夏の一夜。山の麓の神社で出店が出され、提灯や灯籠で照らされる。
年に一度だけの祭りの日。私が、ひとりの友人に会える年に一度の日。
その子は小学生ぐらいの身長で、肩ほどの長さでおかっぱに切られた綺麗な黒髪に、赤い可愛らしい着物を着ている。何年経っても同じ背丈、同じ髪型、同じ服。
あの子は人間じゃない。
お祭りの日にだけ、神社の裏で私を待っている。他の人にもちゃんと見えているようで、最近は中の良い姉妹だなんて言われている。
お祭りが終われば私以外の記憶からあの子は消えてしまう。私に妹なんていないけれど、そのおかげで「あの子は誰?」となることはない。
「お待たせ! 遅くなっちゃってごめんね。」
「いいのよ、待ってる時間も楽しいから! また背が伸びたのね。たった一年なのに、どんどん遠くなっちゃう。」
「そうだね、初めて会ったときは同じぐらいの身長だったのに。」
「ちょっとさみしいけれど、まあ良いわ! 今日はお祭りだもの、ねぇ、早く屋台に行きましょう!」
射的に金魚すくい、瓶ラムネに綿菓子にりんご飴。
気になったところは全部遊んで、食べて、二人で短い時間を全力で楽しむ。
お祭りが始まる午後6時から人がまばらになる午後10時まで。毎年毎年、学校の友達と遊ぶよりも何十倍も楽しい4時間を過ごす。
長いようであっという間で、気がつけばお別れの時間が迫ってくる。
「また来年だね……もっと一緒に入られたら良いのに。」
「……なら、もう少しだけ、一緒に遊ぶ?」
「え……でも、お祭りはもう終わっちゃうよ?」
「こちらへついてきて! 貴女、今年でもう16歳になるでしょう? 特別に秘密の場所を教えてあげるわ。」
「え? あ、まっ、待って!」
彼女に手を引かれるまま、神社の裏へ、山の中へと入っていく。獣道のようなところを進んで、草木をくぐって、どれだけ歩いたかわからない。
暫くすると「着いたわ!」と彼女は足を止めた。
そこは、幼い頃から決して立ち入るなと教えられ続けた小さなきれいな池のそばだった。
「ここは駄目だよ! 来たらいけないって、おばあちゃんが……」
「あら、それは貴女が幼かったからよ。だから私も貴女を連れて来ることができなかった。でも、もう大丈夫よ。」
しゃがんでそっと水に手をいれる。こちらを振り返り、優しい笑顔で彼女は続ける。
「ここの水はとても澄んでいて、冷たくて気持ちがいいのよ。ほら、こちらへおいで。大丈夫だから、私を信じて?」
恐る恐る、彼女のそばへよる。
池の底が見えるほど透明な水が彼女の手の動きに合わせて波紋を描く。綺麗でしょう? と笑う彼女に、うん、と短い返事を返す。
それなりに深い池のようだから、落ちないようにとおばあちゃんはああ言っていたのかもしれない。
彼女の真似をして私も水に手を付ける。
冷たくって、とても気持ちがいい。
「ふふっ、捕まえた。」
「え……、っ?!」
瞬間、彼女に水の中へ突き落とされた。いや、彼女も一緒に水中へ沈んでいく。両腕を掴む力は強く、振りほどこうにも振りほどけない。苦しい。どうして。
「駄目じゃないの。名前も知らぬ子と仲良くなって、こんなところまでついてきて。」
「ふふっ、可愛い子。可哀想な子。貴女はこれから贄として私の糧になるのよ。よかったわ。16になるまで私と遊んでくれて。私を気味悪がらず、逃げずにいてくれて。」
水中だというのに彼女はなんともないようで、その声ははっきりと聞こえてくる。
「楽しかったわ、ありがとう。そして、いただきます。」
────────
年に一度、山の麓にある神社で祭りが行われる。
それは元々、山に眠るとされる水神を鎮めるための儀式を行う場だった。
齢16になる生娘一人を生贄として住処の池へ捧げる。
何年もの年月を経て水上の存在を知るものは減っていき、ただの夏祭りとなってしまった。
数十年に一度、16になる少女が姿を消すという都市伝説だけを残して。
#6『お祭り』
学校に行けば虐められ、家に帰っても誰もいない。
いつもどこでも、ずっと一人ぼっち。
将来の夢なんてものはないし、もうそろそろ人生卒業しても良いかなぁ、なんて。
誰もいない家でホームセンターで買ってきたロープを首吊用に結び、どうにかセッティングしていざ。
輪に首を通し椅子を蹴る。首がしまって苦しいし、けっこう痛い。でもこれで、これが終われば楽になれる。そう思ったその時だった。
「はい、だめー。」
「っ、?!」
突然聞こえた誰かの声とともにロープが切れた。
「君はまだ天命を全うしていません! 自殺なんて許しませーん!」
「は……だれ、あんた。」
「誰って……神様ですけど?」
「……は?」
そいつが言うには、自分はこの世界の神様で、俺が天命を前に死のうとしてるから止めに来たらしい。
