私にとって心の灯火は、
根拠はなくても「大丈夫!」だと
言い切ってくれる『推し』がいることです
一生推します!
【刹那】
もう、あなたには二度と逢えないと
何度も心に言い聞かせているのに
時には優雅に舞う蝶の姿で
時には空高く羽ばたく鳥の姿で
時には翼を大きく広げた雲の姿で
私の前にあらわれる
不意に訪れる刹那の逢瀬は
あまりにも愛おしすぎて
気がつけば涙が頬を伝う
もう、あなたに二度と逢えないはずなのに
もう、私は刹那の逢瀬を求めてる
【バカみたい】
バカみたい
恨んだり妬んだり
羨んだり蔑んだり
バカみたい
裏切ったり寝返ったり
嘘ついて人を貶めたり
バカみたい
根拠もなく争い事を始めたり
意味もなく誰かのことを嫌ったり
自分で背負えないようなものを
すべて人に押し付けたりして
それが後々、自分の首を
絞めることになるなんて
バカみたい
物事はすべて捉え方次第で
どうにでもなるもんなんだから
自分の人生を自分で楽しめなくするなんて
バカみたい
だよ?
【平穏な日常】
※今回の内容は、あまり美しいお話ではありません。表現には十分留意しておりますが、気分を害されたら申し訳ありません※
平穏な日常って何だろう?
って考えたとき、先月俺が数日間経験した「最も平穏でなかった日常」のことを思い出した。そうか、あの「最も平穏でなかった日常」の正反対が平穏な日常につながるんだな。本来なら思い出したくもない数日間の出来事だが、書くためには仕方がない。時を戻そう。
俺が経験した「最も平穏でなかった日常」は実質2日間だったが、その前日から布石はあった。両親が揃って体調を崩したのだ。
「あんた、お腹は何ともない?」
翌朝、母から唐突にそう聞かれた。そのときの俺は、腹も何も全く問題なく健康そのものだったから「ちょっと何言ってるかよくわからない」という印象しか持たなかった。
変化が訪れたのは、その日の夜だった。急な腹痛に何度も襲われるようになり、数分おきにトイレに駆け込んだ。とはいえ、寒い時期に足元が冷えてお腹をこわすという経験はたびたびあるので、この時点ではあまり心配はしていなかった。
本当の地獄はここからだった。
真夜中、激しい腹痛で目が覚める。急いでトイレに駆け込むが、完全に腹を下していて噴水の如く水状のものが勢いよく出るだけ。何度もそれを繰り返すうち、吐き気で上からも同様のものが噴射されるようになる。自分の身体が上下ともに壊れた蛇口のような状態になるなんて初めての経験だ。俺はやむなく、会社に連絡して仕事を休んだ。
やがて、壊れた蛇口はまったく歯止めがきかなくなってしまった。出るものを止める術がない上に、体力も限界だったのかベッドからまったく動けなくなってしまった。熱も39度近くまで上がり、最悪の状態のまま俺は夜まで意識を失ってしまった。
後にわかったのは、どうやらこれが細菌性の胃腸炎であること。そして、両親が体調を崩す前に一緒に食べた市販のシーフードコロッケが原因の一端ではないかということだった。両親と俺とでは症状も発症時間にも著しい差があるので何ともいえないが、おそらくは同じきっかけで起こったものであると考えられた。
丸2日間の地獄のような時を経て、熱も平熱に戻り、だるいながらも何とか身体を起こして、洗濯できるまでに回復した。唯一、食事に関しては固形物を食することへの恐怖心が拭えず、数日間は具なしの茶碗蒸しや全がゆ、スープなどの液状に近いものしか口にできなくなってしまった。
さて、「最も平穏でなかった日常」の話はこの辺にして、平穏な日常とは何かというところに話を戻そう。
俺の貴重な経験から導き出した、
「平穏な日常とは何か?」への答え。
それは…
食べたいものを、食べたいときに食べられるということ。そして、ちゃんと余裕をもってトイレに行くことができるということ。
それが、俺にとって最も平穏な日常の象徴だ。幸せなことに、今日も俺の平穏な日々は保たれている。
【愛と平和】
毎日、君の歌を聴くのが好きだった
時にはふざけたラップ調で、
時には切ないバラードで、
時にはポップでキラキラなメロディで、
僕の日常を彩ってくれた
歌ってるときはいつもね、
大好きな人のことを想ってるの
そんな君が作る歌は、
誰も傷つけることのない
優しくて平和な言葉とメロディでできていた
君の歌を聴いていると、
僕1人じゃできなかったことが
できるようになる気がした
それまで僕1人でできていたことも
より楽しんでできるような気がした
今、君のいる世界が
君が作った歌のように
愛と平和に満ち溢れていますように