狼藉 楓悟

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1/12/2025, 3:26:42 PM

 朝、無機質なアラーム音で目が覚める。手探りで探し当てけたたましく鳴り響いていた音を止め、のそのそとベッドから起き上がる。
 机の隅においてあったリモコンを手に取りテレビを付けると、今どきの小学生の将来なりたい職業ランキング、なんてものの上位をアナウンサーが読み上げ、コメンテイターがそれに一言二言添える。
 スポーツ選手、パティシエ、教師……動画クリエイター?
 ゲーム実況や雑談配信で稼げる時代。俺が子供の頃にはなかったような職業もランクインしているらしい。
 ……好きなことで食っていけたならどれだけ幸せか。
 ゲーム、スポーツ、料理、裁縫、動物関係……。
 好きなものを学んで、詳しくなってできることが増えて。趣味を生きるための義務にはしたくない、なんて考えもあるみたいだが、少なくとも俺にとって、好きなものを仕事にして一生懸命やるってのは、すごく幸せなことだった。
 小説が好きだった。物語が好きだった。
 全く別の世界に入り込んで、全く別の人物になったような気になれるから。日本も異国も異世界も、どこでも自由に文字を通じて旅することができる。
 俺にとって本は、そんな夢のような世界だった。
 電子よりも紙が好きだった。
 紙の匂いや質感、ページを捲りゆっくりと活字を追うのが好きだった。
 初めて自分で書いた物語は、とても人様に見せられるような出来ではなかったが、そのストーリーは存外気に入っている。
 それから1、2年が過ぎて、それなりの出来の作品を適当な新人賞に応募したらあれよあれよと話が進んで、いつの間にやらそれなり有名な作家になっていた。
 好きな話を思いつく限りに彩って、描いて、そうして得た収入で好きな作家の新作を買う。
 大好きな本に囲まれて、毎日が本当に楽しかった。
 …………半年前に交通事故に遭うまでは。
 信号無視した車に思い切り撥ねられ頭部を強く打ち、意識不明の重体に。
 目が醒めたときには事故当日から二週間が経っていた。いくつもの報道番組で大々的に報道される程度には大きな事故……事件? だったそうだ。
 脳機能の障害も四肢の不自由等もなく、医者の話では事故の割に軽症で済んだらしい。
 正直、そんなことはどうでも良かった。片腕がなくなろうが、下半身不随で車椅子での生活になろうが、あの事故で俺が失ったものを取り戻せるのなら安いものだ。

 あの日以来、俺の両の目が光を映すことはなかった。

 視力を失い、一人ではろくに動けなくなり、自宅で過ごすことすら一苦労。そして、本を読むことができなくなった。
 点字を覚えれば自力で読むこともできるが、指先の感覚のみで字を覚えるというのはどうにも難しい。文字を認識するので手一杯で、内容を理解するなんてとてもできたものじゃない。
 有名作品ならばサブスクリプションサイトで朗読を聞ける。物語に触れることはできる。だが、やはり違う。
 栞を挟み、読みかけだった本がある。シリーズ物のミステリ小説でまだ完結していない作品もあった。
 ……もう二度と、あの世界に浸れることはない。
 その絶望は俺にとってはとてつもないもので、暫くは何もする気が起きずにいた。そんな中でも俺を支えてくれていた担当編集者や友人、家族のおかげでどうにか今日も生きている。
 小説家は辞めた。もう文字を書くことができない。視界がなくなり、小説のネタになるようなものをみつけられなくなった。
 今までに買った大量の本はすべて処分した。どうせ手元にあっても二度と読むことはできないから。
 生きる意味を失って、死ぬ勇気もないからただ生きているだけの日々。
 もしも願いが叶うなら、視力が戻って欲しいなんてこと言わないから。ただ一度、一冊だけ、お気に入りだったあの小説の続きを。あの夢の続きを、この目で見てみたかった。


