【もう一つの物語】
高校生のころ、僕には居場所がなかった。
学校では、クラスメイトに執拗にからかわれたり持ち物を隠されたりした。僕にとっては、およそ居心地の良い場所ではなかった。
家に帰ると、その事情をまったく知らない家族が楽しそうに談笑している。一家団欒の輪の中に入りたくても入れず、すぐに自分の部屋に籠ってしまう日常だった。
ある日、どうしても眠れなくてラジオをつけてみた。いろんな番組をザッピングする中、気になる言葉が耳に入ってきた。
「がんばってもいいし、がんばらなくてもいいじゃない。前向きでも後ろ向きでも、どっちでもいいんだよ。明日も明後日もここで3時間くらい話してるから、よかったら好きな時に聴きにおいでよ」
それは、月曜から金曜の深夜2時から5時まで1人のパーソナリティが進行している番組だった。おそらくは番組に寄せられたメールへの言葉だったんだろうけれど、それはまるで僕に向けて話してくれたように思えた。
その日から、僕はその番組を欠かさず聴くようになった。次の日の朝、起きるのは辛いけど番組を聴く前より心は少しだけ軽くなっていた。逆に、学校で起こる問題は日に日に増していた。先生側も、寡黙で暗い僕にも原因があるかのような口ぶりで、自分ではもうどうしようもなくなっていた。
僕は、生まれた初めてラジオ番組にメールを送った。この番組が心の支えになっていること、今はどこにも自分の居場所がないこと、生きてるのが辛いけど番組を聴きたくて生きている、でも辛い、どうすればいいのか…とにかく今、自分が思っていることを全て書き連ねて伝えたい。そんな気持ちだった。
その日の夜、いつものように番組を聴いていると何処かで聞き覚えのあるラジオネームが呼ばれた。あの、僕の拙いメールを放送中に紹介してくれたのだ。しかも、今度こそ本当に僕に向けて、あのパーソナリティさんが語ってくれたのだ。
「この番組を聴くためにどうか生きていて欲しい。君が生きるためにここが大切な場所だというのなら、僕はそういう場所で在り続けるように精一杯努力する。君にはその道のりを見届けて、いや、聴き届けてほしいんだ」
涙が止まらなかった。こんなふうに、僕の気持ちを真正面から受け止めてくれる人は、家庭にも学校にも周りのどこにもいなかった。そして、見ず知らずの僕のために「精一杯努力する」なんて言ってくれる人は、この先もう現れることはないだろう。
この日、僕は誓った。たとえ辛いことが多くても、この先もずっとずっとこの番組を聴くために生きていく。
そしていつか、あのパーソナリティさんに直接会ってお礼の言葉と、いつか僕もラジオの「そちら側の人」になって、あなたと一緒に番組を作りたいって夢を伝えるんだ。
※2023年9月3日付【心の灯火】のもう一つの物語です
【行かないで】
これはまだ、僕が幼かった頃の話。
僕の父は、大学の講師をしていた。普通の会社勤めとは違うので、授業がない日は日中でも家にいることが多かった。そんなとき、たまに僕を連れて買い物に出かけることもあった。
ある日、ショッピングセンターに2人で出かけたときのこと。広い玩具売り場のすぐ横にスポーツ用品売り場があって、父の好きなゴルフアイテムも数多く並んでいた。しばらく2人で玩具を見ていたのだが、とうとう父も我慢ができなくなったらしい。
「いいか、サトシ。ちょっとだけ隣の売り場に行ってくるからな。すぐ戻るから、それまでここで待っているんだぞ」
父は僕の頭に手を置いてこう言った。
「うん、わかった‼︎」
僕は勢いよく返事をした。隣の売り場だし、すぐ戻ってきてくれるだろうと思っていたのだ。
ところが、父は一向に僕の元に戻ってくる気配がなかった。何か気になるものでもあったのだろうか。いつまで経っても父の姿が見えないことが、急に不安に思えてきた。
僕は、「わかった」と父に返事したことを激しく後悔した。もしもあのとき、「やだ、行かないで」と言っていたら今も一緒に玩具を見て楽しんでいただろう。
行かないで、行かないで、行かないで…想いを募らせた僕は、気がつけばたまらず叫んでいた。
「ちちうえぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜‼️」
いや、僕としてはいつものように父のことを呼んだ、ただそれだけのことだった。ただ、後に父は言った。あのときほど恥ずかしい思いをしたことはなかったと。
それ以降、「父上」「母上」だった両親の呼び名は「父さん」「母さん」へと変わった。父と一緒に出かけても、極力手を繋いで一緒にいてくれるようになったので「行かないで」と懇願する場面は2度となかった、
今日、僕がもうすぐ父親になることを父に伝えると、父はあのときと同じように僕の頭に手を置いてこう言った。
「いいか、サトシ…
