私は、誰かと約束をするのが苦手だ。
何処かに行こう、なにかあげる、今度なにかしよう。そんな他愛のない約束をすることすらできない。
守れないとか、忘れてしまうからとか、そういう理由じゃない。何なら逆だ。約束を忘れられてしまうことが、破られることが怖い。
幼い頃、母と1つ約束をした。『一週間で帰ってくるから、家から出ないで待っていて。』それだけ。
テレビを見て、絵本を読んで、一人で待った。元からあまり世話はしてくれていなかったから、特に問題はなかった。
でも、一週間が立っても母は帰ってこなかった。それから3日が経って、更に一週間が過ぎて、ようやく玄関の扉が開いた。そこにいたのは母ではなく、スーツを着た見知らぬ大人たちだった。
そのまま施設で保護され、数年後に私は養子に出された。『絶対貴方を幸せにするからね』と約束された。でも、実子が生まれてから私は冷遇された。
守れないなら、初めから約束なんてしなければいいのに。
期待しなければ、信じなければ、こんなに悲しむ必要なんてなかった。
この話を友達にしたら、「私は絶対破らないから!」と、小さなものから大丈夫って思えるようにしよう、と言われた。
今日のお昼一緒に食べようね。明日おすすめの小説持ってくるね。お菓子持ってくるね。夜に連絡するね。一緒に出かけよう。
少しずつ、少しずつ。毎日何かしら約束をして、彼女はそれを必ず守ってくれた。
「土曜日、駅前で待ち合わせして遊びに行こう!」
「……うん。いいよ。」
「じゃあ、10時に西口で待ち合わせでどう?」
「11時にしない? 少し早めにお昼を食べて、それから遊ぼう。」
「OK! じゃあ土曜日11に西口。約束ね!」
「わかった。約束ね。」
苦手意識が薄れてきて、もう大丈夫かもと思いはじめていた。感謝を伝えようとプレゼントを選んで、約束の場所で彼女を待った。
けれど、約束の時間を過ぎても、彼女が姿を見せることはなかった。
月曜日、学校に行って聞かされたのは彼女の訃報。
土曜日の朝、信号無視をした車に撥ねられ亡くなったと。
約束の時間を、彼女の言う通り10時にしていれば。土曜日じゃなくて日曜日にしていれば。
私と……私と、約束なんて、しなければ。
やっぱり、私は誰かと約束をするのが苦手だ。
きっと、一生、この苦手は克服できない。
#24『約束』
幼い頃に一度だけ、父に連れられ見に行った移動式サーカス。
テントの中、外界とたった一枚の布で区切られただけのその空間は、目眩がするほど輝かしく美しかった。
演者一人ひとりに当たるスポットライト。光を受け輝く色鮮やかな衣装や装飾。次々に繰り広げられる演目は、子供の目で見ても高難易度のものであることは一目瞭然だった。
派手に着飾り鮮やかにショーを彩る演者たちの中で、たった1人だけ、シンプルな黒の燕尾服に身を包みシルクハットを被った男性。手に持つステッキにはリボンも鞭も付いていない。派手な動きをするわけでも、動物を操って見せるわけでもない。
全ての演目が終わった後、暗くなったテントの中ステージ中央を照らすスポットライトを一身に浴び、優雅にお辞儀をし堂々と観客へ語りかける。
父にあれは誰かと聞けば、団長―― リングマスター ――という立場の人だと言った。
身一つで光を浴びステージに立つその姿が、どんなに派手なパフォーマンスよりも、輝いて見えた。
今でも鮮明に覚えている。あの時の感動と興奮を俺は一生忘れることはないだろう。
幼い憧れは夢となり、夢は叶い現実となった。
今度は俺――いや。私が、大勢へあの感動を伝える番だ。
暗転したテントの中、静かに歩きステージの中央へ。所定の位置についたらステッキで二度ゆっくりと床を突く。点灯の合図だ。暗闇の中、眩いスポットライトにこの身が照らし出される。マイクなどない。声を張り上げ、客席を埋め尽くす観客たちへ言葉を紡ぐ。
「――皆様、本日はお越しいただき誠にありがとうございます。団員達の作り成す夢のようなひとときを、心ゆくまでお楽しみくださいませ!」
歓声が上がる。私の一礼を合図に役者が飛び出し1つ目の演目が始まる。
役者と入れ替わるように中央を譲り、ステージの端。裏へ戻る前に観客席をぐるりと見渡す。観客の笑顔がよく見える。