#20『あの夢のつづきを』

12/21/2024, 1:09:42 PM

 耳をつんざくような爆発音。鳴り止まぬ人々の恐怖と絶望の声に意識が浮上する。
 目を開けば、焼け落ちる民家と無惨にも犠牲となった罪なき人々の亡骸……数刻前まで平穏な暮らしが築かれていたであろう場所に、血の海が広が広がっている。
 立ち上がろうと力を込めれば腹に大きく痛みが走る。
 ……嗚呼、そういえば、もろに攻撃を食らってふっとばされたんだったか。
 他人事のようにそう思い出しながら、今度はなるべく傷に負担のかからぬようゆっくりと立ち上がる。剣を杖代わりに地面に突き立てふらつく体を支え、一歩、また一歩と歩みを進める。
 戦禍から逃げ惑う人々が俺の姿に怯え、必死に逃げようと踵を返したり大事な者を守ろうと身を挺して庇ったり。そんなことをせずとも、もうこの身に剣を振るうだけの余力はないというのに。
 死に場所を求め戦地へと赴き戦い続けたこの体は、ついにその無駄な命の終わりを迎えようとしているらしい。
 陛下からの勅命のまま、戦い、殺し、領土を広げてきた。今回の戦争も我が国の勝利であろう。敵軍の姿はとっくに見当たらない。
 遠くから仲間が駆け寄ってくるのが見える。この状況下でよく俺を見つけたものだ。
「レイアード! 大丈夫か?! しっかりしろ、すぐ基地へ戻り手当を──」
「おい、俺は曲がりなりにも副司令官だぞ。いくら幼馴染とはいえ公務中はせめて卿をつけろって言ってるだろーが。」
 笑顔を作り、いつものように軽口を叩く。
 直属の部下であり、唯一親友と呼べる相手。所々怪我は見られるが、命に関わるようなものはなさそうだ。
「言ってる場合か!! 無駄口叩いてないで、ほら、担がれたくなかったら掴まれ。」
「……いや、いい。」
「は……お前、そんな傷で基地まで歩けるわけないだろ。馬鹿なこと言ってないで、早く。」
「んな傷だからだよ。……自分のことは自分がよく分かってる。今回ばかりは、もう無理だ。」
「そんな事言うな!! 死なせるもんか。絶対、お前だけは……!」
「キルギス、見ればわかるだろ。俺はもう──っ、」
 数回咳込めば鮮血が吐き出される。足の力が抜けその場に崩れ落ちそうになるのをキルギスが支え、そのまま担ぎ上げられた。
 そのまま両腕に成人男性一人抱えて全力で戦禍の中を駆け抜ける。よくそんな体力が残っているな、なんて感心しつつ、男を横抱きで運ぶのはいかがなものかと苦言を呈すが、舌をかみたくなければ黙っていろと一蹴された。仕方がないからそのまま身を委ねる。
 重く、自由のきかなくなっていく体。霞む視界と薄れゆく意識。最後に視界に映った景色は、黒煙に覆われた大空と、今にも泣き出しそうな親友の顔だった。



 耳をつんざくような悲鳴に目を覚ます。
 騎士団訓練場すぐそばの小さな丘の上。心地よい風が草木を揺らしながら吹き抜けてゆく。
 ゆっくりと体を起こし訓練場へ目を向ければ、キルギスが団員たちをしごいているようだ。
 死を覚悟したあの日、神の気まぐれかキルギスの努力の賜物か、俺は一命をとりとめた。まだ十分回復したとは言えないが、取り敢えず日常生活には支障はない。
 戦争はこの国が勝ち、あの街は占領され建て直されている最中だ。数カ月もすればそれなりに機能を果たすようになるだろう。
 異常がないことを確認すれば、またその場で横になる。眼の前に広がる大空に、もうあの日の面影はない。
 団員の嘆きとキルギスの怒声、ぶつかり合う剣の音を聞きながら、晴れ渡る空の下、再び眠りへ身を任せた。


#19『大空』

12/19/2024, 3:06:38 AM

 カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ます。
 時計に視線をやり時刻を確認すれば、既に10時を過ぎていた。
 体を起こしベッドから出れば、冷たい空気が体の熱を奪っていく。そばに置いておいたガウンを羽織りベッドへ視線を向ければ、彼女はまだ温かい布団に包まれ夢の中にいる。
 起こしてしまわぬよう静かに部屋を出て、リビングへ。24度設定の暖房をつけて食事の用意を始める。湯を沸かし、トースターで食パンを2枚焼き、簡単なサラダとポーチドエッグを作り皿に盛る。
 ちょうど焼き上がったパンを皿に移していると、チリン、と鈴の音とともに彼女がリビングへやってきた。