そんな話、普通信じられるわけがない。が、そいつ……神様、は俺の眼の前に胡座をかいて空中に座っている。
飛んでいるんだ。俺の家にそんな仕掛けがないのは俺が一番わかっている。……信じるしかなくなっちまった。
「じゃあ、俺はいつになったら死ねるのさ。」
「当人に伝えちゃいけないって規則だからそれは言えない。まぁまぁ、そう悲観せずのんびり生きてみない?」
「神様がこの世の楽しみ方を教えてあげよう!」
それからは神様に振り回される毎日。
学校なんかいかなくて良いから1日中ゲームをしよう。遊園地に行こう、映画を見よう、ゲーセンに行こう……。
気ままな神様に付き合うのは大変だけど、以前よりずっと楽しかった。
そんな生活を続けること一ヶ月。俺はもう、死にたいとは思わなくなっていた。
「いやぁ、よかった! 頑張ったかいがあったよ〜」
「毎日毎日ありがとね、神様。」
「いえいえ〜、これも仕事のうちさ。じゃあ、さいごの1日をめいいっぱい楽しもう!」
「最後……。」
神様は俺が死なないように来たんだ。俺の自殺願望がなくなった今、もう俺のそばにいる必要はないのか。
近くの映画館で映画を見て、キッチンカーでクレープを食べて、新しい服を買った。
明日からはどうしよう。久々に学校に行ってみようか。今なら、頑張れる気がする。
「お、時間だ。」
「そっか……今日までほんとにありがとう神様。すっごい楽しかった。俺、明日からも頑張って生きてみるよ。」
「うんうん、さいごに楽しめたなら何よりだよ。悲しい辛いばっかりじゃ可愛そうだからね。でも……」
神様が俺の後ろを指差す。赤信号の横断歩道。平日の昼間だからか人はまばら。それがどうかしたのかと神様に問おうとしたその時だった。
けたたましいクラクションの音とともに、車がこちらに突っ込んできた。
鈍い音がして、景色が変わった。地面が、赤い。
「生きる気力が湧いたところで申し訳ないけど、今日が君の人生の最期の日だって朝にも言わなかったっけ?」
「天命全うお疲れまさでした。じゃあ、もし君が天国に来れたなら、またそのときにでも会おう。」
俺が信じた神様は、どうやら死神だったらしい。
霞む視界の中で神様の声だけが妙にはっきりと聞こえた。
#5『神様が舞い降りてきて、こう言った。』
「ん……」
カーテンの隙間から入り込む陽の光で目が覚める。
部屋の外からいい匂いがする。彼が朝食を作ってくれてるみたい。
まだ眠い目を擦ってのそのそとベッドから出てリビングへ向かう。
「あ、おはよう。ご飯ちょうどできたよ。」
「美味しそう…! いつもありがとう、蓮(れん)くん。」
ダイニングテーブルを挟んで二人で座り、できたての朝食を頂く。今日はトーストとスクランブルエッグに、サラダとヨーグルト。好きだからといつも3食しっかり作ってくれて本当にありがたい。
「今日もお仕事遅くなりそう?」
「うん……さみしい思いさせてごめんね伊織(いおり)。いい子でお留守番してて?」
「大丈夫、お仕事頑張ってね。」
片付けは私の仕事。食器を洗っていれば、彼の出かける時間になる。行ってらっしゃいのキスをして、仕事に出かける彼を見送る。
部屋の掃除をしたり、洗濯をしたり、あとはテレビを見ながらソファでまったり。
『──当時中学2年生だった橘伊織(たちばないおり)さんが行方不明になり3年が経ちました。警察は今も──』
「3年か……早いなぁ。」
テレビには中学入学時に撮影された顔写真が映し出されている。身長や制服、当時の持ち物に履いていた靴まで事細かに説明される。
もう当時のものなんて全部捨てちゃったから、そんなことしたって意味ないのに。
画面が切り替わり、涙をのみながらインタビューに答える母親の姿が映し出された。
あの涙を本物と信じて可愛そうだなんて言う人がどれだけいるんだろう。あの人達は私のことなんて愛してなかったくせに。
今の私は過去のどの時間よりも幸せだ。
蓮くんに誘拐されてからは3食温かいご飯が食べられて、ふかふかのベッドでゆっくり眠れる。
乱暴はしないし、私が嫌だということは絶対にしない。
家の外に出ることは許されていないけれど、不自由は感じない。もし外に出て見つかったら、蓮くんは逮捕されて私はあの地獄のような家に引きずり戻されてしまう。
それに、出られないと言っても週に一度は夜に蓮くんと一緒に近所の公園までお散歩に行ける。それで十分だ。
鳥かごの中で飼っていた鳥を外に放っても自由になんかなれず、死んでしまうだけ。だから、
「……お願いだから、もう探さないでよ。」
私はこの鳥かごの中で幸せに生きているから。
#4『鳥かご』
友達って、なんなんだろう。
漫画のようなぶつかり合って仲直りして絆を深めるなんて相手なら僕にはいなかった。
「友達なんだから」と宿題を写させてくれと頼んできたり、掃除や雑用を押し付けてくる奴らは本当に友達?
