木蘭

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【声が枯れるまで】

「声が枯れるまで」って表現がある。
私はそれを経験したことはないし、
この先も経験することができない。

私は、声そのものを出せないのだ。

声が出なくて不便だなぁ、と思う場面がなくはない。ただ、生まれつきなので、声を出さないことが当たり前の生活を送ってきた。これから先も声を出したいと思うようなことはないだろう…と、昨日まではそう思っていた。

今日は、我が子の初めての運動会。決して足が速いわけではないが、昨日も夜遅くまでまでパパと一緒に練習していたのを知っている。私は、手作りのキャラ弁当で精一杯の応援の気持ちを表した。

そして、我が子が走る番がやってきた。

パンッと乾いたピストルの音とともに、幼い子どもたちが一斉に駆け出す。うちの子も、先頭の子を懸命に追いかけている。

「がんばれー、がんばれー‼︎」

どの子の親も、必死で声を振り絞る。
でも、私にはそれができない。
声が枯れるまで子どもを応援することに、
こんなにも憧れる日が来るなんて…

気がつけば、我が子は1等章の証をつけていた。パパは「よくがんばったなぁ〜」とニコニコして、走った本人よりも上機嫌だ。

せめて、ギュッと抱きしめて「おめでとう」の気持ちを伝えようとしたそのとき、

「ぼく、おかあさんのがんばれ、きいたよ」

え?

「はしってるとき、おかあさんがてをふってがんばれ〜って。すごくすごくうれしかったよ‼︎」

…いつの間に、この子はこんなにも優しい子に育ったのだろう。自分でも聞くことのできない声を、その幼くて小さな心が汲み取っていてくれたのだ。

「だからぼく、いっとうしょうになれたんだ。おかあさん、ありがとう」

私は、我が子を力一杯抱きしめた。

「いたいっ、いたいよぉ、おかあさん」

子どもが思わず声をあげるほどだったが、それでも力を緩めることはできなかった。

今日という日が、初めて私が「声援」をおくった記念の日になった。

10/22/2023, 10:33:44 AM