11/20 「宝物」
万物を切り裂く剣、
無限に水を湧き出させる魔法の壺、
直視できないほど煌びやかに輝く美しい宝石、
山と形容しても差し支えないほど大量の金貨や財宝。
そのどれもが宝物。
俺の命の次に大切な宝物だ。
けれど、
あぁ、だけれどもだ。
それは俺の命とは釣り合うことはない。
「キャプテン、正気ですか!?」
轟音に、かき消されないように俺の仲間が叫んだ。
荒れ狂う海、降り注ぐ雷、船体を囲うように伸びる無数の触手。
地獄なんてものが本当にあるのならきっとそれはこの様な光景なのだろう。
「ただの重荷だ、そんなもの全て捨てていけ!」
舵輪を回しながら告げる。
それは宝物庫の解放の指示。
今回の航海だけではなく、これまでの旅で手に入れた全ての財宝を投げ捨てると言う正気を疑われるような指示だった。
「ッ……アイアイキャプテン!!」
その言葉を聞きつつ矢継ぎ早に指示を飛ばす。
帆を畳め右舷砲門開け取舵と同時に全門撃て左舷錨下ろせ回頭と同時に切り離し荷物は食料以外全部捨てろ砲弾もありったけ食らわしてやれ
「キャプテン! 宝物の運び出しに時間が…」
「火薬庫に爆薬がある! 宝物庫に穴でも開けて垂れ流せ! 爆破のタイミングは合図する」
取舵と同時に反対方向への砲撃、錨による半ば無理矢理の方向転換によって船はギシギシと音を立て、けれども最速でその船首を90度回転させた。
「今だ爆破しろ!」
船体後方から爆音と共に大きな衝撃が伝わる。
急激な方向転換と絶えず押し寄せる高波によって船から黄金が流れ落ちる。
「帆を張れ!」
帆が風を纏い、ぐんっと船が加速する。
それに伴いガラガラと音を立ててお宝が暗い海の中に消えていく。
荒れ狂う波に飲まれないように右へ左へと正確に舵を切り風に乗る。
暫くして後方を確認する。
無数の触手は…
いつの間にかこちらを追うのをやめたらしい。
うまく逃げられたのか、はたまた奴の縄張りを外れただけか、何にせよ当面の危機は去った
そっと胸を撫でおろす。
未だに海は荒れ、宝物庫はもぬけの殻。更には先程の無茶のおかげで我が家はボロボロだった。
けれど…
「おう、お前ら生きてるか!?」
「アイアイキャプテン」
「流石に今回はダメかと思いましたぜ」
「なんですかいあの化け物」
「俺聞いたことある、深海に潜む魔物クラ、クラ…クラーリン!」
「それを言うならクラーケンだ」
ガハハハ
今まさに生死の狭間を彷徨っていたというのに元気な奴らだ。
「やつから逃げるために財宝は全部捨ててきた! 我が家もボロボロ明日からまた極貧生活だ! 文句あるやつはいるか!?」
「キャプテンの決めたことなら文句はねぇ」
「財宝なんざ何度でも集めりゃいい」
「まぁ、生きてさえいればなんとかなるでさぁ」
まったく、頼りになる奴らだ。
「よし、全員船の状態の確認、当分進路はこのまま。踏ん張れよ、この海域を抜けたら全員の生還を祝して宴だ!!」
「「アイアイキャプテン!」」
万物を切り裂く剣、
無限に水を湧き出させる壺、
直視できない程に煌びやかに輝く宝石、
山と形容しても差し支えないほど大量の金貨や財宝。
そのどれもが俺の命の次に大切な宝物だ。
けれどそれは俺の命と釣り合うことはない。
当然、俺の命より大切な仲間たちとは比べるべくもないのだ。
11/7 「あたなとわたし」
耳馴れない音を聞いた。
例えるなら硝子が割れるような音とでも言うべきだろうか。
甲高く、透き通っていて、そしてどうしようもないほどに取り返しのつかない、そんな音を聞いた。
「あれ…?」