皆が演目に釘付けになる中、一人だけ私を見ている少年を見つけた。不思議そうな表情と澄んだ瞳に、幼い頃の自分を見ているかのような気分になる。
少年へ微笑みかけ、シルクハットを軽く持ち上げ会釈をする。ぱ、と明るい笑顔になったのを見届けステージ裏へ戻る。
いつか、あの少年がこの場所に立つ日が来るのだろうかと想像し、夢を与える側に慣れたことの実感と喜びを噛み締めた。
#23『輝き』
1年ほど前から、月に1度ほどのペースで手紙が届くようになった。
手紙と言っても、書いてあるのは日付と地名、時々一言添えられているだけのメッセージカードだけれど。風景や現地の食事、珍しい草花や装飾品なんかの写真が同封されてる。時々小さなキーホルダやアクセサリー、押し花なんかが入っていたりもする。小さな小さなプレゼントボックスみたいな手紙。
国内外問わずいろいろなところから送られてくるその手紙は、すべて一人の友人からの贈り物。1年前まで、一緒に色々な場所を旅していた。男女二人旅なんて色々言われることもあったけど、最後まで友達以上恋人未満。一度も嫌な顔せず一緒に旅行してくれた大切な友人。
口下手で無愛想な人だけれど、お互い旅行が好きで、次はどこに行こうかとか、今までどこに行ったとかって話になると少し口数が増えて楽しそうにする。そんな姿が好きだった。
曖昧な関係が心地よかった。友人と言うにはあまりにも近い距離感だけど、恋人と言うにはどこかよそよそしい。
次の旅行の計画途中だった。一緒に行きたい場所もまだまだ沢山あったのに。
私は、もうどこにも行けない。
初めてお見舞いに来てくれたときに、彼へ全てを話した。普段感情をあまり表に出さない彼の今にも泣き出しそうな表情が今でもはっきり脳裏に焼き付いている。
私のことを待たないで良い。なんなら忘れて欲しいというつもりで伝えたけれど、優しい彼は私を諦めてはくれなかった。
行ってみたいと話していた場所、行ったことのない国の写真が沢山送られてくる。一緒に行こうと話していた国、見てみたいと言った景色。そして数多くの病気平癒のお守り。
自分でも諦めていた私の命を、彼は諦めず祈ってくれている。そのことがどれだけ私の救いになったか。彼のおかげで、自分の足で行くことが叶わなくともフィルム越しに旅を続けられることがどれだけ嬉しいか。きっと彼は知らない。
真っ白なベッドの上。沢山の写真に囲まれながら、今も旅の途中であろう彼の姿を思い浮かべ、いつか再び病室を訪れてくれる日をただ待ち遠しく思う。
#22『旅の途中』
慌ただしい足音と話し声に目を覚ます。
軽く髪を梳かし外へ出る。心地の良い潮風と登ったばかりの朝日を遮るものはなにもない。
甲板へ出れば俺に気付いた者たちがでかい声で挨拶してくる。朝っぱらから元気な奴らだ。
適当に返事をしながら船首でぼぅっと水平線を眺める。
「いつまでそこでサボってるつもりだ?」
「んぁ? いやいや、ちゃぁんと働いてるって。ほら、こうして進行方向に障害がないか確認中だって〜。」
「なにもないってのに確認もクソもあるか。だいたい昨日お前が言ったんだろ?『次の島に着くまで暫くなにもないから楽でいい』って。」
「何もないが、何も起きないとは限らねぇだろ?」
「縁起でもないこと言うんじゃねぇよ。この前ぶっ壊れたマストがようやく直ったっつーのに。」
冗談を言い合いケラケラと笑う。まぁ、少しはちゃんと働くか。
水面に反射しキラキラと輝く朝日へ一瞬視線を送り、ポケットから羅針盤を取り出す。
目的の島は西南西の方角。羅針盤と一応、太陽の向きも確認して船の向かう方向に誤差がないか確認を。
俺がこの船に乗り始めてからずっと使ってる羅針盤。色々あって傷だらけだが、まだちゃんとその役目を果たしてる。宝のありかを指し示す、なんてどっかの物語に出てくるような機能は一切ないが、おれにとっちゃ大事な相棒だ。
その針が狂うまで、共にこの大海原を進み続けよう。
#21『羅針盤』
朝、無機質なアラーム音で目が覚める。手探りで探し当てけたたましく鳴り響いていた音を止め、のそのそとベッドから起き上がる。
机の隅においてあったリモコンを手に取りテレビを付けると、今どきの小学生の将来なりたい職業ランキング、なんてものの上位をアナウンサーが読み上げ、コメンテイターがそれに一言二言添える。
スポーツ選手、パティシエ、教師……動画クリエイター?