我が子に『父上』と呼ばせるのだけは絶対にやめておけ」
【どこまでも続く青い空】
「何でこんなに空が青いんだよ…」
どこまでも続く青い空を見上げながら、俺は
思わず呟いた。頭の中は、今度提出する卒論のことで一杯だった。担当の教授からことごとくダメ出しをされ、何をどう書けばいいのか迷走していた。青い空を目の前にしても、まったく気持ちは晴れなかった。
「うわ〜、絵に描いたような逆恨みですねぇ〜、先輩」
ボソッと小声で言ったはずの一言を、たまたま隣にいた後輩のヒグチが耳にしていた。奴は、俺が教授にダメ出しされていたときにもたまたま同じ部屋にいて、事情をよく知っている。
「でも実際、教授のご指摘どおりに修正する方がより良い卒論になるんじゃないんですか?」
「うるさいな。良くなるかどうかは別として、つまらなくなるんだよ。卒論も俺も」
そう言いながら、俺は教授がダメ出し中に言ったある一言を思い出していた。
「う〜ん、君の文章は何というか…デッサン力のない抽象画のようですねぇ」
絶妙な言い回しだった。教授が提示した締切に何とか間に合わせた俺の論文は、資料を深く読み込むことなく感覚的な言い回しで体裁を整え、文字数だけを稼いだことがバレバレだった。だからといって、元々底の浅い文章の内容をより具体化したからといって、現在より良い論文になるとも思えなかった。
「僕は先輩の文章って好きですけどね。読んでると心が和むというか、感情の浮き沈みを穏やかにしてくれるというか…けど、それって卒論においては合ってないんでしょうね」
どうやら、ヒグチはヒグチなりに俺の文章を認めてくれていたらしい。ただ、今の言葉はあまりフォローになってはいないのだが。
俺は今、あの「デッサン力のない抽象画」にこれからどう手を加え、教授にその良さを伝えようかと頭を悩ませている。今だけは、あのどこまでも続く青い空がどうしても気に食わない。
【声が枯れるまで】
「声が枯れるまで」って表現がある。
私はそれを経験したことはないし、
この先も経験することができない。
私は、声そのものを出せないのだ。
声が出なくて不便だなぁ、と思う場面がなくはない。ただ、生まれつきなので、声を出さないことが当たり前の生活を送ってきた。これから先も声を出したいと思うようなことはないだろう…と、昨日まではそう思っていた。
今日は、我が子の初めての運動会。決して足が速いわけではないが、昨日も夜遅くまでまでパパと一緒に練習していたのを知っている。私は、手作りのキャラ弁当で精一杯の応援の気持ちを表した。
そして、我が子が走る番がやってきた。
パンッと乾いたピストルの音とともに、幼い子どもたちが一斉に駆け出す。うちの子も、先頭の子を懸命に追いかけている。
「がんばれー、がんばれー‼︎」
どの子の親も、必死で声を振り絞る。
でも、私にはそれができない。
声が枯れるまで子どもを応援することに、
こんなにも憧れる日が来るなんて…
気がつけば、我が子は1等章の証をつけていた。パパは「よくがんばったなぁ〜」とニコニコして、走った本人よりも上機嫌だ。
せめて、ギュッと抱きしめて「おめでとう」の気持ちを伝えようとしたそのとき、
「ぼく、おかあさんのがんばれ、きいたよ」
え?
「はしってるとき、おかあさんがてをふってがんばれ〜って。すごくすごくうれしかったよ‼︎」
…いつの間に、この子はこんなにも優しい子に育ったのだろう。自分でも聞くことのできない声を、その幼くて小さな心が汲み取っていてくれたのだ。
「だからぼく、いっとうしょうになれたんだ。おかあさん、ありがとう」
私は、我が子を力一杯抱きしめた。
「いたいっ、いたいよぉ、おかあさん」
子どもが思わず声をあげるほどだったが、それでも力を緩めることはできなかった。
今日という日が、初めて私が「声援」をおくった記念の日になった。
【カーテン】
夜、少し肌寒くなった気がして目が覚めた。
すぐ横で、薄青いカーテンが時折ヒラヒラとしている。どうやら、換気のために少しだけ開けておいた窓から風が入ってきたらしい。
ベッドから起きあがろうとして、自分の寝ていた場所がひどく左に寄っていたことに気がついた。十年前からのクセが、未だに抜けていない。あの頃、右隣に必ずいてくれた人はもういない。二度とは会えない人と、寄り添っているような感覚がないと眠れない。そして毎日、目が覚めては現実に引き戻される。
あの薄青いカーテンは、あの人と二人で選んだものだ。この部屋で、ずっとずっと一緒にいられると思っていた。
ひとりぼっちを受け入れきれない今の自分と、夜風に揺れるカーテンとが重なる。揺れ動いて揺れ動いて、いつか一人になった自分を本当に受け入れられる日は来るのだろうか。そんな思いの中、またベッドの左端に身体を寄せてしまう自分がいた。