「おはよう。お腹は空いてる?」
「みゃーん」

 いつも通りの元気な返事に少し待っててねとフードを皿に盛る。先程沸かした湯に水を加えて人肌程度の温度にしてフードとともに彼女用の食卓へ。
 ご飯を置いてもすぐには食べず、俺が食べ始めるのを待っていつも一緒に食べてくれる。誰が教えたわけでもないのに、自主的にそうしてくれているのだからこれ程嬉しいことはない。
 自分の分の食事もダイニングテーブルに用意し、いただきます、と手を合わせればカリカリとフードを食べる音が聞こえてくる。
 猫は気まぐれ。でも、そんな中でもルーティーンが決まっているらしい。
 食事は俺が食べるのと同時、昼ご飯のあとには俺の膝の上でくつろぐ。そして、冬の寒い夜は俺のベッドで一緒に眠る。
 寒いのは苦手で数年前までは冬は嫌いだったのに、今ではすっかり特別な季節だ。
 小さな同居人と過ごす平穏な日々に、この幸せの長く続くことを願う。


#18「冬は一緒に」

10/29/2024, 1:40:05 PM

 よくある転生小説。異世界から手違いで呼ばれたごく普通の青年が仲間と出会い、共に旅するうちに成長し、スキルやらなんやらを利用して魔王を討伐する。
 そんな出来事を経験した勇者が丁度、俺を澄んだ真っ直ぐな瞳で見つめ、聖剣と呼ばれる美しい剣の切っ先を眼前十数センチの距離に突きつけている。
 ようやく、この物語も終わりを迎えようとしているようだ。彼の努力は配下たちを通じて見守ってきた。苦しい思いをたくさんしてきたことも、挫折しかけたことも、プレッシャーに押しつぶされそうだったことも知ってる。
 それと、強くなった今も、この場にいる誰より死を恐れていることも。

「ここまでだ。これで終わりだ、魔王!」

「まぁ、そう急ぐな。少しのんびりしたところで後ろで倒れているお前の仲間たちは死にはしないさ。」

「そんなの関係ない。仲間が今、苦しんでるんだ。」

「気を失っているのだから、今は痛みも苦しみもない。邪魔する者もいないんだ。せっかくだ、少し話をしようじゃないか。」

「っ……」

 警戒しつつ此方の様子をうかがい、俺が紡ぐ言葉を待っている。知ったことかと切りつけてもいいというのに。優しい彼はそんな事できないのだろう。というか脳内にその選択肢があるのかも怪しい。

「……知っているか? お前がこの世界に来る以前、お前と同じように召喚され、勇者として魔王討伐を命じられた男がいたのだ。」

「……聞いたことはある。」

「そうか。……そいつはお前とは異なりすぐ世界に順応し、剣の才能は今ひとつであったが、別分野で努力し、強力な魔法を扱えるほどにまでなった。」

「……その人は、どうなったんだ。」

「答える必要があるか? 俺はここにいるというのに。」

「っ!」

 怒りと憎しみ。そして恐怖のこもった表情を浮かべる。聖剣を構え直し俺を睨みつける。
 それらに俺は、余裕の笑みで返してやる。

「……無駄話はおしまいだ。魔王、俺はお前を倒す!」

「断る。」

「なっ……?!」

 話しながら展開しておいた魔法を使い勇者を拘束する。聖剣も奪って、身動きできぬようしっかりと。彼に殺されるわけにはいかないんだ。

「……勇者が魔王を倒しても、物語は終わらない。新たな魔王と勇者が現れるだけだ。これが正しいかなどわからないが、取り敢えず考えつく中で最も成功率が高そうなのがこれなんだ。」

「物語? 一体なんの、話を……?!」

 困惑する勇者に笑いかけ、俺は聖剣を自身の身体へ突き立てた。魔法で痛覚を遮断しておいたため痛みは一切ない。不思議な感覚だ。
 ……かつて魔王を倒した俺は、その瞬間に今までのすべての物語を見せられた。一番初めはこの世界の人間。次はその子孫。そして召喚された異世界人。俺は26人目の勇者だった。
 魔王を倒した勇者は次の魔王に……初代の魔王が残した最悪な呪いのせいで、俺は勇者から一転、魔王となった。

「そ、んな……」

「……魔王である俺が死ぬには、聖剣で貫かれる必要がある。そしてその聖剣は勇者であるお前にしか抜くことはできない。」

 ぐらりと体が傾き、その場に膝をつく。視界がぼやけてゆく。勇者を縛る魔法を維持することも難しく、自由になった彼が戸惑いの色を宿しながら此方へ一歩、二歩と歩み寄る。

「今まで魔王討伐に向かった勇者のなかに帰ってきた者はいないと、魔王に敗れたのだと言われていた勇者たちは、皆……」

「苦労するのはそれまでの道のりであって、魔王討伐は容易い。なんせ元勇者だ。自分の跡を継いだ者を殺そうとする奴はいない。お前の仲間も、文字通り眠っているだけだから安心しろ。」

