えてはならないと言いつけられているので、私はこうして、毎日彼女を―――赤ずきんちゃんを狙っているのです。
赤ずきんちゃん。あ、はい。そうです。不肖この私が付けさせていただいたお名前です。あまりにもそのまま過ぎるので、お母さんからはちょっぴり不評です。
と、そんなことを考えていましたら、ふと気が緩んでしまったのか、カサッと草むらを揺らしてしまいました。
「そこにいるのはだれ?」
ば、ばれてしまいました。どうしましょう。まだ私は、ばれてしまったときの対処法を教わっていません。とりあえず、落ち着きましょう。落ち着くのです。ひっひっふー。よし。
「私は野蛮で危険なオオカミなのです。あなたを襲いに来ました! お覚悟です!」
「あら、とってもかわいいオオカミさんね」
「なんと。そうきましたか」
突然の出会いによって、私たちはその後、お友達になりました。そうです。私はどうやら、赤ずきんちゃんに隠していた姿を見破られてしまったようなのです。
え? それからですか? それは、貴方ももう知っていることですよ。それより、早くお休みになってください。どうして、お話する前よりも元気になっているのですか。ううむ、赤ずきんちゃんであれば、すぐに貴方を寝かせてしまえるのですが⋯⋯。
あ、赤ずきんちゃん、おかえりなさい。ええ、はい。まだ眠ってくれないのです。一緒に寝ますか? え? はい。ふふ、私も愛していますよ。
そういえば、かわいい女の子を襲うオオカミにはなりたくなかった、と言いましたが、正確性を期すのであれば、襲ったのはオオカミではなく、赤ずきんちゃんの方なのかもしれません。
真実の愛、ですから。