いや、これは絶対違う。良いように使われてただけなんだろう。きっと断れば気を悪くして二度と話しかけてこなくなるかいじめられるかだ。
じゃあ、クラスでもそこそこ話すし、一緒に遊びに行ったりもする奴が2人。
僕が死にたいといったとき、必死に止めてくれた子と一緒に逝くと言ってくれた子。これはどちらが正しい?
「……僕は君だと思うんだ。」
「ん、何の話?」
「いいや、ただの独り言。」
運んできた机や掃除モップで作った適当なバリケードは案外その役をしっかり果たしている。
扉の向こうから聞こえるのは必死に止めようとしてくれる友人の声。と、先生数人の声。
先生にバレちゃったの嫌だなぁ。下にマットでも敷かれちゃう前にとっとと落ちなきゃだ。
「……最期ぐらい静かに逝きたかったなぁ。」
「場所、を変えるべきだったかもね。」
「うん……でも、何となくここが良かったんだ。」
隣りにいる一緒に逝くと言ってくれた友達の方を見る。
これから死ぬだなんて思えないような清々しい顔をしている。
そっと手を握られた。誰かと手を繋ぐなんていつぶりだろうか。
「……ほんとにいいの?」
「うん、俺も疲れちゃったし。そっちこそ、アイツおいてっていいの?」
「……うん。もう、いいんだ。」
「じゃあ、いこうか。」
彼に手を引かれるように、下へ。最期まで僕を否定せずにいてくれた、唯一人の友人と共に。
#3『友情』
綺麗な桜の樹の下には死体が埋まっている、なんて話がある。桜の花が美しく咲くのは、その木の下に死体が埋まっていて養分を吸っているからなんて話を書いた小説が元ネタらしいが、それが本当ならどれほど素晴らしいことか。
死んだあとに、ただ燃やされ灰になるんじゃなくて生きた証を花として残せるだなんて。
「なァ、お前もそ思うだろ?」
深夜、家のそばの神社の裏。
地べたに横たわり冷たくなって動かない友人にそう話しかける。
一人で人間一人が入れるだけの穴を掘るってのは想像以上に大変で、だいぶ時間がかかってしまった。
二度と目覚めることのない彼を穴の中に移動させ、取り敢えず一段落。
小説の話は彼から聞いたものだ。俺は小説なんて読まないからね。「死んだあとは花葬(かそう)されたい」なんて急に言い出すから何かと思ったけど、あの時からこうする予定だったのだろうか。
だとしたら、なんて、たちの悪い。
一番の友人に、なんの相談もなく何も告げず勝手に逝ってしまったうえ、その後のことをそれとなく全ふりしてきたわけだ。
死体遺棄も立派な犯罪だと彼は知らなかったのか?
「そこまで頭の回らん奴じゃなかったと思うが……わざとか? ひでぇやつだなァ……なんてな。」
多分俺が真に受けるだなんて思ってもいなかったんだろう。いつもくだらないことを言い合っていたから、そんなこと俺は覚えちゃいないだろうって思ったんだろう。
今日だって約束があったわけじゃない。
俺の気まぐれで家まで遊びに行ったら鍵が開いてて中で彼が首つってただけ。
ぜぇんぶ偶然。だから、これはただの俺の気まぐれ。
「何がそんなに苦しかったんだか知らねェけど、ゆっくりお休み。……じゃあな。」
掘り起こした土を彼が入った穴へ戻していく。
段々見えなくなっていく。笑ってるような、穏やかな顔して死にやがって。ポケットに六文銭(300円程度)入れておいたから、ちゃんと川渡って天国ではうまくやれや。
平らに戻したら、手でもう一度多少掘り起こす。ホームセンターで買ってきた桜の木の苗が入るぐらいに。小さい苗だから、大木になって花を咲かせるのはまだまだ先になるだろうな。
根を傷つけないよう丁寧に植えて、持ってきたペットボトルで水をやればお終い。
手も服も土だらけ。昔っから汚れんのが嫌で土遊びはしない主義だったけど、今回ばかりは仕方がない。
「さて……バレねぇうちに帰るか。」
道具一式回収し、忘れ物がないことを確認し地中に眠る彼と桜の苗木に背を向ける。
嗚呼、そうだ。
「お前のため、こんだけ苦労してやったんだ。」
「せいぜい綺麗な花を咲かせてくれよ?」
#2『花咲いて』