頬を温かいものが流れていた。
自室の鏡を覗き込むと、そこには目元を真っ赤にした私の姿があった。
どうやら私は泣いていたらしい。
それもこの様子から見ると随分と大泣きしていたようだ。
けれど、その理由がわからない。
何が悲しくて泣いていたのか、そもそも私は何時学校から帰ってきたのか、どうしてこんなにも心がソワソワして落ち着かないのか。
その全てが分からなかった。
「でわな…願いは叶えたぞ」
どこからか聞こえてきた声にビクリと肩が飛び跳ねる。
けれど、その声に対して私は、怖いとか気味が悪いとかそういう感情よりも先に何故か寂しさを感じていた。
「はぁ…訳わかんない」
いろんなことが気がかりだったし、ちょっと日常で起こっちゃいけないことも起きてた気もするけど、そんなことどうでも良くなるほど眠かった。
先程鏡を見た時に気付いていたが、どうやら学校から帰ったばかりの私は制服から着替えると言う重要なミッションを放棄したらしい。
「うー、無理」
パタンと制服のままベットに倒れ込む。
そのまま瞼を閉じようとして、その前に時計を見ようとして首を机の方に向けた。
「え…?」
その瞬間、私の眠気は一瞬で吹き飛んでしまった。
机の上に置かれた時計のその隣、可愛く飾り付けされた写真立ての中、この上なく幸せそうに笑う制服姿の私の隣に一人の男の子がいた。
とても小柄で、気弱そうで、そして私の…
私の…
私の…
「…なんだっけ?」
思い出せない、のとは違うと思う。
どちらかと言うと知らないというのが正しいのかもしれない。
(胸がざわざわする)
私が生まれてから今日に至るまでにこの写真の男の子の記憶が一切ないのだ。
(嫌な汗が背筋を伝う)
写真立ての中の男の子は私と同じ学校の制服を着ているのに、学校でこの男の子の姿を見た記憶が存在しない。
(どうしようもない焦燥感に気が狂いそうになる)
ふと、先程どこからか聞こえた声が頭をよぎる。
あの声は確か、願いは叶えたと言っていた。
一体私は何に、そして何をお願いしてしまったのだろう。
このままじゃいけない。
私はきっと大切な何かを失ってしまったのだ。
横になったベットから起き上がろうとして気付く。
体が動かない。
指一本さえも。まるで力の入れ方を忘れてしまったかのように動けない。
それどころか、先程引いたはずの強烈な眠気が再び私に襲いかかる。
今この目を閉じてしまったらもうどうにもらならい。
そう感じるのに、私の意思に反してゆっくりと瞼が閉じていく。
狭くなっていく視界の中、もう一度写真を睨見つける。
写真立ての中の男の子が薄くなっていく。
(止めて、行かないで。私を置いていかないで…)
涙が溢れて止まらない。
けれど。
抗えない眠気に襲われ、
私は目を閉じた。
チュンチュンと言うスズメの声で目が覚めた。
とても気持ちのいい目覚めだった。
目覚まし時計よりも速く目が覚めたのは久しぶりで、私の記憶が確かなら目覚まし時計がこの部屋に設置された日以来の快挙だったはずだ。
うん、私を褒めてあげたい。
チラと自室の鏡確認すると制服姿の私がいた。
そういえば昨日は学校から帰ってきてそのまま疲れて寝ちゃったんだった。
どうやらせっかくの早起きでできた時間の余裕も昨日の私の置き土産の処理で消えてしまうらしい。
ふと机の上の写真立てに目が留まる。
写真立てにはいかにも幸せですと言いたげな私が両手でピースなんかしながらこちらを眺めていた。
せっかく気合を入れてデコレーションしたというのに入れる写真が自分の写真とは…私のこと好きすぎだろ!