 全て伝えた。これで終わりだ。足元に広がる血溜まりが、次第に砂のようになり消えてゆく。傷口から徐々に、この体も同じように崩れ、消滅へと向かう。

「……この城の入口まで魔法で送り出してやる。仲間と国へ戻り勝利を告げろ。」

 最後の力を振り絞り、魔法を展開する。転送先の座標は魔王城の門前。全員はぐれることのないよう注意して。

「っ、待ってくれ! まだ───」

「……最後の勇者よ。その勇気と努力に敬意と称賛を。」


────────
──────
──

 あれから一ヶ月が経った。俺も仲間たちも無事王国へ帰還し、戦勝パーティーも開かれた。それと同時に、今までの勇者たちを弔う儀式も行われた。
 あの日、魔王……いや、先代の勇者から聞いた話をすべて国王へ告げ、彼の最後も、俺が倒したわけではないということも包み隠さず話した。
 しかし王はこの話を民へ伝えることを良しとはしなかった。終戦後の国を立て直すために英雄は必須であり、その威光が霞むような話はすべきではないとのことだ。
 嘘をつかせることになり申し訳ない、と謝罪された。王としても苦渋の決断だったようだ。そのため、弔いの儀はパーティーの比にならないほど大規模に行われた。
 世間では偉大なる勇者と呼ばれ、俺もそれに応えるため努力は怠らず、復興のため被害のあった地域を手伝い巡っている。
 王城内、王族のみが入ることのできる書庫には、俺が話した事がそのまましたためられた本が丁重に保管されている。
 多くの犠牲が忘れ去られてしまうことのないよう、真実を未来へ伝えるために。


#17『もう一つの物語』

10/16/2024, 8:54:50 AM

 目は口ほどに物を言う、なんて言葉がある。『情をこめた目つきは、口で話す以上に強く相手の心を捉える』という意味らしい。
 その通りだと思う。本当に。人間相手じゃなくともこれだけひしひしと伝わってくるのだから。

「あの〜……そんなに嫌がらなくても……」
「シャーッ!」
「はい、すいません。近寄らないです。」

 友人が出張で家を空ける2日間。飼い猫の世話をして欲しいと頼まれ合鍵を渡されたのが昨日の昼。
 メモ通りにご飯をあげて、トイレ掃除して、少し撫でてみても……なんて思ったのが約1時間前。
 全力で逃げられ、そのうえ何故か扉の前に陣取られてしまい帰ることもできず軟禁状態。動物には片っ端から嫌われる質で、どうしてもって言われたから引き受けただけだったんだ。俺前世で余程のことでもしたのかなぁ……
 寝てるから行けると思って急に触ったのは謝るから。触れなくていいから、せめて帰らせてくれ……。
 警戒、と言うか怒りというか。それすら通り越して殺気に思えてくる視線を受けながら、一歩近付き怒られて……を繰り返して今に至るわけで。

「あ、そういえば……」

 友人から教えられていたものの1つ。こいつが大好きなおやつの収納場所。テレビ横の棚、上から二番目……嗚呼、あった。
 よくCMやってる液体タイプの猫用おやつ。これでも駄目だったらもう成すすべがない。頼むからこっちに来てくれ……
 開けてそっと近づけるとゆっくり食べ始めた。

「……!!」

 此処まで近づけたのは初めてかもしれない。猫、可愛いな……。
 っと、感動してる場合じゃない。食べさせながら、ゆっくりと後退してキャットタワーのそばへ誘導する。あとは食べ終わったら扉に行かないで登ってくれることを願うしかない。
 しばらく無言で見つめられる。安全かどうか見定められてるようなかんじ。なんとなく圧を感じて視線をそらす。なんで俺は猫に負けてるんだ……。
 突然、興味を失ったかのようにキャットタワーへ登り眠り始めた。ようやく帰れる……
 無駄に気疲れしたが、猫と同じ空間に長いこと居られたのは少し嬉しかった、かな。

「じゃ、また明日。」

 ちらっと振り返りそう告げると、黄色の双眸が此方をじっと見つめていた。鋭い眼差しに見送られ、俺は友人宅をあとにした。


#16『鋭い眼差し』

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