ゲーム実況や雑談配信で稼げる時代。俺が子供の頃にはなかったような職業もランクインしているらしい。
……好きなことで食っていけたならどれだけ幸せか。
ゲーム、スポーツ、料理、裁縫、動物関係……。
好きなものを学んで、詳しくなってできることが増えて。趣味を生きるための義務にはしたくない、なんて考えもあるみたいだが、少なくとも俺にとって、好きなものを仕事にして一生懸命やるってのは、すごく幸せなことだった。
小説が好きだった。物語が好きだった。
全く別の世界に入り込んで、全く別の人物になったような気になれるから。日本も異国も異世界も、どこでも自由に文字を通じて旅することができる。
俺にとって本は、そんな夢のような世界だった。
電子よりも紙が好きだった。
紙の匂いや質感、ページを捲りゆっくりと活字を追うのが好きだった。
初めて自分で書いた物語は、とても人様に見せられるような出来ではなかったが、そのストーリーは存外気に入っている。
それから1、2年が過ぎて、それなりの出来の作品を適当な新人賞に応募したらあれよあれよと話が進んで、いつの間にやらそれなり有名な作家になっていた。
好きな話を思いつく限りに彩って、描いて、そうして得た収入で好きな作家の新作を買う。
大好きな本に囲まれて、毎日が本当に楽しかった。
…………半年前に交通事故に遭うまでは。
信号無視した車に思い切り撥ねられ頭部を強く打ち、意識不明の重体に。
目が醒めたときには事故当日から二週間が経っていた。いくつもの報道番組で大々的に報道される程度には大きな事故……事件? だったそうだ。
脳機能の障害も四肢の不自由等もなく、医者の話では事故の割に軽症で済んだらしい。
正直、そんなことはどうでも良かった。片腕がなくなろうが、下半身不随で車椅子での生活になろうが、あの事故で俺が失ったものを取り戻せるのなら安いものだ。
あの日以来、俺の両の目が光を映すことはなかった。
視力を失い、一人ではろくに動けなくなり、自宅で過ごすことすら一苦労。そして、本を読むことができなくなった。
点字を覚えれば自力で読むこともできるが、指先の感覚のみで字を覚えるというのはどうにも難しい。文字を認識するので手一杯で、内容を理解するなんてとてもできたものじゃない。
有名作品ならばサブスクリプションサイトで朗読を聞ける。物語に触れることはできる。だが、やはり違う。
栞を挟み、読みかけだった本がある。シリーズ物のミステリ小説でまだ完結していない作品もあった。
……もう二度と、あの世界に浸れることはない。
その絶望は俺にとってはとてつもないもので、暫くは何もする気が起きずにいた。そんな中でも俺を支えてくれていた担当編集者や友人、家族のおかげでどうにか今日も生きている。
小説家は辞めた。もう文字を書くことができない。視界がなくなり、小説のネタになるようなものをみつけられなくなった。
今までに買った大量の本はすべて処分した。どうせ手元にあっても二度と読むことはできないから。
生きる意味を失って、死ぬ勇気もないからただ生きているだけの日々。
もしも願いが叶うなら、視力が戻って欲しいなんてこと言わないから。ただ一度、一冊だけ、お気に入りだったあの小説の続きを。あの夢の続きを、この目で見てみたかった。
#20『あの夢のつづきを』