心の中でツッコミつつそのうち別の写真と交換しようと決意する。
「まぁ、取り敢えず今は、シャワーは~いろ」
10/29 「もう一つの物語」
魔王が生まれ、気高い志と共に勇者が旅立ち、多くの犠牲を払い仲間とともに世界に平和を取り戻す。
侵略者が現れ、人々の願いに答えた古の兵器と共に、地球と人類の為に誇り高く戦い敵を打ち砕く。
エトセトラ、エトセトラ…
いうなればこれらはダイジェストだ。
歌として、物語として語られる時に伝わりやすいように、より活躍が際立つように、不要な部分を削り取って、重要な部分を脚色する。
そうして生まれ、紡がれたものこそが後に生きる人々の心を打ち、その志を継承するのだ。
しかし、そうしかしだ。
当然ながらそれらには語られない物語がある。
勇者の印象を落とさないためにあえて削られたもの。
歌や物語にする際伝えるまでもないと省略されたもの。
はたまた、ただ単に伝わることのなかったもの。
壮大な英雄譚の裏には語られることのない物語が数多く存在する。
そう、例えばこんなふうに。
「平行線、だな」
「端から分かり合うことなどできないと分かっていたそうだろ?」
向かい合うのは二人の男。どちらもその表情は硬く強張っている。
まるで、気を抜けば即座に命を取られる。そんな緊張感の中、二人の男はジリジリとその距離を詰める。
「一撃だ」
「手加減はしない」
達人同士の決闘は一瞬で決着する。
その原則はこの男たちにも当てはまる。
ゆっくりゆっくりと近づき、お互いの手が触れるほどの距離まで近づき同時にピタリと動きを止める。
「「うぉおおおお!」」
裂帛の気合とともに二人の男は無駄一つない動きでその拳を突き出した。
「「最初はグー! じゃんけんポン!」」
繰り出されたのは拳と平手。
拳の男はその場に崩れ落ちた。
「よっしゃぁああああ! エミリー、捕まえたエルーラビットの肉は全部鍋にぶち込め! 今日の飯はシチューだ!!」
「くそぉおおおおおお!」
その瞬間、そこには確かに天国と地獄が存在した。
「はぁ、別にお肉が足りないって訳じゃないんだからシチューと丸焼き両方作ればいいじゃない」
エミリーと呼ばれた少女が呆れたように男に話しかける。しかし、男はそれを豪快に笑い飛ばす。
「ハッハッハ、こいつは自ら俺に勝負を挑み敗北した。敗者に情などかけん。丸焼きは無し! 今日から一週間はシチュー三昧だ!」
「はぁ…そんなこと言って、毎回3日目には飽きたとか言い出すじゃない…」
エミリーはそう呟くが、その言葉は男には届かないようだった。
第35勇者団「アリアドネ」
これは、後に魔王を倒し英雄譚として遥か後世にまで語り継がれることになる勇者たちの何の変哲もない語られなかった穏やかな日常のお話だ。
10/28 「暗がりの中で」
「光が存在するためには闇が必要だ。私はそう思ったのだ」
命の源である魔結晶を砕かれ、その存在が光となって消えていく僅かな間、魔王が語ったのは一人の青年が最悪の魔王と呼ばれるに至るまでの物語だった。
「私の生きた時代は所謂、平和な時代だった。人類を脅かすほど強大な敵はおらず、魔術の発展により病魔や天災さえも克服しかけていた」
今の時代では考えられないほどの平穏な時代。しかし、それを語る魔王の顔はその言葉とは反して心底忌々しげだった。
「平和な世界。誰も傷つかなくていい世界。そんな世界が実現した時、次に人類は何を始めたと思う?」
分からない。
俺はそう答えた。
俺が生まれたその時からこの世界は滅びの危機に瀕していた。
人々は常に日々を生きる為に死力を尽くしていた。
それでも唐突に降り注ぐ理不尽が嘲笑うように全てを壊していく。
そんな世界が嫌で俺は旅にでたのだ。
だから、俺には魔王が何を言わんとしたかなど分からなかった。分かりたくもなかった。
そんな俺の答えにひどく満足そうに魔王は笑った。
「世界なんてものは適度に滅びているべきなのだ。平和は人を腐らせる。外敵と悲劇、適度な絶望こそが人が最も美しく輝くために必要なものなのだ」
ひどく身勝手な言い分だ。
この旅を始める前の俺ならば躊躇いなくそう吐き捨てただろう。
けれど、今はそうではない。
この旅を通して多くの国や集落を訪れた。
中には立地や環境から限定的ではあるが所謂、平和というものを手にした国や集落も少なからずあった。
そして、そこでは何が起きていたのか俺は知っている。
だから、今の俺にはただ魔王の言葉を否定するという簡単なことが出来なかった。
「私はね、闇になろうと思ったのだよ。人類を脅かす圧倒的な闇に。人々が僅かな希望にすがりながらも美しくもがけるように。私という脅威に対して団結し、一丸となれるように。そうして私は最悪の魔王と呼ばれるに至ったのだ」
魔王は甘美な夢でも見ているかのように、喜びに満ちた声で虚空に手を伸ばす。
その焦点は既に合っていない。
あれ程までに強大だった存在感も今では欠片も感じられなかった。
「さぁ、勇者よ、希望の光よ。ここから先は私が拒絶し、君達が命を賭して掴み取った真に平和な時代だ」
吐き捨てるように魔王が言い放つ。
「私は先に行かせてもらう。そんな時代など、私は…私は、まっぴらごめんだ」
消えていく。
多くの国を滅ぼし、多くの人の命を奪った闇の王が。
世界を恐怖と絶望で支配した最悪の魔王が。
そして、いびつながらも人を愛した一人の青年が消えていく。
朝日が差した。
闇の時代の終わりを告げるように。
光となって消えゆく寸前、確かに彼は笑っていた。
10/27 「紅茶の香り」
100立方メートル。
全面フルスクリーンの自室で映し出された人工の大自然を眺めながら紅茶を注ぐ。
ダージリン、ジャワ、セイロン。
匂いと記憶は深く結びついている。
アールグレイ、ドワーズ、リゼ。
だから、僕にとってこれはいくつもの生を超えて幾重にも積み重なった膨大な記憶の中から大切なものを掘り起こすための一種の儀式なのだ。
キームン、ニルギリ、アッサム。
大きめのソファのような機械に腰掛け、お気に入りの茶葉と比べれば幾らかちんけなティーカップにそっと口をつける。
爽やかな柑橘系の香り。
思い起こされるのは夕日とそよ風、木々のざわめきと最愛の人の声。
人気のない丘の上。小さな一軒家でのもう誰一人覚えていない、かつて英雄と呼ばれた男の穏やかな最後の記憶。
何よりも大切で忘れたくない。
僕の多すぎる記憶の中でただ唯一、掛け値なしに幸せだったとそう断言できる宝物。
ゆっくりと味わい、喉を濡らしながら思い出ごとそっと飲み込む。
温かな気持ちで心が満たされた。
コトリと小さな音を立てて空のティーカップを机に置き、次のカップを手に取る。
新たな香りとともに思考が再び微睡む。
わずかに香るレモンの香り、思い起こされるのは焦燥と使命感。そして深い絶望。
世界を包んだ呪いとそれらに抗った名も無い研究者たちの敗北と狂気の記憶。
正攻法では世界が救えないから邪道を進まざるおえなかった。
後悔はない。あれは唯一にして最善の方法だったと今ですらそう思う。
苦い思い出とともにそれを飲み干す。
深い絶望を突きつけられた時、人は生きる為に上を向くことを強要される。
それがいいことなのかは僕には分からない。
けれど、こんな呪いにまみれた世界でも人が人として生きていられているのだから、それは強ち悪いことではないのかもしれない。
そんなことを思いながら次の香りに手を伸ばす。
甘いりんごに似た優しい香り。
思い起こされるのは諦観とある種の決意。
終わらせてしまった世界を救う。
色褪せて錆びついて、それでも尚無視することのできない決意だった。
500年以上も昔、世界を支配した魔王は死に際に世界を呪った。
魂の停滞と忘却の消失。
命は生まれ変われど魂は囚われ、記憶だけが無限に蓄積する。
繰り返される生に人は自身を定義できなくなった。
その思い出が、感情が、今の自分のものなのか、前の人生での経験なのか区別がつかなくなり多くの人が発狂した。
そこでとある研究者が研究の末ある悪魔の機械を発明した。
記憶は消すことはできない。けれど、移し替えることは出来たのだ。
人から人へ一方的に記憶を押し付ける。
押し付けた側は今の人生での記憶以外を完全に失い、押し付けられた側はその全てを自身の記憶として受け継ぐ。
呪いのせいで記憶の蓄積に上限はない。
一人の犠牲で狂気に染まった世界を救う悪魔の機械。
魔王を倒した僕こそがその責任を負うべきだと思った。
だから、僕が作り出した悪魔の機械の最後の部品として僕は僕自身を設定した。
積み重なった膨大な記憶を引き継ぐ器として生きることを自分で選んだ。
「きょう…も、あたらしい、いのち…が、うまれたんだ…ね」
ソファの様な機械に身体を預け、スイッチを押す。
記憶が僕の中に流れ込む。
知らない誰かの人生の記憶。
流れ込んで混ざって消えていく。
僕という存在が少しずつ薄くなっていく。
消えゆく意識の中で爽やかな柑橘系の香りが鮮明にあの日の景色を脳裏に描き出した。